【文鮮明自叙伝ベストセラーの嘘】信者に大量購入(430冊)を強要 | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

文鮮明自叙伝ベストセラーは統一教会組織が作り上げた嘘です。



<【ノルマは一人430冊】信者に大量購入を強制>


これは韓国在住の元信者の実体験による証言です。

自叙伝の思い出(1)
http://ameblo.jp/lm142250/entry-12041930874.html
突然 思い出したように 自叙伝の話です。

文鮮明の自叙伝の話をするくらいなら
カルト宗教にはまって 目覚めていく キラリ☆の
自叙伝を書いたほうが まだ 人を救えるのではないかと
本気で思っているわけですが・・・・(笑)

わたしの経験した 記憶が 消えてなくならないうちに
やっぱり 自叙伝の話しとして 書き残していたほうが
よいと思えたので 書くことにしました。

それで 自叙伝の摂理をしていたころ わたしは どんなシックだったのかを
あらかじめ インプットしておいてほしいのですが
現役時代は かなりまじめな シックとして 見られていたと思います。

心の中では 2001年辺りから 小さな不信というよりも
疑問の芽が出てきましたが それが 大きくなるのは
2005年以降です。

そのころも まだ 心の中を整理するくらいで 組織的に不信をしていた
わけではありません。
組織不信がはっきり出てくるのは 2009年の秋からです。

わたしは 伝道は嫌いだったので その代わりとして 適所は
ないかと探して 2世の教育を担当してきました。
8年くらい関わったことになります。
そして 小学生部と 幼稚部の 2世担当の総責任者に押されるまでに
なっていました。

でも すでに 不信の種が生じていたし やっぱりめんどくさいことが
いろいろ 回ってくるというのもわかっていたので
うんと言えずに 「じゃあ 来年(2011年)はしてね?」と言われて 
仕方なく OKはしましたが 2011年には 蚊帳の外の人間に
なっていました。

夫は98年には 教会総務に抜擢されるまで 信用がありましたが
会社に勤めて総務はきついと 年期を終えたら そうそうに 交代しましたが
その後 青年会長と 教会サッカー部の監督?という肩書きで
国際家庭親睦会の総務も任期をさらに延長して やってました。
そして ほとんど専属 礼拝の司会者もしてましたし
子供たちもそれなりだったので どこからみても 模範的な
祝福家庭の1つの中に 数えられていたと思います。

さて 前置きはそのくらいにしておきまして
どんな人間が見てきたこと していたことを 語っているのか
その背景だけは把握しておいてほしいと思ったのです。

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さて 自叙伝の摂理が始まったのは いつだったっけ?と
思い出そうとしますが 記憶にでてきません。
これは また 摂理的に詳しい方に 補足をしてもらうとして。

わたしは 自叙伝の摂理に関して 思い出せる限りの
記憶 思い出を 搾り出してみようと思います。

初めて 自叙伝がでると聞いたのは 礼拝でした。
そのころは でるらしい・・・という 話から 始まったと思います。

すでに わたしは 2世教育に忙しく そのころは ほとんど 教会に居ても
礼拝を聞いていませんでした。
だから 一連の流れがあったとしても わたしの場合は 少し
記憶が飛んでいるかもしれません。

自叙伝がでるらしいとは 聞いていましたが
いつの間にか 出版の記念パーティーのような動画を
礼拝で 流していて(遅く礼拝堂にはいるので 前後が見えてない
ところもあった)本当に出るんだ~と 少し 感動したようなことを
思い出します。

だけど 心の中では この本を買えとか言われるんだろうなと
嫌な予感はしていました。

「この本を使って伝道」という言葉も 聞いていましたから
「真の父母の本」のように 配れと言われることも うすうす感づいて
いました。

でも 最初は とにかく 書店に出たから 1冊買って見てほしいと
いう感じからでした。

やっぱり オトウサマの顔の出ている この本を持って
カウンターに行って お金を払うのは勇気が言ったと
リーダーも言ってました。

そうだろうよ・・・わたしは お金を出すのも嫌だけど
この本を もって カウンターに差し出すことを 考えたら
ちょっと嫌だなと思ったので 本を買うことが やや反強制に
なるまで 待っていようと思いました。

そのころ ちらちら 書店で買う姉妹も 現れましたが
そうしたら 「自叙伝を買う人は どこどこの書店で買ってね。
それでないと ベストセラーには カウントされないから。」
というような 言葉を聞くようになりました。

