文教祖は清平の先祖解怨役事の後継者を立てろと言ったが、利権を独占したい金孝南は拒否した | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■文教祖は金さえ儲かれば金孝南でなくても誰でもよかった

1980年後半、霊感商法が社会問題化して献金が激減したうえに、さらに統一教会仏教部の天地正教も二代目の新谷教主が献金額問題で不信して分裂。そのため天地正教からの献金も信者も激減します。その受け皿として、1995年から始めた清平の先祖解怨役事は、当初霊能者三人(金孝南、韓貞子、他一名)で始めましたが、最終的には金孝南が清平利権を掌握しました。
金孝南が権力を増大していく中、文教組が権力分散の為に金英順など清平の後継者を立てようとしましたが、金孝南に拒否され、あえなく撃沈。
しかし最近、20年間、清平利権を支配してきた金孝南一族を、鶴子夫人が追放し鶴子夫人がその座に君臨することに成功しました。
多いときで年間数百億円も稼いでいた「ドル箱先祖解怨」の争奪戦は、今後は「鶴子夫人vs七男(亨進)」に移ろうとしています。

2000年以降のみ言葉です。

<清平役事も後継者を育てながらいかなければ>
『清平だけでもそうです。金長老(金孝南)が一人で(解怨役事を)やっていますが、死んだらどうなりますか? 他の者がすることができないではありませんか? 教育して後継者を育てていかなければなりません。自分たちだけが一番だと「清平でなければだめだ!」といいますが、とんでもありません! 天地がなければならないというべきで、清平役事でなければならないという考えをしてはいけないというのです。天地を自分たちが包摂することができる基準になっていません。全体の方向性が。

霊通人たちは次元を中心として方向と自己位置がかなり違います。東の人がいれば、いくら多くても西の人とは違います。しかし中央を中心として東側と西側に分かれるのです。中央に入ってくると中心を中心として一つになるのです。自分が中心でなければならないというので、問題が生じるのです。霊通人たちは100人であれば100人すべて問題が生じるのです。自分を中心として第一主義を考えているのです。中央を中心として第一主義にならなければなりません。

そのため自分の後継者を育てていかなければなりません。一年も春夏秋冬があれば春夏秋冬の色を消化することができることが...。一年というのは中央を中心になって回るので、春が過ぎれば夏が来て、夏が過ぎれば秋になって、秋が過ぎれば冬になるのです。それでまた(季節が)帰るのです。

これ(中央)が移動すると、どのなりますか? 冬だけになったらどうなりますか? 春だけになったらどうなりますか? 東と西とが一つになるためには、中央がなければなりません。中央がなければ一つになれません。くっ付いたら壊れます。霊通人たちが全体を知らないために会うようになれば、東と西が必要なのにもかかわらず「私は正しくお前は間違っているので私に屈服しろ!」といいますが、これではいけません。

(「私は私一人ではあまりにも大変なのですべて任せられればいいと思っています。(金孝南長老)」)だから後継者を育てなければならないのです。(「ところで育てることは、そんな簡単ではありません。(金孝南長老)」)簡単でなければ...。自分(金孝南)が死んだら終わりなのです。(「ところで皆がわかろうとしていません。(金孝南長老)」)わかるように、霊感が通じる人がいたら育てていかなければいけません。そのような人(※解怨できる霊能者)を育てていかなければなりません。(「私も肉体の限界があるため、あまりにも大変です。(金孝南長老)」)しかし大概は「私の言葉を聞け!」といいます。

そのため、そのような世界を代表して(霊界に)通じる人たちを数百人連れてきて別に指導しろというのです、自分(金孝南)が。(「霊界を知っている人を...(金孝南長老)」)おい、霊界を知っている人がどこにいますか? 霊界を教えるのです。(「はい、ですから教えてあげながらやれば、既存の自分が仕えているその霊にはよくないのです。自分がその霊を絶対的な善霊として作るべきなのですが、それでこれをできません。(金孝南長老)」)

(「文鮮明先生御言選集」325巻より)

このみ言葉が語られてのちに、金孝南(当時は長老)と文教祖がどのような取引があったのか、文教祖は金孝南氏に2000年9月25日に「訓母」という称号を与えます。
(これは金孝南を信者たちが「大母様」と呼ぶのを止めようとした意図もあったと思われます。)

金英順霊能者を清平に入れ込もうとしましたが、これも失敗。

『今年に入って、金英順をみて...。それで私は一昨日、清平に行ったとき金英順をサポートするようにいいましたが、(清平の幹部たちは)ここに合わないといって反対して。そうしてはいけないといいました。』
(「文鮮明先生御言選集」341巻より)

文教祖は後継者がいなければ、先祖解怨から出る献金も上がってこないと思ったのか、後継者育成はあきらめたのでしょう。

その後は、文教祖は日本での「祈願祭」「祈願書」などの集金システムを新たに構築して、金孝南訓母を日本人の集金のためにフル活用します。
利権を独占できなければ、うまく使えばいいと思ったのでしょう。



