当時、高校の同窓会のクラス幹事をやっていた私は、土曜日の夜、幹事会(飲み会?)で深夜に帰宅しました。
明け方、妻の前期破水で救急車を呼びました。数時間後、救急搬送された病院で子どもの命と妻の命をどちらを優先するかという究極の選択に署名した記憶があります。
そして数日後、病院から呼び出された私は、帝王切開で赤ちゃんを取り出すとの連絡を受け慌てて病院に向かいました。
31週で生まれた息子は1034gの極低出生体重児。私は障がい児の新米パパになりました。
特別支援学校の教員として働き始めて10年目のことでした。
