本当はマスターコースの京都編の続きを書こうと思ってたのですが、気が変わりました。
自分の中で葛藤していたことを、怖いけど出そうと思います。
私は、子供の頃からいわゆる優等生でした。
勉強も運動もそれなりにでき、学級委員や生徒会役員もやり、先生からも好かれる。
母親はとても喜んでいました。
[親や先生や周りの保護者からの賞賛]
母からの愛情をイマイチ信用できなかった私は、そこに自分の存在価値のほぼ全てを置いていました。
そんな他人軸の生き方を続けて続けてメンタルが悲鳴をあげ、今年、心屋マスターコースを受講する決心をし、106期に申し込みました。
みんなと一緒にワークをし、日々の気付きやバンジーのシェアを見て、本当に勇気づけられたり愛しく思えたり、自分の思いや辛さを出してすごく励まされたり。
かけがえのない経験をする事ができました。
でもマスターコースもあと合宿を残すのみとなった今、くすぶっていた思いがあります。
それは
「じんさんやうさこさん、周りのみんなに、すごい変化や気付きを見せて褒められるような受講生じゃないと価値がない」
ということ。
Facebookやブログもそれを狙って書いていた部分がかなりあります。
ここまできて
他人軸の極み!!
書いてて全然楽しくないし苦しいからそりゃ筆も進まないわ。
マスターまで来て何やってんだ

恥ずかしい。。
しかもこんな告白をしてしまって大丈夫だろうか。。
信じられない!とか思われそうで怖い。。
決してウソは書いてないけど。
とても失礼なことをしていた気がする。。
ごめんなさい

そしてよくよく考えたらわたし、
Facebookやブログを書く時の一番の願いは
ウケたい
という小学生男子的願望でした





………。
………。
撃沈…

自分軸の生き方や、そのままの自分の価値を受け入れるためにマスター通ったのにまだこんなです

これからは自分が書いていて楽しくなるもの、素直に伝えたいことなど、ゆるめに綴ります

最後までお読みいただきありがとうございました。
悶絶の日々は続きます
