「ヨルダンの旅の思い出」前回「続きます〜。」としながら、7ヶ月も経ってしまいましたアセアセスミマセンアセアセ


もしよろしければ、こちら👇から読んでみて下さいねニコ。写真整理と旅の備忘録です。






さてほっこり1995年、同期とのヨルダン・シリア旅


ペトラの遺跡。ペトラというのは「崖」という意味だそうです。1985年にユネスコの世界遺産に登録されました。ペトラはナバテア人の首都で、岩を削って作られたそうです。この地が交通の要所であったため、紀元前1世紀頃から、砂漠を行き来していたキャラバン隊の中継地として栄えました。

(ナバテア人は、岩に水道管を這わせ給水設備を作った事で有名です。)


シーク。岩の割れ目を進みます。




岩がローズ色でした。




微笑むロバさん




ロバは現地では重要な働き手









ここは「墳墓群」だったかな?









ロバさん重いでしょ。ごめんよ~アセアセ💦









紀元前64年から63年にかけて、ペトラはローマの将軍ポンペイウスの支配下におかれ、この頃からローマ風の建築物が作られるようになりました。右下の人と大きさを比較してみてね。









王の墓














テントの中から。ここは多分待合




後ろでラクダが休んでいます。ラクダにも乗ったと思うのですが、何分昔過ぎて(30年前)記憶にないうーん。いや多分乗りましたウシシ




右の男性はヨルダンの首都アンマンから日帰りで、ペトラの遺跡に連れて行ってくれたタクシーのドライバーさんのマルちゃん(?)。親切な人でしたが、出稼ぎのパレスチナ難民で、故郷やイスラエルの話になると、険しい表情になりました。パレスチナ問題、この時から30年経っても、まだ解決しないんですよね。いや、更に悪化している。




ホテルのロビーで。デモンストレーションでパンを焼いていたベドウィン(遊牧民)のおばさん。





おばさんの目付きが悪いように見えるのですが、決して感じが悪いわけではなく、写真に慣れていない。警戒感とシャイさ!



写真が見つからないのですが、別の日にもマルちゃんに連れて行ってもらい👇この街(マダバ)にも行きました。水着🩱で死海で浮いてみたし、ホテルで死海の泥エステも経験しましたにやり
 

(阪急旅行社のHPからお借りしました)



前記事にも書いたのですが、この時ヨルダンとシリアを旅しました。ヨルダンは ある程度西欧化されており、割とヨーロッパと近い印象で、皆さんフレンドリーでした。シリアはこの頃から隣国ヨルダンとは全く違う雰囲気でした。でも、子供達やバザールの人々は、普通の、どこの国にでもいるような人々でしたニコ。あの人達は今どうしているのかな。


我が家、以前も書きましたが夫も私も今 旅してみたいのはイスラエルとイランなのですが、昨年のイスラエルのガザ地区への侵攻により、どんどん中東のきな臭さが増していて、残念ながら今はそれどころではない感じですよね。以前のように、旅をして現地の人々と触れ合えるような平和な日々が、早く戻って欲しいと願うばかりです。


ニヤリ