おまえはそこで泣いてろ -13ページ目

おまえはそこで泣いてろ

ちゃんやぎへの手紙から
ブログタイトルをおまえはそこで泣いてろに変えました。
ちゃんやぎ大好きに対してではなく、
私自身をおまえと言っています。




購入して約9ヶ月
やっと読み終わりました。
文法を知らないままでも本一冊読むことはできましたが、とにかく時間がかかりすぎる。
そこで購入したこの文法書。
読みながら、へーそういうことだったの?!と発見の連続でした。
例文には音声もついていてとても納得のいく一冊。
但し、この本、仏検3級のレベルだそう。
私としては
????はーーーっ?
そんなこといってるのだれ?
と言いたいところ。
十分難しかったですよ。
全17課で構成されているのですが、10課こえた辺りから読むのに結構時間がかかりました。
フランス人のコメントも頂きました。
そんな難しいの読まないで、もっと簡単な言葉を中心にやった方がいいよ。
はい、その通りだとおもいます。

私のフランス語学習は、インプット、アウトプット共にレベルにあわせてバランスよく進んでおり、現時点で使えない知識は後回しにするようにしています。言葉は自転車と同じで乗らないなら勉強なんてする意味が無い。

文法もそう。今何してる、今なにしたい、が言えないうちに接続法過去だとか大過去だとか、意味が無い。
こんなんだから、いつまでたっても、多くの人が語学難民になるんじゃない?

って、えらそうにいってるけど、私は大真面目。
話せない資格保有者にだけは絶対になるまい。そう思うのです。

結論として、この本、文法の本としては十分です。あとは、実践、経験で身に付ける方がより正しい解釈に近付くと思います。




A:これ、めちゃくちゃ有名なレストランやで
B:そうなん?
A:そうやで
B:ふーん、どこ?
A:フランス
B:なんていうレストラン?
A:x@x○△◇@@
B:長い、もう忘れた。






その後このレストランに行くこともなく何年もたちました。
フランス語検定はまだ受けたことはありませんが、
今ではカフェでカプチーノくらいは頼めるようになり、
そこへふと思い出したあの絵のレストラン
一度行ってみたい。今そう思い、絵から手がかりを探します。
まずは絵の中の看板の文字
英語読みでキャサリンと調べていましたがいっこうに見当たらず、
そうだ、ここはアメリカじゃない、カトリーヌ、フランス語読みじゃなければ。
そして、ありました。

その名は、ア ラ メール カトリーヌ (À la Mère Catherine)

別の絵や写真などと、この絵の背景を照らし合わせて、
同一であると確認。
次はこのお店の由来を調べようとウィキペディアへGO、
おっと、フランス語だけですか?
ちょっと、やっぱり日本語がないと不便ですよ。
そこで、仏検5級受験者が訳してみますよ。適当に。
読者でフランス語の先輩様達、どうぞ皆様もご自由に訳してください。
ただし私の誤訳は“無視”でお願いします。




À la Mère Catherine
ア ラ メール カトリーヌ


À la Mère Catherine est un restaurant parisien situé sur la place du Tertre, dans le 18e arrondissement.
ア ラ メール カトリーヌはパリ18区テルトル広場にあるレストランです。
Fondé en 1793, il est l'un des plus anciens restaurants de la place
1793年創業の、この地域でも古いレストランです。



Légende du berceau du mot bistro
“ビストロ”という言葉の初期の言い伝え


Une plaque commémorative située à l'entrée du restaurant donne une
レストランの入り口にある記念プレートは
étymologie populaire du mot bistro selon laquelle les Cosaques de
“ビストロ”という言葉の民衆語源について記してあります。それによると、
passage lors de l'occupation alliée, après la défaite de Napoléon Ier à
1814年、パリでナポレオン1世が敗北したあと、同盟諸国の占拠時に、コサックの往来が
la bataille de Paris de 1814, s'arrêtaient à la Mère Catherine et
ア ラ メール カトリーヌに立ち寄り、
commandaient à boire « bystro ! » (en cyrillique : « быстро ! ») c'est-à-
“ビストロ!”で飲めと命じました。(ビストロはキリル語で быстро と書く)意味は、
dire en russe « vite ! ». Cependant, selon les spécialistes, cette
ロシア語でいわゆる“早く”です。 しかしながら、専門家によると
étymologie est fantaisiste1, et l'origine réelle de ce mot n'est pas
その語源は恣意的であるとのことで、実際、その言葉の由来ははっきりとは知られていません。
connue avec certitude.


