つづき
下にオススメのSoundCloud MIXのURLを貼り付けておくので、これをBGMにブログを読んでもらえると良いと思います。
https://soundcloud.com/realghettostoriez/stone-love-souldation-mix-tape
今回は、80年代後半から90年代初頭のタクシーハイファイ(TAXI HiFi)時代に使用していたサウンドマンの備品についての記事です。
当時、サイレンマシンは、ピュンピュン・マシンと呼ばれていて、写真の「Lineartech ZX-800」が使われていた。
今でこそ色々なメーカー(自作も含め)から様々なサイレンマシンがリリースされているが、当時はこのマシンしかなかった。
90年代に入りジャマイカで使われている1Uタイプのサイレンマシンをわざわざジャマイカまで行って作ってきたサウンドも少なくないと思う。
クラブ・ジャマイカ、MAD MAXなどは、ジャマイカで作った1Uタイプのサイレンマシンを使用していた。
TAXI HiFiは、90年にローリーが日本で購入した「YAMAHA DX-100」と「YAMAHA RX-7」を入手し、それをメインのサウンド効果音(エフェクト)として使用していて、サイレン・マシンは使用していなかった。
とにかく、当時は、このストーンラヴのアルバムのジャケ写がサウンド機材の情報源で、このジャケ写を食い入るように見て、マネるしかなかった。
ディレイは80年代に主流だったテープエコーからデジタルディレイに変わり、ストーンラヴが使用していた「KORG SDD-1000」は画期的だった。
デジタルでありながら、ツマミというアナログ感が様々な効果を生む、まさにレゲエでしかありえないサウンドがこの「KORG SDD-1000」により再現できた。
そして、この「KORG SDD-1000」も上のストーンラヴのアルバムのジャケ写に中にあった。
ちなみに、TAXI HiFiは「KORG SDD-1000」を使用していなかったが、MAD MAXはこのディレイを使用していた。
今でこそ、写真のようなターンテーブルのラックがあるが、当時は台の上に剥き出しでターンテーブルを設置していた。
そのため、ターンテーブルの足や底から振動を拾い、ハウリングを起こすというトラブルが多発した。
ランキンさんも様々な工夫と試行錯誤をしていたが、解決に時間がかかった。
ある日、ストーンラヴのアルバムのジャケ写をランキンさんに見せ「ジャマイカは振動防止にクッションを敷いている」のでは?ということで、ツアー中に宿泊しているホテルのベットの枕を拝借して使用したこともあった。
これは、意外と早い段階で色々なメーカーが振動防止のクッションをリリースし、トラブルは解決して行った。
当時は俺がセレクションをする時はレコードをプレイしながらMCも行なっていたので、マイクスタンドを使用していた。
ちなみにストーンラヴのアルバムのジャケ写の中にもマイクスタンドがある。
しかし、現在、マイクスタンドを使用しているサウンドは殆んどない。
今でこそ、様々なメーカーから様々なレコード・ケースが出ているが、当時はこの「サンコー・プラスチック・コンテナー・クリア」が大爆発した。
それまでは、ジャマイカから送られてくる7インチが入っているアルバムのジャケを素材にして作られている箱に7インチを入れ、それを何個もリュックに入れ、それを背負って7インチを持ち運んでいた。
しかし、90年代に入り、グッチが初めてこのクリア・ケースに7インチを入れて登場した時の衝撃は、革命が起きたと言っても過言ではなかった。
そこからクリア・ケースが定番になっていった。
ちなみに、俺は、今でもこのケースに7インチを入れて持ち運んでいる。
リバーブは「YAMAHA SPX-90」を使用していた。
キラマンジャロがハイ(高音域)だけにリバーブをかけていたこともあり、リバーブはMCなどにも使用できる空間処理エフェクトとしてサウンドの必需品だった。
他にも手元で縦フェーダーを操れるマシーンもあった。
メトロメディアでスカイジュースがカットで使ってたパフォーマンス性の高いアイテムで、大阪に使っているカットマンがいた。
それをマネて、俺のカットマンでもあったジェイ・マスター・モンキーが、ROMANTIC STON時代に使用していたが、東京では根付かなかった。
91年のストーンラヴのブース。
この頃は、まだアムクロン(パワーアンプ)が導入されていないが、アルバムのジャケ写と比べると、かなり進化しているのが分かる。
というわけで、今回はサウンドにおける色々な備品等の歴史を紹介しました。
情報も物もなかった創世記時代には、先人達の様々な研究と試行錯誤があった。
それが今のサウンド・カルチャーのルーツであることは間違いない。
つづく .....