原理原本は金百文執筆本の写本・パクリだった(6ヶ月間借りて必死に書き写した) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■原理はかなりの部分、金百文からの盗作という事。これは反対派の本にも古くから書いてありましたが、かなりのレベルのk国幹部が言っているという事が重要。金オンピルも言っている事。実際、金百文から本を借りてきたのは金オンピルだったらしい。今後、金百文の原本を翻訳して暴露するとのこと。

『文鮮明は金百文が 1952年釜山東来で避難中に執筆した原稿『堕落、復帰原理』を見て、「原稿校正を見て差し上げる」と持って行って6ヶ月以上持って来ない騒動を起こしたりした。』
http://www.amennews.com/news/articleView.html?idxno=8687

上記の内容は、1945年当時、文教祖と同じイスラエル修道院上道洞集会所に通っていたイム・ナムスン女史の証言です。

文教祖は、昔の師匠である金百文氏からパクッてまで、教祖(自称メシア)になりたかったのでしょうね。

教会の公式発表では、原理原本の執筆は「1951年5月11日~1952年5月10日」になっています。
執筆場所はボンネッコルのみで行ったと思われがちですが、実は何箇所も場所を変えて執筆されました。
<初凉の労動者収容所 ⇒ 釜山市槐亭洞の金元徳氏の家 ⇒ ボンネッコルの張屋 ⇒ ボンネッコルの土壁の家>
それに1952年に金百文氏から原稿を借りて、6ヶ月間返さなかったというのも、原理原本の執筆期間と辻褄が合います。

イエスラエル修道院時代の文教祖についてイム・ナムスン女史はこのように証言しています。

『修道院を始めてから2ヶ月程過ぎた時、文龍明(現 文鮮明に改名する)という 20代半ば(25歳)の一青年が訪ねて来た。上道洞集会所ができたが、看板は「耶蘇教イスラエル修道院ソウル教会」として付け、文鮮明が自分の家で新婚生活をしていたと言うイム・ナムスン女史は当時16歳であった。上道洞集会所には40~50人くらいが集まったが、文鮮明は集会期間中で足で聖殿(礼拝堂)の壁を蹴飛ばして、痛いと泣きわめいて寝転んで騒ぎ立てていると、初園・金百文が近付いて「聖霊感化を人格的に受けて自分を治めなくてはならない。自分の身一つもコントロールできずに他人に迷惑をかけるのは真の信徒ではなく、真の信仰者になれない」と叱責した。また文鮮明は金百文が 1952年釜山東来で避難中に執筆した原稿『堕落、復帰原理』を見て、「原稿校正を見て差し上げる」と持って行って6ヶ月以上持って来ない騒動を起こしたりした。』
http://www.amennews.com/news/articleView.html?idxno=8687

かなり問題児だったようです。
文教祖の話では「イスラエル修道院ではみんなから一目置かれていて、金百文からソロモン王の祝福を受けるにまで至った」はずなのですが、かなり違います(笑)

原理は文教祖が関わった神霊集団といわれる淫乱宗教から寄せ集めてきています。
(金聖道の聖主教、李龍道のイエス教など)
もちろんオリジナルも折り混ぜているでしょう。



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066●2015年5月4日22時14分書き始め
1993年10月1日発行 「統一教会の現象学的考察」 ジョージ・D・クリサイディス
株式会社 新評論 月森左知・訳 152ページ要約↓
1945~1946年 文鮮明氏 金百文氏のイスラエル修道院に信者として在籍
1952年 原理原本 文鮮明著
1954年 聖神神学 金百文(キム・ぺクムン)著
1958年 キリスト教根本原理 金百文著
↑ 金百文氏が製本化する前に、文鮮明氏が先に世に出したので、どちらが先か判りにくくなっています
   が、あくまで金百文氏がオリジナル(先)です。
文鮮明氏はイスラエル修道院内でもっと高い地位が与えられると期待したらしいですが、実際は
“荒野”を意味するクァンヤ→クァンハエ教会(ピョンヤンでの野外集会支部)を任されただけだったので、
イスラエル修道院を出たのが実情のようです。
↑ このことを統一教会的に記すならば・・・
「金百文氏が洗礼ヨハネの使命を果たせなかった」 となるのでしょうね。


080●2015年6月1日10時6分書き始め
金オンピル氏が糖尿病の合併症で亡くなる直前に、とある日本人幹部にもらした本音の話を
最近聞くことが出来ました。
「文鮮明という男は、近づけば近づく程、メシアかどうか判らなかった」
だそうです。このことは、統一原理的に言えば、「三弟子の不信」にあたり、基台が立たなかった
事になり、イエス様同様に文鮮明氏も殺される運命にあったことを意味しています。
「ルーシェル、ユダ・・・癌で闘病中のピーター金氏、、、←7番目のサタン」 だそうです。
   ↑
これが何を意味するのかは、噂が流れてくるまで もう少し時間がかかるものと思われます。