ロシア人がビストロで飲めと言ったところ
フランス人がビストロとはレストランのことなのだろうと勘違いし
それがこのビストロの語源になったと。
定かではないとのことですが、本当ならとても面白い。


ああ、そんな逸話までもある、このレストランに一度は行ってみたいものだと
しみじみ思いました。そのころまでにはちゃんとフランス語を勉強しておこう。
絵でみたなら次は行こう。
歴史を調べたら、今度は味わおう。
人生は短く、世界は広いのだ。

きっと味もいいに違いない。

いろいろと皆様にご紹介したい写真など

たくさんあるのですが、

先週帰国して、

非常に忙しい一週間を過ごした後、

緊急入院






これで入院は4度目となります。

そのうち二度は死にかけてました。そのうち一度は本当に

ちょっと死んだのかも。

手術中に心臓がとまったそうで。

まさにその時、私は麻酔がきいているにもかかわらず

起きましたよ。

でも体も動かない、声もでない、息もできないー!!!

自分の体は手術台の上にもかかわらず、

全部みえていましたよーーー!!!

そのあとすぐに、先生の声が聞こえてきて、

あっ、こらあかん!!!

って!!

ああーーやっと気づいてくれた。

もうすぐ天井までいくところやったやん。

とまあ、病院にもなれていまして、

今回もすぐに退院してまいりました。

手術をするまで家にいます。病院にいても

気を遣っておちおち眠ることもできません。

ところで私の入院した病院はキリスト病院で

一日目と二日目は意識朦朧でなにも聞こえませんでしたが、

退院した三日目の朝は音楽が聞こえてきました。

“うるさい、今はしんどくて音楽聞く体力ない”

(音楽大好きですが、病の時だけ聞けない体質です)

そうこうするうちに

“礼拝の時間がきました”とアナウンスがあったと思います。

この時点で病であることをほぼ忘れました。

チャペルに行くこともできたのですが、朝はまだしんどかったので

案内のとおりテレビをつけると



流れてきました。

そおして、私はわくわくして聞き入って、

そのあと、昼にも説教があり、

幸せなひとときを過ごしました。

私は強くて運もいい女だと思います。

神のご加護もいただきました。

主に感謝して。

アーメン







ヨーロッパといえば鴨と白鳥でしょうか。

ムゼル川にはいつもいます。

皆さんにもその鴨達を少しご紹介したいと思いますが

皆さん、この映画、ご覧になったことがありますか。

私はこのフイルムがとにかく大好きで、

その一部ですが、YOUTUBEから

モンサンミッシェルがみえます。



あともう一つ好きな動画を



鳥目線になると、心がきゅんとします。

鳥にも心があるんだなって

もしあなたが鳥なら

どこを飛びたいですか?

日本なら、東京タワー、富士山、京都嵯峨野とか、奈良もいいですね。

でも私は、

自分の生まれた町の上を飛びたいです。

好きで好きでたまらないところだから。

語学系メルマガに山月記の引用がありましたので

ちょっと読んでみたいと思います。

-------------------------------------------------------
己は詩によって名を残そうと思いながら、進んで師に就いたり、
求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。

かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。
共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。

己の珠に非ざるを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、
又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として、瓦に伍
することも出来なかった。

(中略)

己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、
堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は
漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。
--------------------------------------------------------

小難しい文章ですが、自分にあてはめてみます。

自尊心はアホが邪魔して保とうにもなかなか保てないのですが、

尊大な羞恥心はあると思います。

己の珠なるべきを半ば信ずるが故にという部分はかなりあてはまっていて

ない頭に自惚れています。アホということですね。

よくわかりました。

瓦に伍してみようと思います。(←意味わかりませんが、文脈から)

