皆様こんにちは
本日もお読みいただきありがとうございます💕
先日
大覚寺へ行ってまいりました。
自宅にあるイタリア〜ンな仏壇🇮🇹
(実家を整理する時に、大きな仏壇は納め、
小さなイタリアンテイストの仏壇を購入して、
京都に持ってきました。)の中にあった
古いお札を納めに行ってきました。
お写経もしてきました
大覚寺は嵯峨野の北東に位置し、
元々は嵯峨天皇(786-842)の離宮でした。
嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に五大堂を建て
五大明王を祀って修法を行いました。
嵯峨天皇崩御後
皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が、離宮を寺に改め、
嵯峨天皇の孫で淳和天皇の皇子の恒貞親王が初代住職と
なりました。
その時から明治時代まで、
代々皇室から親王が住職として入った
門跡寺院です。
👇写真左上 式台玄関には後宇多天皇の輿が
展示されています。
宸殿(重文)
江戸時代 後水尾天皇より下腸された寝殿造りの建物。
天皇に入内された徳川二代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、
女御御殿として使用していたもの。
襖絵が華やか〜〜
大沢池 横の五大堂(本堂)でお写経をしました。
お写経は何種類かから選べ、今回は金泥を。
(金色の筆ペンがあるのですね!)
字が、ところどころ私達が日常使用している漢字
と違っていて難しいー
老眼用眼鏡をかけても細かい部分が
よく見えないw
お写経は良いですね。
心が静まります。
勅封心経殿
弘仁9年(818)全国に疫病が蔓延しました。嵯峨天皇は「朕の
不徳にして多衆に何の罪かあらん」と御所を避けて
離宮嵯峨院で質素倹約に努められました。そして4月26日から
28日までの3日間 弘法大師のお勧めにより、嵯峨天皇及び
公卿百官は粗食精進のもと、般若心経に帰依して読誦転経し、
殊に嵯峨天皇が紺地に金泥で書写されると霊験あらたか、
疫病はたちまちに治まり、大いなる功徳を得られました。
以来、この嵯峨天皇宸翰(しんかん)の般若心経は霊経と崇められ、勅封として厳重に秘蔵されることになります。
(大覚寺HPより)
勅封心経殿は、
60年に一度、天皇の勅使によって開封されます。
前回は2018年で、chappieも勿論
拝観に伺いました
民のために必死に祈られた嵯峨天皇。
現在の皇室の騒動をご覧になったら、
なんとおっしゃるのかな、
なんて思ったりして。
一昨日は
枡形商店街に買い物に行きました。
買い物前に
ランチ〜
この日のメインは小海老のかき揚げでした。
と、南瓜、さつまいも、茄子🍆の天ぷら。
その他お豆腐とおばんざいの盛り合わせ
(おかわり自由 ご飯も)
+赤だしのお味噌汁
天ぷらは目の前で揚げてくださるので
サクサク美味しかったです。
ごちそうさまでした。