理由はわかりませんが とにかく ほかの書店で買った場合は
ベストセラーにカウントされないから せっかく買うんだったら
ちゃんと カウントされる書店で買ってねという 指示でした。

その次には ネットで買っても良いと 言われたので
送料がかかるかもしれないけど 店で買うよりはいいので
わたしは ネットで買うほうにしました。

わたしがこのときから ネットで本を買うことを覚えて
書店よりも 割り引かれるし ポイントがつくし 探すのも
簡単だということで 「yes24」を利用していますが
そのときは 「キョーボ」の方を使わないと ベストセラーに
カウントされないとか また 言われるので
そのために キョーボに登録して 自叙伝1冊だけ買いました。
その後は 一切利用していません。

とりあえず みんなが なにかしらの方法で
自叙伝を 1冊手に入れたかどうかの 時期に
次の摂理がやってきました。

でも きょんちゃんみたいな人はね・・・
大半のみんなが 動き出しても
しらないわ・・・って 感じでね 買わないんですよ。

買いに行くのもやだし ネットで買うって方法
わかんない~~しって。
本当に 上から がんがん言われて
やっと 1冊買うみたいな人も 多いですよ。

リーダーは そんな人のお尻をたたきながら
実績をあげていかないといけなくなるんです。



自叙伝の思い出(2)
http://ameblo.jp/lm142250/entry-12041982973.html

最初の1冊を ネットで購入したことを思えば
すでに わたしは み言葉と言われるものを
遠ざけにかかっていた時期に 入ってますね。

ネットに繋がれるようになって わたしは 普通のスピリチュアル系の
メルガマ ブログなんかを 読むようになっていて
こちらは とっても 癒され 心が軽く 体も緩むのに
み言葉を読み出すと 胸が苦しくなって 体が締められるような
感覚に襲われることを 感じ始めていました。

それで 信仰的なキラリ★は(どっちが 信仰的なのかわからないけど)
自叙伝を手にしたとき こういうのです。

「あなたが しばらく み言葉を 遠ざけたのは
多くの人の語る スピリチュアルなメッセージを勉強していくうちに
本当の意味で み言葉の深さを 改めて感じていくことが
できるようになるのではないかと言うので その日まで 
おいて置くだけなのだとかなんとか 言ってなかったっけ?
そろそろ 確かめてみる時期が 来たのではないか?」と。

わたしも 確かに・・・と 納得できたので
本を開いて 読んでみることにしました。

《はじめに》というような 部分だったかと思います。
今は 自叙伝が手元にないので 調べられませんが
たしか そこだけは 枠がついていて 4~5ページは 
あったような気がしますが・・・

そこを読んだとき わたしは 正直 これは 読みやすい!と 
思ったのですね。こういう文章だったら 最後まで 読めてしまうかも・・・と
期待したのですが 本文に入ってがっくり。

み言葉を 読んで感じるような 彼の傲慢さを ひけらかすような
文章 読んでいて面白くない・・・と 思いました。
これは読めないと 閉じました。

これが 編集の「力」か~~と 違った意味で 感動したことを
覚えています。

わたしは個人としては 読めないと思ったのですが
それでも キラリ★は 読まないといけないと思っていたようで
そこで 家族の訓読会で その本を取り上げて読むことにしました。

そうです、 わたしたちは 模範的なシックと言い切りましたが
家族で 5時の訓読会を やろうとし 実際に何ヶ月も続けた家庭は
まず なかったと思います。

朝の5時が難しいなと リタイアしたときも それでも
夜の時間に 家族が集まって訓読を 続けましたし
毎日できなくても 週に最低1回は 訓読会をするという形にして
何年か続けました。

自叙伝は 各自が 1ページづつ 1~2周りくらいのものでしたが
毎日続けたので やがて 1冊読み終えることができました。

しかしです・・・

自分の読んだページだけは 文字を負って 声を出して読むので
内容をまだ 把握できますし 夫の読んでくれるところが 一番
わかりやすかったと思うのですが 子供たちが読むところは 
意味がわからなかったりしました。眠くて 頭がぐるぐるしていたかも
しれませんし。