今年もTOEICにチャレンジします。

実は去年一年ずっとよいTOEIC教材を探していました。

その中で一つ満点者がでた教材があったのでそれを購入します。

値段は5万。

語学系メルマガは非常にモチベーションをあげてくれるので助かるのですが、

残念ながら肝心の語学についての記述が少ないものが多くきめかねていました。

もう、お金がもったいないから独学で900とるぞ、とかより

900後半とるという欲望の方が強くなってます。

あと仏検というのも秋にうけてみます。

5、4、3、準2、2、準1、1級とあるようで、

5級、4級とか受けにいったら小学生とかと一緒に机をならべるんでしょうね。

ちょっと恥ずかしいけど、

瓦に伍すしかない。

しかしちょっとどころの恥ずかしさではないぞ。

尊大な羞恥心おそるべし。


イエスキリストのみが私の神です。

嫌われようがキリストのみを信じます。

といつも思っているのがクリスチャンではありません。

なかなか信仰というものは難しいもので、

いろいろな困難、障害がおこるとき、

うーん、やっぱり神様はいないのかと信仰を失いそうになることもあります。

8歳で友達と一緒に近所の教会にいったのが最初ですが、

クリスチャンになったのは28歳です。

聖書を読み、考え抜いてクリスチャンになりました。

それでも信仰の強さは乱気流の中の飛行機のように

浮き沈みすることもある。

例えばクリスチャンでない人がクリスチャンの良し悪しを論ずることがあります。

そういうときクリスチャンとして未熟な場合、はらが立つんですね。

そして、仏教を信じる日本もさんざん人を殺して戦争もやっておきながらと

子供じみた論争が心の中でおこる。しょーもないことです。

神様は全く関係ないのですから。

そして仏も関係ない。


問題なのは私の信仰の弱さにつきる。

躓かぬように。

また自分自身が躓きの石になってはならない。

Wikiより

映画『二百三高地』は、日露戦争の旅順攻囲戦における203高地の日露両軍の攻防戦を描いた、二部構成の大長編作品であった。大ヒットしたため、後にテレビドラマ化された。その主題歌『防人の詩』は、物悲しい楽想と悲痛な歌詞によって、命の儚さと尊さを歌う「反戦ソング」として紹介され、ヒットもしていた。その一方で、映画の内容が、どんなに犠牲が出ても、自衛のため開戦はやむを得ない、悲惨な戦争だが結果は勝利だ、というものであり、戦争肯定映画であるという風評が公開前から広まってもいた[要出典]。ただし、そうした映画の内容は、あくまで戦争に突き進んでしまった当時の風潮を描いたのであって、それが正当とされてしまった当時の政治についてまでは肯定しておらず、むしろそうした時代および日本の体制に対して批判の意図が込められていた。しかし、予告編などで戦闘シーンの悲壮感を盛り上げるように使われたことから、戦争を感傷的に美化する歌と解釈されることがあった[要出典]。

歌詩は『万葉集』第16巻第3852番に基づいて作られている。
鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ大意:海は死にますか 山は死にますか。死にます。死ぬからこそ潮は引き、山は枯れるのです。





小学校の授業でこの「二百三高知」を鑑賞しました。
そのテーマソングがこの歌で、
この歌が流れたとき泣いたのを覚えています。
幼かったというのもありますが、戦争というものに現実味を感じず、
ただ戦っている兵隊をみて、
ああ、日本人だ、あれは外人だから、はやく殺せ。そう思ったのです。
そして何もわからずこの歌になり、
はじめてわかったのです。
ダメだと。
戦争はしてはいけないと。
Youtubeの字幕は、日本語とローマ字表記、そしてロシア語となっており、
ロシア語でのコメントもみられます。
内容は全くわかりません。

万葉集に基づいて作られたものだったということは
今日はじめて知りました。


今粛々と9条を変えようと考える人は、戦争が死であることをご存知ですよね。
戦争は国において言えばは勝ち負けでしょうが、人においては死を意味します。
死のみです。


日本は韓国を併合し、後に何かメリットがありましたか?
アメリカに爆撃し、その結果はどうでしたか?
歴史に学ぶとはそういうことではないですか?単純に。


人には考える頭がついていますが
武力で解決するというのが人間の頭の限界でしょうか?

もし武力の方向を探るしかないなら、
負けを認めているようなものではないですか?

攻撃すれば、攻撃される。
普通でしょ。

私はごめんですよ。映画のようなことは。
私はHAPPYが好きなんですよ。
できるだけ多くの人がHAPPYなのがいいんです。

見てください。

Happy (Syrian Version)Pharell Williams




私達が普通に暮らしている裏側で今日も泣いている人がいます。
強烈な違和感を感じませんか?私達は今ハッピーと歌える方です。

この違和感を少しでも小さくすることを考えるほうが
軍拡よりよほど平和に貢献すると考えるのは私だけでしょうか?

軍拡を主張する人はそれが平和をもたらすとの考えからでしょう。
でも武器を使用して自分達が生き残れば相手は死にます。
それでもいいですか?

恐れを捨てて、人の為にという先進国が一つくらいあってもいいんじゃないかと思います。
日本だとか、戦争だとか、歴史だとかを忘れるくらい価値のあるものを求める国。

私は日本人一人一人が本当に価値があり、奉仕や自己犠牲、助け合いのできる民族だと思っている。それを戦争に使うのはもったいなくないですか?