084●2015年7月1日13時10分書き始め
統一教会を信じている霊能者に、金オンピル氏が啓示してきたそうで
「六マリアの件を話さないと、文鮮明氏は地獄から解放されない」
という噂が流れてきましたが、遺族による実体の謝罪が一番必要なのではないでしょうか?。


085●2015年7月1日13時13分書き始め
1800の元大幹部が言うには、
「金オンピル先生は晩年 はっきりと文鮮明氏を信じていないと表明していた。
 それに対し 久保木会長は晩年 相当 意識が遠のいていたにも関わらず、ハッキリした
 意志を表明しなかった」
と教えてくれました。 つまり、元祖・宗教サラリーマンは 久保木修己元会長だったのです。


埼玉の777の調査によると、金百文氏から 「原理原本の元となる書き物」 を借りた文鮮明氏は
約束の期限を超えてでも借り続け、必死でその書き物を書き写しとったそうです。(だからと言って、「文鮮明氏が偽物」 ということにはなりません)
「これで天下が取れる!」
と、邪心による動機で流布してしまったことが、複雑な女性関係の失敗につながったと思われます。
http://benkyoc.blog.fc2.com/blog-entry-89.html


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匿名さんのコメント...
<3弟子金オンピルの側近氏の証言>
ご無沙汰しております。最近、UC周辺で色々な動きがありますが、可なり確かなセミナーに参加して聞いた内容です。
何か参考になれば幸いです。また、色々と利用して貰っても結構です。拡散OKです。
以下は私の感想を交えた、意訳的な要約です…UCに何があったのかはわかりませんが、本当に反省しないと、組織も摂理とやらも崩壊するよ、と言いたいですね。もう崩壊してますが。文某おじさんが無能なのか、なんの組織も作らず、メンテナンスもしてないものだから、
ついて来たメンバーも人生ボロボロでしょう。摂理の成就も何もかももないでしょう。
献金だけがあるだけで、みんな裏切られたと思ってますよ。最近、金オンピル(3弟子)の秘書のようなことをしていた人が、盛んに講演をしていますが、金さんの遺言として講演をしているようです。

①文某おじさんはメシアではない、という事。
相当恨みと悔恨を金オンピルが持っていたこと。死の前に霊能者のような人に文某はメシアではないことを宣告、宣言してから霊界に行かないと地獄にいくよ、と言われていたため に、相当の恐怖と焦りがあったようです。
その金の遺言の実践として講演をしていること(文某の非メシア性の)

②6マリアの件は事実であること。
(10代20代30代40代50代60代の女性と血分をして、結果的に二人の子供が生まれたこと等は全て事実)その一人がサムエル。
初期には血分が行われていたこと。幹部の複数の証言がある。一部の幹部も同じ。
同罪だからよく秘密を守る。知っていても何も言わない。これは罪深いね。

③文某の子供も文某をメシアではないと言っていたこと。おそらくほとんどの文某の子供はメシアではないと心では思っている事。
実際に、秘書さんはある人、本人から聞いている。証言がある。
なぜそのようなことを告白することを決意できたかと言えば、日本のメンバの過酷な献金奴隷状態に対しての疑問と良心から。ひどすぎるから。また、そのお金の 使い道もあまりにもいい加減なのを見ている。
もちろん、見てなくても結果を見ればわかるはずです。何も摂理的成果はないから。箱モノがあるだけ。
そこには横領、贅沢、賄賂、不正蓄財、k国幹部の腐敗が現実に在ったし、本人(秘書)が見ている。
それを見たら子供の立場で疑問に思うでしょう。(絶対独裁は絶対的に堕落すること、UCも例外ではない)
いつかその蕩減(償い)が来るだろうという恐怖。当然死後にも来るでしょうね。3弟子であろうと。
純粋な日本メンバーを騙し、苦労させ、自分では良い生活をしていた。文某おじさん。
(自殺者累計数百人の証言も、そのセミナーであった)そのことは事実なのです。しかも、そのような自殺が起きたことに対して何の反省もない組織であり、改良もないこと。まともでない。
普通のまともな組織なら自殺者一人でも出れば、大変なことであるし、反省もし、対策を考え、制度を変えたり、何かをするのですが、何もせず、黙殺と、自己責任で処理しますね。その統計も実はありません。
これは驚くべきことですよ。(しかし伝え聞いた事実の個人的情報だけでも、数十人は実際聞いている。)
まさにブラックです。それだけでも、UCの組織には愛想をつかしても問題ないでしょう。

④それ以外にも文某おじさんの血分のような事実があるという事。意外とk国幹部たちは知っている、と同時にしていると言う証言。
(k国幹部よ全て告白してから霊界に行けよ、そうでないと地獄に行くかも)(笑い)