下の子は 幼稚園の終わりで やっと 文字を読み出したと 思ったら 
まあ その後は すぐにうまくなっていったほうなんですが 
文字がよく読めない時期だったので よく観察していたら 
1行飛ばして読んでいたり・・・あれれ

さて それを 前後したころだったと思いますが
UPF関係で 面(地域)の 代表をしている メンバーが
集められました。

わたしの面では やりたがりの夫婦が居てくれたおかげで
その人達が長く代表だったのですが 名前だけで どうも 全然 
役に立たないということで 責任者(6500双)が 夫に変えて
しまっていました。
そこの夫婦は 旦那さんよりも 奥さんの方が がんばる人でしたが
やっぱり 男だけ集めて会議したりしても 来なかったりするし
頼りないと思ったので 夫の方が使えると思って 交渉したみたいです。

「わたしに 相談もなく OKしたんだったら
1人で責任とってね(わたしは 知らないよ)」と 突き放していました。
なので UPFで呼び出されたときも わたしは いきませんでした。

そうしたら まず 面の代表が 自叙伝を何冊か買って
面長とか 学校の校長とか 著名人に先に 自叙伝を渡そうという
ことになったみたいです。
そのとき お前は何冊買えるか?つまり いくら分 金を出せるかと 
1人1人 聞かれたら 夫は 10冊と 言ったそうです。

それを見ていた リーダー(元リーダー)
後日 わたしのところに来て
「キラリちゃん あんたの 御主人 10冊って言ってたけど
大丈夫?」と 心配してくれました。

本当に いいリーダーでした。
「まあ 昔と違って 超ビンボーは 脱したので
よくないですが・・・まあ 仕方ないですね。」
とは 言ってみたものの 帰って 夫を 睨み付けましたよ。

でも わたしも それくらいは 仕方ないと本当に どこかで
思っていたので これで おしまいにしてほしいなと思いましたが
そうは いかないことも どこかで わかっていました。

さて その10冊は お金だけだして 面の責任者たちに
本は均等に分けられたので 渡す分担は 数冊だったと思います。

わたしは それを 学校の校長先生に渡しに行きました。
校長と 教頭先生だったかな?
1人はおられなかったので 渡してくださいと 預けてきたんだっけ?

あとは 近所のハラボジなんですが 昔学校の先生
そして 農協の組合長もされて 道徳推進会みたいな活動を
昔は積極にされていたという 有名な方らしかったので
その方なら 渡すに値するだろうと思って いきました。

文鮮明の顔写真を見て この人は 偉大な功績のある人物だと
いうように 賛美をされたので わたしは とっても
うれしくなったことを 思い出しましたが
それは 自分を否定されなかった 嬉しさも入っていたかもしれませんね。

でも 日本から嫁にきた 女性たちが いろいろ活動をしているのを
知って 文鮮明は良いことをしていると 勘違いしている
老人たちも 結構います。

最初は UPF関係の 代表者だけ 動いてみるという形でしたが 
それは 次第に 全シックの 活動へと 展開していきます。



自叙伝の思い出(3)
http://ameblo.jp/lm142250/entry-12041990541.html

この自叙伝の摂理が 始まる前から
韓国に居る 日本人たちは 江利川会長を中心として
日本婦人宣教師会(でしたっけ?) 組織を作って
韓国の教会の中の 別のある組織みたいな 動きをしていました。

江利川会長の命令は 教会長の命令よりも重いみたいな
ところがありました。

実際は 日本婦人会の組織と 各教会の組織の 二重の中で
管理されていましたが 
教会は 礼拝の出欠を 管理されるくらい 後には献金の金額まで
把握されることになるのでしょうか?しかし わたしが 居たころは
礼拝の出欠くらいが 個人的にデータ入力されて 中央で管理される
体制に入っていました。

ところが 日本婦人会の方は 細かい点数があって
いろいろなことが 管理されていました。

ですから 伝道部門では 自叙伝を買うと 何点
自叙伝を渡すと 何点
その人が 礼拝に参加すると何点という風に 決められて
伝道部門では 何点

物販の部門というのは 万物復帰系なのですが
愛協とかいう組織をつくり その品物を 買ったり 売ったりしたら
これまた 金額が点数になるわけです。

評価の対象は 伝道部門と 物販部門がありました。

各教会で それぞれ点数を競い うちの教会は何位と
順番を争っていました。

とくに ワースト3にはいると なにか 罰があったんでしょうか??
リーダーはそのときは 交代していて
適当にやってればいいじゃないですか?
なのに 上を目指そうとするんですよ!!

