ぐりちゃんの昨日(今日?)のブログを読んで
あぁ、これわたしは
『家族』がそのまま『母親』に
置き換わるなぁと思った
1番大切にしないといけない人で
私をこの世に降ろしてくれた
絶対的な感謝すべき存在で
特別な人で
その人と良好な関係を築けていない自分を
めちゃくちゃ責めている
「家族」というモノに対して、ものすごく力を与えていた。(←悪い意味で)
「家族」にめっっちゃとらわれていた。
↑ぐりちゃんのブログより
ここ
ものすごーーーーく
赤べこなみに首を縦に振るくらい
頷いてしまった

母親にめちゃくちゃとらわれて
自分の貴重な時間や体力を削がれて
生きている

テレビなんかで
お母さんが知らないところで
こんなことしてくれてた
とか
今になって沁みる母からの愛
とか
そういうのめちゃくちゃ羨ましいと
思っていたし
母親ってそういう存在である「べき」なのに
そうじゃなかったあの人を恨んでもいた
もっと言うと
「自分というものを全面的に肯定して存在を素晴らしいものにしてくれる人」が母親で
だから
母親から(私の望む形で)愛されなかった自分は
価値がない
良好な関係が築けていなくて
感謝もできない自分は
人としてアウト
だと
思っていた
でもそれって
母親ありきの自分の存在価値って
ことになってしまう
本当は逆なんだ
1番大切なのは自分
だからそこから派生する(表現が悪いけど)
家族や友人、パートナーも大切
そういうことか

母親がどういう人だったか、
今現在どんな関係を築けているか、は
自分の価値とは何も関係ない
ベクトルが逆だったんだ

うまく伝わってるかしらん

的確に表現できなくて
もどかしいわ

でも
自分を1番大切にできたら
きっとあの人のことも
ま、いっか

と
思える日が来るだろう
まだ道半ば、だ
ぐりちゃん
ゆりさん
すごく大切なことを気付かせてくれて
どうもありがとうございます

おわり
