障がい児教育のキーワードに「自立と社会参加」という言葉が挙げられます。

 「自立」という言葉の持つイメージは人それぞれだと思いますが、一般的には自分の身の回りのことが自分でできて(食事とか、掃除とか、洗濯とか…)、経済的に自立していて、社会的にも自立している(仕事しているとか…)、というようなイメージだと思います。数年前、県内の特別支援学校の教員研究会で東京大学の熊谷晋一郎先生をお招きしました。熊谷先生自身は脳性麻痺で車椅子生活の方です。熊谷先生は「自立とは依存先を増やすこと」というような主旨のお話をされていました。「自立」と「依存」一見すると真逆のように思えますが、私はとても共感します。

 「自立」が身辺自立や経済自立や社会的自立を意味するとしたら、少し穿った見方をすると「人様の世話にならないこと」「人様の迷惑にならないこと」という言葉が頭をよぎります。もちろんそんなことは誰も言いません。ただ、自立に向かって少しでも「自分でできるように」という教育に、そういう考えが見え隠れしてしまうのです。

 いくつかのエピソードをご紹介します。

 息子が三歳児健診で発達の遅れを指摘され、地域の療育センターを紹介されました。初診の日、特に検査をしたわけではないのですが、本人の様子を観察して重度の自閉症との診断が出ました。幼稚園に通いたいという希望を伝えると「椅子に座ってられませんよ。困りますよ。」とのこと。いや、困るのは本人じゃなくて先生でしょ。療育センターは人様になるべく迷惑をかけない障がい児に育てる機関なんだな…、と思いました。

 仕事で地域の特別支援教育コーディネーター(要するに生活指導・生活支援担当教員)の会議に出席した時のこと、幹事校の校長先生が定時制高校の管理職だった時のエピソードをお話しました。「定時制高校の本当の目的は生徒を犯罪者にしないこと、そしてできれば納税者に育てることだ」そういうことが管理職の間で共有されていたということです。違和感でいっぱいでした。あまりにも悲しい教育の目的です。ここでも「人様の迷惑にならない」「人様の世話にならない」という思想が根付いているんだな…。

 「自立」という言葉の意味は奥が深いです。このテーマはこの後何度か書くと思いますが、今日はここまでにします。