伝道部門は3位なのに 物販は尻から 2位だった
次は 物販もがんばろうとか 伝道部門1位を目指そう!!とか・・・
ほんとうに 江利川会長を小さくしたような
背は高く 大きな姉妹でしたが そんなリーダーで
みんな きゅうきゅうしているように、見えましたが
それが 御旨だと 信じているみたいでした。

教会の中では さらに 3つの区域 グループに分かれていて
日本人8人くらいがいたでしょうか?

その3つのグループの中でも 競わせるんですよ。
最下位の グループの中から リーダー会議に
教区本部の会議や ソウルの会議に行くときに
リーダーについて同行しなくては ならなかったり
そこで聞いていたことや感想を あとで 教会に戻って
会議報告のときに 発表させたり。

中でも 最下位のグループの誰が行くかとなれば
時間の余裕のある姉妹が 代表していくこともありましたが
そのグループでも 一番実績を出していない人に
まず声がかかり 罰ゲームみたいな感じでしたね。

でも そんな人に限って?
「これから 神様と オトウサマのために 一生懸命
がんばらないといけないと 思いました!」とか
ありきたりな (わたしの聞きたくないことを)言うんですよ。

言っている姉妹は 感化されて 本当に そう思っているのか
あくまで 言わされているのかわかりませんが・・・・
聞いている方は ホント 気持ち悪かったです。

だから わたしも 最下位だけは 避けたいと どうも
そこだけは 力が抜けませんでした。

でも 幸い夫が本を人に渡すことには 抵抗がないみたいで
今日だれだれに渡したと 聞けば 日本婦人会の方には
自叙伝渡したので 今日は何点と報告をいれることが
できて 夫に感謝していました。
報告もネットを使って 掲示板に上げて 各自が申告する
みたいな形をとってましたよ。お互いに集計が楽ですから。

さて わたしの教会は 自叙伝の実績は よい方だったんですけど。
それには ある理由があると思います。



自叙伝の思い出(4)
http://ameblo.jp/lm142250/entry-12042015891.html

わたしの 教会の自叙伝の 実績がよかった理由
あれは たぶん 出だしのスタートにあったと思います。

あるとき 証会という名目だったかな?
とにかく 全シック集まれと 集合がかかります。

だから 日本人と中心になる韓国人先輩は来ていました。

どこぞの市の あるコンサニムが 夢を見て・・・という
話から 証は始まりました。

とにかく その夢では 自叙伝を430冊配らないと
大変なことになるという夢で その夢のあと
実際に 活動して 渡し始めてみると 奇跡的なことが
おきて 喜ばれたとかそういう 証でした。

もし わたしが その夢を実際に見たのなら
わたしも がんばるかもしれないけど
それは あなたの夢で わたしの夢ではないわ~~という
出だしから 冷たい目線で いらいらしながら 聞いていたと
思います。

こんなことのために 呼び出したのか!?と 少し
怒っていました。

そのころは 1家庭430冊ということが 言われ始めていましたので
とうとう そこまで来たかと思いました。

その婦人は 430冊を 配ったということでした。
それで 運勢があがってきているので 早く その運勢を
相続したほうがいいので・・・と 教会長の知り合いだったのかも
しれませんが・・・・
早めに うちの教会にも来てくれと アポイントをとっていたのでした。

えらいことを してくれたもんだ・・・と思いました。

1冊15000wくらい ネットで13500wでしたっけ?
だから 430冊なんて トンでもないと思っていたのです。

ところが その証会の 一番 いやらしいことは
その話の後に 紙を回してきて 何冊するか決意した数を
書けということでした。

まさか・・・日本人は 馬鹿だから 430冊と言われれば
430冊を目標とか 書いちゃうんじゃないだろうね・・・・と
人のことを心配しながら。

本当は 430冊と書かなくちゃいけないのかしら?とキラリ★は
迷っていたみたいですが キラリ☆の方は 半分怒っていました。

こんな話を聞かせたあと 決意しろって いつもの
教会のパターンよね。脅し式じゃなかったら
お涙頂戴!みたいな!!!!

