今日は母親の月命日でもあります。

11日って色々ある日ですね。

 

テレビではやらないけど、10年経って忘れていたこと。

まずあの頃、政権が違ってた(菅直人が総理)

災害時の国のトップのことが記憶にないなんて、たぶん国民の記憶に残る采配を振るわなかったに違いない。

 

それより、はらわたが煮えくりかえる復興大臣(わずか9日で辞任)の顔は一生忘れられない。

 
 

 

宮城県庁で村井嘉浩知事に横柄な態度。テレビで全部流しましたから見てました。


詳細はWikipediaにありますので、ご覧下さい。

ここでは傲慢の一部を....


「政府に甘えるところは甘えていい。こっちも突き放すところは突き放す。そのくらいの覚悟でやっていこう。
 
漁港を集約するのは、県で意見集約をちゃんとやれ。しっかりやれよ。やらなかったらこっちも何もしない。知らんぞ。
 
(激務の知事に1分ちょっと応接室で待たされたことについてプンプン) 
 
お客さんが来るときは、自分が入ってから呼べ。(陸上自衛隊出身の知事に)自衛隊上がりで、あんたは分かっているだろうけど。言われなくてもしっかりやれよ。今の部分はオフレコな書いた社はこれで終わりだから
 
おきゃくさん、あなたまじヤバいですよ。
他にもヤバい事をたくさん言ってましたね。
 
18年にこの人が亡くなったとき、国は「松本龍元復興相」を従三位に叙し、旭日大綬章を贈ると決めた。
曰く付きの人で、しかもたった9日の復興大臣ですけど肩書がそうなるのか....
 
自衛隊や警察、消防などが本当につらい仕事をしているときに(無残なものを見すぎて発狂しそうだったと聞きました)、ふんぞり返って話していた顔が忘れられません。

他にもいましたね。
この災害が東北だからよかった、といった奴。被災地に革靴で来て、ぬかるみを現地のお供におんぶさせた間抜けなやつ、これは水害の時だったが。