⑤原理はかなりの部分、金百文からの盗作という事。これは反対派の本にも古くから書いてありましたが、かなりのレベルのk国幹部が言っているという事が重要。オンピルも言っている事。実際、金百文から本を借りてきたのはオンピルだったらしい。
今後、金百文原本を翻訳して暴露するとのこと。


⑥オンピルはお金献金(免罪符と同じ)で霊界解放とか救われるとかの話には絶対反対であったとのこと。
その良心の呵責が深刻だったとのこと。恐ろしいほどの内的な葛藤があったようです。
この話は、かなりのレベルの人の誠実な証言です。しっかり考えましょう。方向性としては、献金は直ちにやめる。早めに卒業する。日本UCを生まれ変わらせk国UCとも、各国UCとも縁を切ること。
日本独自の正当的理性的保守の団体を作り、出直すこと。これしかないでしょう。結果的には文某おじさんはただ、日本をいじめ抜いただけ(これが蕩減か:笑 い)であったという事。
文某おばさんも同じだから気を付けること。文の子供も同じ。普通の人間だから。

⑦付録。文おばさんが、自分の事を、独生女として文おじさんより神格化してますが(笑い)ここまでくると、原理もメシア性も解体した事が、はっきりしたことは確かだと思われます。m(_ _)m大変長くなり、申し訳ありません。特に二世君はここには何もないから早めに卒業することを薦めます。特に日本人にはUCの本質は反日的韓日併合謀略があるという事を知ってください。
2015年8月2日 1:16
http://dailycult.blogspot.kr/2015/07/blog-post_3.html