徹底的に平和を追求する国、その点でどの国よりもするどい意見を持ち、他国にNOを突きつけることのできるようなそんな国に日本がなれたらいいなと思います。


マララさんのように武器を持たず小さな体でたった一人言論で戦う人もいます。
彼女の言葉は武器に負けると思いますか?私はたとえ彼女が死んだとしても勝ち続けると思います。


日本は世界で2番でも3番でもあるべきではない。
日本が平和について世界で1番を誇れるような
真に独立した強い国になることを望んでいます。
何か変な違和感を感じていたのですが、
彼の示している証拠をみると、
そうだったのかもなと思わずにはいられない。

自己責任論で重要なことが見過ごされてしまうということに
私自身がこだわるあまりに、まさにその論調ばかりに目を奪われていた。

見なければいけないところはもっと別なところかもしれない。

それにしても彼の目のつけどころは非常に面白い。天才肌というべきでしょう。

今回の事件であべさんの支持率があがっているそうな。

日本はどうなるのでしょうか。




こんな動画も見てみました。

ベンジャミン・フルフォード/Benjamin Fulford, 1961年
カナダ出身のジャーナリスト
米経済紙『フォーブス』の元アジア太平洋支局長

日本語が上手ですね。音声だけきくとかなり上手なことがわかります。
たとえば私がこれくらいの英語を彼の日本語くらいぺらぺらと話せたら
すごいなと思います。語彙力もモードもテンスもエクセレントですね。
内容も面白い。





http://president.jp/articles/-/14427

リンクをつけさせていただきましたが、確認できますでしょうか?

タイトルは、「安倍首相は日本を破綻させた人物として歴史に名を残す」と言い切る
  ジム・ロジャーズ氏。最悪の事態に備え、実践できる自己防衛策とは。

プレジデントオンラインニュースからの記事です。

一見、日本のことを批判しているようですが、

本当に日本の将来のことを考えるなら、

よく知ることです。

何を知るべきかといいますと、

自分以外の人の意見です。

世界を変えることは難しいですが、

自分を守るために準備することはできる。

寝る場所とご飯と梅干さえあれば、私は生きていけますと

言いたいところですが、できれば薬も欲しいです。

そうなってくると、できれば、電気毛布も欲しい。

できればシャワーもたまにはしたい。

トイレも必要。ときどきおいしいものも食べたい。

それで、やはり必要になるのはお金。

これら全てそろえると、毎月結構な額になります。

それを将来、私たちより少ない人口でまかなうということ。

一人が一人をまかなうとしても、そうとうな額です。

今月の給料から7万円を高齢者にお渡しすることができますか?

年金機構が運用してるから大丈夫?

うーん、私が運用したら赤になると思うし、運用上手な人なら自分の金を運用するし、

ということで、私達が本当の老人になるころ、

多くの人が野草を食べている可能性も無きにしも非ずですね。

今から野草図鑑を買って勉強しておきましょうか、、、

きのこは危ない。

そうですね。釣りの勉強のほうがいいかもしれませんね。









宗教って何?宗教っていらないでしょ。

宗教が全て悪い。

そう思うのは人の自由です。

ただ私は、

ヨルダンのパイロットの死を見て思った。

自分ひとりだけとらわれて、

何十人もの武装兵に囲まれ、

今から死刑にあうなら、

私はイエスのことを考えるだろう、と。

政府も家族も救いにこない

ただの絶望と死だけが待っているなら

私は祈って死ぬ。イエスこそが自分の全ての持ち物だから。

最後の最後に考えるのは、家族でもなく、思い出でもなく、

イエスキリストであろうと思います。

なくなられた3人のかたのことを考え

自分の無力さを感じ、

この地球上で、ノミさえの価値すらない自分のことを知り、

それでもその存在は何かとたずねれば、

クリスチャンであるということだけが自らの証なのです。


もし私がイエスキリストを信じないなら、

私の価値は消滅する。

彼らの死を見て、涙を流し、恐ろしくて、

祈りが生まれ、

言葉ではない祈りとなりました。

委ねる祈りです。

自分のことでも世界のことでも私が最後にできる唯一のこと、

それが、祈りです。

世の人には役立たずといわれるでしょう。

しかし私の祈りの先にはイエスがいます。

友として私の隣に十字架にかかっております。

自分はただの罪人ですが、

彼は、今日私とともにパラダイスにいると死の前に約束してくれました。

私はその約束を信じて死ぬでしょう。

これが私のイエスを信じる宗教です。

私の宗教の中に、国も政治もありません。

私の友は、魂の中におり、

この友情は、この世の誰によっても破壊されることはありません。

国にも、政治にも、金にも、武器によっても、

破壊されない唯一のもの

それが私の宗教、イエスキリストです。