真の母候補の崔淳実が去った後、いつ頃、韓鶴子が選定されたのか | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

単なるメモ(み言葉の資料)です。

<韓鶴子との聖婚が正式に決まったのが、聖婚式の1ヶ月前>
『きょう私たちが記念している聖婚式が挙行されたのは、一九六〇年四月十一日(陰暦三月十六日)でした。聖婚日の一カ月前に、お父様が夢に現れ、神様からの特別な啓示を受けました。
 「その日が近づいたので、準備しなさい」と、啓示が下りたのです。
その時から、いわば天が求婚をしたというより、天の訓令が下されました。訓令があった時、私は完全に自我を離れた立場に置かれました。私はその時、天の摂理でなければ、そのような大きなことを判断することはできないと思ったので、無私になる以外にありませんでした。そして祈祷せざるを得ませんでした。
 「今まで私はみこころ意のままに生きてまいりました。今、神様のみ意が何であったとしても、神様の摂理の目的がどのようなものであったとしても、私はあなたのしもべ僕として、どんなことでも命じられるままに従います」。啓示に対して、このように誓いました。それは、私が十八歳(数え)の時の春二月ごろでした。』

(2008年発刊「真の母の七年路程と日本」より 真のお母様の証 1977年5月3日)

『残念ながら、私の父(文教祖)の過度な性欲のために、他の女性との意図していない妊娠が数回おきてしまい、私の父(文教祖)に向けた私の叔母(崔淳実)の信仰は徐々に弱くなって、最終的に彼女は1959年後半の公式的な約婚後にすぐに統一教会を去ってしまいました。(中略)
彼は「天の予定」を守って1960年の春、彼は40歳になるときに結婚しなければなりませんでした。統一教会の信徒たちは40数が重大な宇宙の重要性を持つと信じて、彼は短い時間で花嫁を見つけなければなりませんでした、約4ヶ月内にです。』

(文教祖の隠し子「朴サムエル氏」の講演)

『(お母様が)十七歳になった時、ちょうどエバの年齢ですが、「文教主の相対者が現れた」と、あらゆる霊能者が騒ぎました。しかし三月一日(陰暦)の約婚式の日が近づいても、相対者がいないのです。真のお父様も天も、あせっておられました。摂理として子羊の婚宴をしなければなりません。(中略)それから毎日毎日、啓示が来ました。三月一日(陰暦)の約婚式は決まっていましたが、相対者はまだだれにも決まっておらず、私だけが知っていました。(中略)それで真のお父様は、「お前の娘をすぐに連れてこい」と私に言われたのです。そして教会で真のお父様と対面がありました。真のお父様は、そこで心の内面的なものを調べられたのです。九時間もそこに座り続けで質問されました。私は真のお母様が大胆に答えられる姿を見て、その芯の強さにびっくりしました。
 真のお父様は「きょうからあなたに良い家庭教師をつけてあげましょう」と、真のお母様に言われ、私を外に出し、崔元福先生を呼ばれました。それから三月一日までの一か月間、真のお母様は崔元福先生に侍りながら暮らしました。食事の時、崔元福先生とお母様が食べているのを見て、みな「あの子はだれだろう」と言い合っていましたが、信仰のある人たちは「あの方は意味のある方に違いない」と思っていました。
 三月一日(陰暦)に約婚式を行い、三月十六日(陰暦)には、昼と晩の二回聖婚式がありました。』

(洪順愛大母様の証 1973年12月21日 東京教会(「続・清平特別祈祷修練会の手引き」より))


<崔淳実が離れた1959年10月ごろから真の母候補を探し始める>
一九五九年十月のある日、池承道ハルモニが私を呼びました。(中略)「先生の約婚式があるから服を作らなければならない」と言うのです。「では、どなたがその相手なのですか」と聞くと、「誰それの娘です」と答えました。「本当ですか。では、某氏はだめですか」と聞くと、「あの方は年を取ったのでだめです。エバは十六歳で堕落したので、二十歳前の娘でなければなりません」と言いました。(中略)そのことがあってから二か月後、先生の許可を得ました。こうして私は七年間のお祈りの末、お母様を探し当てることができたのでした。天は祈る者には与えてくださり、韓鶴子嬢をお母様として迎えるようになりました。』
(1992年1月号ファミリー 洪順愛の腹中教からの友人である呉永春の証)

「某氏ではだめですか」の某氏とは崔淳実のことだと思われます。当時、信者の間では崔淳実と文教祖が結婚するのは周知の事実だったようです。



<既婚者にもかかわらず自分は独身だという文教祖>
皆さんも知っているように一九六〇年の聖婚以前は、約十五年以上も先生は独身で、ひたすら使命を果たすことのみを考えていました。しかし原理を知っている者はだれでも、原理的に明らかなこととして、先生がいつかは結婚されるということを知っていました。そしてだれも彼も皆が「あなたも天の花嫁の候補者になれる」という啓示をそれぞれに受けたのです。「あなたも……」「あなたも……」と。そこでいわばものすごい競争が起こったわけです。』
(真の御父母様聖婚十七周年記念式典でのみ言葉 1977年2月23日 米国・ベルベディア)



<崔淳華の「天然色の啓示」とは嘘で実は「文教祖とセ*クス儀式のこと」(文教祖に処女を奪われる)>
『国際市場から出て、叔母について影島にある統一教会に行きました。あとから知ったことですが、そこは申聖黙氏の家であり、劉孝元先生と劉孝敏氏、そして劉孝永氏たちが、一九五三年十二月二十四日に入教し、真のお父様が修練会をしていらっしゃるときでした。(中略)午後に、しばらく休む時間がありましたが、見るといつの間にか高校生が前に来て、座っていました。その人が、天然色で啓示を受けるという崔スンファ(崔淳華)さんでした。真のお父様は、崔スンファさんに「あなた、何か受けましたか?」と聞かれると、何かを答えていました。』
(2005年6月号ファミリー 金明煕の証)

『『私の母(崔淳華)と文鮮明師との関係は、文鮮明師が(当時高校生だった)17歳の母を強制的に犯し彼女の処女を奪った1953年から始まりました。』
(文教祖の隠し子「朴サムエル氏」の講演)

統一教会の信者の証での「夢」という表現の中には「文教祖とのセ*クス」の隠語として使用する場合があるので注意して読んでください。

洪順愛大母様も統一教会に入信する前、腹中教信者だったとき平壌(安州ではない)で文教祖の夢を二回も見て、すでに文教祖の顔を知っていたといいます。



<なんで崔淳実・淳華姉妹との聖婚摂理を隠蔽したんだ、この嘘つきめ!と思った人はクリック!>