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<韓国語原文>
초원(初園) 김백문(金百文)이 남긴 세 권의 저서 가운데, 성신신학(聖神神學) 서론에 보면 김백문은 ‘요한의 신학관(神學觀)’을 통하여 삼위일체(三位一體) 되신 하느님의 삼위(성부, 성자, 성신)가 일체적으로 기독교구원(基督敎救援)의 역사’를 도모하시는데 구약 시대는 성부가, 신약 시대는 성자가, 그리고 종말 시대에 성신이 각각 시대적으로 역사한다고 보았다. 그리고 성령의 인격화에 대해서도 기술하고 있다. 또한 이 책에서 언급한 기독교삼원리서(基督敎三原理書)와 인류타락의 근본적인 원인을 기초하여 흥미로운 사실 하나를 추론할 수 있다. 그것은 ‘스승 김백문의 사상을 통일교 문선명이 자신의 계시로 도용하여 사용하고 있다는 주장’에 대해 뒷받침할 수 있는 근거이다. 그리고 박정화는 『야록 통일교회사』에서 ‘김백문의 이스라엘 수도원에 최선길과 함께 다니던 문선명이 김백문의 논리를 그대로 도용했으며, 유효민이 도용한 것을 논리적으로 정리해 주었다’고 한다.
『初園・金百文が残した三冊の著書のうち、聖神神学の序論をみると金百文は「ヨハネの神学観」を通して三位一体になった神の三位(聖父、聖子、聖神(聖霊))が一体的にキリスト教救援の役事を図るのに、旧約時代は聖父が、新約時代は聖子が、そして終末時代に聖神(聖霊)がそれぞれ時代的に役事すると見た。そして聖霊の人格化に対しても記述している。またこの本で言及した基督教三原理書と人類堕落の根本的な原因に基づいて興味深い事実を一つ推論することができる。それは「師匠金百文の思想を統一教文鮮明が自分の啓示として盗用して使用しているという主張」に対して裏付けることができる根拠である。 そして朴正華は『野録・統一教会史』で「金百文のイスラエル修道院に崔先吉とともに通った文鮮明が金百文の論理をそのまま盗用し、劉孝元が盗用したのを論理的に整理した」と言う。』
(中略)
수도원을 시작한 지 2개월 쯤 되었을 때 문용명(현 문선명으로 개명함)이라는 20대 중반(25세)의 한 청년이 찾아왔다. 상도동 집회소가 생겼는데 간판은 ‘야소교(耶蘇敎) 이스라엘 수도원 서울교회’로 달았고, 문선명이 자신의 집에서 신혼살림을 했다고 말하는 임남순 여인에 의하면 그때 자신의 나이가 16살이었다. 상도동 집회소에는 40~50명 정도가 모였는데, 문선명은 집회 기간 중 발길로 성전 벽을 걷어차고서 아프다고 울고 불며 뒹굴고 소란을 피우니 초원 김백문이 다가가 ‘성령감화를 인격적으로 받아 자신을 다스려야지 제 몸 하나 주체하지 못하고 타인을 괴롭게 하는 것은 참신도가 아니며 참 신앙자가 될 수 없다’고 책망을 했다. 또한 문선명은 김백문이 1952년 부산 동래에서 피난 중 집필하던 원고 『타락, 복귀원리』를 보고 원고교정을 봐 드리겠다고 가지고 가서 6개월 이상 가져오지 않는 소동을 일으키기도 하였다.
『修道院を始めてから2ヶ月程過ぎた時、文龍明(現 文鮮明に改名する)という 20代半ば(25歳)の一青年が訪ねて来た。上道洞集会所ができたが、看板は「耶蘇教イスラエル修道院ソウル教会」として付け、文鮮明が自分の家で新婚生活をしていたと言うイム・ナムスン女史は当時16歳であった。上道洞集会所には40~50人くらいが集まったが、文鮮明は集会期間中で足で聖殿(礼拝堂)の壁を蹴飛ばして、痛いと泣きわめいて寝転んで騒ぎ立てていると、初園・金百文が近付いて「聖霊感化を人格的に受けて自分を治めなくてはならない。自分の身一つもコントロールできずに他人に迷惑をかけるのは真の信徒ではなく、真の信仰者になれない」と叱責した。また文鮮明は金百文が 1952年釜山東来で避難中に執筆した原稿『堕落、復帰原理』を見て、「原稿校正を見て差し上げる」と持って行って6ヶ月以上持って来ない騒動を起こしたりした。』(中略)
서울로 상경한 문선명은 흑석동에서 경성상공실무학교 전기과에 입학을 하였다. 그러나 문선명은 학업보다는 이용도의 예수교회와 북아현동에 있는 오순절 교회에 출석하면서 신비주의에 심취하였다.
『ソウルに上京した文鮮明は黒石洞で京城商工実務学校電気科に入学をした。しかし文鮮明は学業よりは李龍道のイエス教会と北阿峴洞にある五旬節教会(※ペンテコステ教会)に出席しながら神秘主義に心酔した。』
(中略)
그 후 1950년 6.25 전쟁이 일어나고, UN군에 의해 10월 14일에 흥남감옥에 있던 문선명은 석방이 된다.(中略)중국군의 개입으로 다시 1951년 1월 3일에 부산으로 피난을 떠난다. 앞에서 언급하였듯이 문선명은 부산 동래에서 피난하던 시절에 김백문을 찾아가 집필하던『타락, 복귀원리』원고를 교정해주겠다고 가져갔고, 통일교를 창립하는데 지대한 역할을 한 박정화도 자신의 고백서인 『야록 통일교회사』에서 ‘통일교 핵심교리인 「창조, 타락, 복귀」는 문선명이 김백문의 논리를 그대로 도용했으며, 문선명의 부인 최선길이 가지고 다니다가 후에 유효원에 의해 정리되어 책으로 출간한 것’이라고 밝히고 있다.
『その後1950年に6.25戦争が起こって、UN軍によって10月14日に興南監獄にいた文鮮明は釈放される。(中略)中国軍の介入で再び1951年1月3日に釜山に避難する。先程言及したように文鮮明は釜山東来で避難した時に金百文を訪ねて執筆した『堕落、復帰原理』の原稿を校正してあげると言って持って行き、統一教を創立するのに大きな役割果たした朴正華も自身の告白書である 『野録・統一教会史』で「統一校の核心教理である『創造、堕落、復帰』は文鮮明が金百文の論理をそのまま盗用しており、文鮮明の妻・崔先吉がそれを持ち歩いていたが、後に劉孝元によって整理されて本として出刊したもの」と明らかにしている。』
http://www.amennews.com/news/articleView.html?idxno=8687


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原理原本は1951年5月11日に真のお父様が直接記録し始めた。1952年5月10日完了された。
実際の原理原本の表題は「記録」となっている。原理原本は全五巻になっている。すなわち、「記録第壱巻」「記録第弐巻」「記録第参巻」「記録第四巻」「記録第五巻」になっている。

原理原本が執筆された場所は一ヶ所でなく、いろいろな所だ。その記録場所の変更経路を見ると次のようになっている。
初凉の労動者収容所 ⇒ 釜山市槐亭洞の金元徳氏の家 ⇒ ボンネッコルの張屋 ⇒ ボンネッコルの土壁の家
(초량의 노동자 수용소 →괴정동 김원덕씨 집 →범냇골 장옥 →범냇골 토담집)

原理原本の完成はボンネッコルの土壁の家で成り立ちました。一般的に私たちはボンネッコルの土壁の家で原理原本を執筆したことだけ知っています。しかし、実像は、原理原本執筆は上記のような場所に変更路を経てきた点ですね。
http://cafe.naver.com/sunmooncarpcenter.cafe?iframe_url=/ArticleRead.nhn%3Farticleid=189&

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