(2008年3月14日 清平訓読会でのみ言葉)

『ヤンチャンシク!(「はい」)2億を今年中にならなければいけません。わかりましたか?
・・・16億(ドル)の基金(献金)を作るという約束をしませんでしたか?しましたか、しませんでしたか?(「しました」)・・・16億(ドル)を作るように措置しなさい。・・・(金孝南)訓母先生!(「はい、やります、お父様」)やりますか、やりませんか?(「やります」)日本から叱責しなければなりません。・・・そう、(日本で)慰霊祭(祈願祭)をやっていたのをなぜやめたのですか? 劉正玉(総会長)、やめてはいけないと言ったのに、なぜやめたのですか?(「16リージョンをすべてやったのでもう...(金孝南)」)私は劉正玉に聞いたのです。なぜやめましたか? (笑)なぜ笑う?正直に言いなさい。(「清平からその間、今までしていたそれを終わらせなさいといわれて、それで...」)私はやれと言いました。(「祈願書を受けるのですか、浄火式をするように麗水でこの前、私にみ言葉を下さったのですが... (金孝南)」)(「その(清平の)浄火式ではなくて、今やっている(日本での祈願祭を)そのまま続けなさいというみ言葉です。 (劉正玉)」)』

(「文鮮明先生御言選集」462巻より)



<92~98代先祖解怨式における大母様のみ言葉 2004年9月23日>
天地人真の父母様が、今年(2004年)7月28日に清平に来られ「世界的に祈願書を書き、還元祈願礼式と還元祈願聖火式を実施するようにしなさい」とおっしゃいました。それで、私は「食口たちが清平に来て、先祖解怨式と先祖祝福式を行いさえすればよいのに、なぜ還元祈願礼式と還元祈願聖火式をやりなさいとおっしゃるのだろうか」と、最初は不思議に思いました。しかし、今回、祈願書を書き、還元祈願礼式と還元祈願聖火式を行うことは、今まで私が悩み、研究してきたことを解決することであるとわかったのです。 皆さんが一生懸命に霊を分立しているにもかかわらず、長い間解決できていないケースがあります。それは、先祖の悪い過去が余りにもたくさんあるので、早く解決することができないのです。そのような問題を解決するために、断食、徹夜祈祷、敬礼などを通して精誠を尽くさなければなりません。
 例えば、今、この手が悪いとすれば、手を治すことができる条件がある程度必要です。しかし、精誠を捧げるときに、何の雑念もなく、百パーセント条件を立てることができる食口はいません。一週間断食ならば、一週間の間、1分1秒もほかの雑念がなく、ひたすら「この問題を解決しなければならない」という思いだけがなければならないのに「ああ、お腹が空いた。断食が終わったら、おいしいものを食べよう」と、このような思いを持つようになります。そのようになれば、それは精製ではありません。また、徹夜祈祷するときも、完全に神様の心に焦点を合わせて徹夜で祈祷しなければならないのですが、うとうとすれば、それは精誠ではありません。敬礼するときも同様です。皆さんが捧げる精誠の中で、神様がお受けになることができる精誠を足してみればいくらにもなりません。それゆえに、精誠を捧げるためには何年も必要になるのです。ですから、皆さんに「精誠を捧げながら霊を整理しなさい」と話しているのです。ところが、真の父母様が「祈願書を書くようにしなさい」とおっしゃったのは、徹夜祈祷、敬礼、断食などの精誠条件を何の雑念もなく捧げるのが難しい食口のためだったのです。一枚、二枚、三枚と書くにつれて整理されていくのです。一度にやることは難しいので、真の父母様は「何度も祈願書を書かせてすべての問題を解いてあげなさい」とおっしゃるのです。
 例えば、食口の体の中に、精神病にする霊がいる場合があります。その霊が生きているときに、その食口の先祖のおじいさんが、八十年間その人をいじめて苦しめつづけ、結局死なせました。だとすれば、その苦しめた時間を計算すると、非常に長い時間になるのではありませんか。それらの内容が一つ一つ、一時間ならば一時間分、ひと月ならばひと月分、一年ならば一年分が、全体的に一つずつの塊となって、コンクリートの壁のようになっているのです。その壁を崩し、霊的な問題と堕落性を整理してくれるのが祈願書なのです。
 祈願書を一枚書けば、壁が一つ崩され、また一枚書けば、また崩されるのです。私たちの体の中にある先祖たちのすべての罪の歴史を整理してくれる祈願書です。言い換えれば、私たちの体の中にあるすべての悪い要素を聞いて取り除いてくれる祈願書です。したがって、結局自分自身と自分の家庭のための祈願書なのです。』
(「祈願書と絶対善霊」(大母様の御言ポケットブックシリーズ④)より)




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