それで 夫の出した 10冊分は すでにしたと自分では
思っていたので それも考慮して 43冊と書きました。
差し引き あと30冊ばかり・・・・まあ それくらいはしなきゃと
本気で思っていましたし 仕方ないするしかないと思いました。

あとから 知ったことですが
なんと ほかのメンバーも それなりの 数を書いていたようで
430冊さつと 書いたのは 若い姉妹 数人だけだったみたいです。
あとで よばれて 本気でやる気なのか?と 確認されたみたいです。

長く韓国に居ると みんな それなりに 韓国ナイズされてくるんだなと
なぜか安心しました。でも 現実離れした 目標ほど 放り投げて
しまうものですから 低いハードルを 超えるようにした方が
いいですよね・・・。

目標を達成した頃に また お尻をたたけばいいのですから・・・。
わたしは そうなることも 感じていました。
最後は どうしても 430冊まで やらそうとすることも・・・。

だけど わたしは あくまで43冊 それで十分と 腹をくくりました。
腹をくくったというよりは いつまでも 同じようなことをして
献金させたりする 教会のやりかたには 正直飽き飽きして
いたのです。

とにかく その証会の お陰で シックはしっかりと 
自叙伝の摂理の重要性みたいなものを 植えつけられ
本の注文も早くに始めたので ほかの教会に火がつく前から
すでに走り出していたのです。

そのうち まとめて本を注文したら割引になるとか言って 
教会は ダンボールの山になりました。
車がなくて 家に持って帰れない人 
車があっても 家に持ち込んだら 夫が怒り出す人など
教会の礼拝堂が 倉庫のようになっていました。

わたしたちは まとめ買いをするときに 無理せず 注文の
追加をして そして 夫もせっせと 友人に渡していましたし
いつしか 43冊は クリヤーしてしまいました。

しかし 女性が一人でやるときは もしくは 目標をもっと
高く立てている人は 誰に上げていいかわからないので
ペアになって 市場の店を練り歩きながら 自叙伝を
わたした人もいました。

その1人が リーダーでしたが 不思議なことに
大量にばら撒けとは すぐには 言いませんでしたね。

でも そのうち 隣の教会では 駅前に人が多いので
そこで ちらしのように 自叙伝を配って 430冊を
勝利する日本人が 数名出たということで
続け~~!!ということになりました。

しかし 隣の市の駅前と違って うちには 駅なんか
ありませんし バスターミナルっても 人は限られている・・・

それで 各面の里の 里長に送ったり 面の事務所 
教会 寺・・・そういうところに 郵送することになりました。

本を買った上に 郵送費まで負担しなければならなくなりました。
しかし みんな 思っているわけです。
町に出て 人に渡すくらいなら 郵送費を負担して
それで 1冊配ったことにしたい!と。

みんな お金ないのにね・・・。
わたしも  そう思ったに違いないですが
わたしは その郵送の摂理に入った頃には
もう 43冊目標をしたから それ以上はしない!!

まだ 第一の目標に達成してない人は がんばってねと
冷たく見ていたと思います。

その頃は ヨスの摂理もかなりになってきていて
もう 終わった頃だったかな?

結局わたしは ヨスには参加しない不信仰者という レッテルも
つけられていることだし このレッテルを利用して
自叙伝はそれ以上はしないことにしました。

みんなも わたしたちが 一生懸命にやってるのに
キラリさんは しないのね・・・と おかしく思っていたと思いますが
ヨスの件で 散々 サタン扱いされて慣れてしまったので
平気になっていたのかもしれませんし・・・。

その頃は すでに 夫を落として 夫婦で 脱会の道を探して
いた時期にも入っていたので 平気でした。

そして みんなが かわいそうに思えていました。

そういえば 親を祝福するという摂理もありましたね。
韓国の親 親戚を 祝福しろということだったと思うのですが
日本の親はどうしたらいいですか?という 馬鹿な?(親思いの)
姉妹のお陰で 江利川会長を始め 幹部はしめたと
思ったようです。

書類に写真を貼って 献金を出せばいいそうで・・・
聖酒はどうやって飲ませるのかと言えば
写真に飲ませればいいそうで・・・・
それを信じているみんなが かわいそうでした。
というか ばっかじゃない~と思っていました。
そんな都合の良い話信じれるほうが おかしいよ。

夫の両親は わたしが韓国に来たときに 360万双に
参加していて トウゲン棒までしちゃいました。
嫁が無事に来たということで わたしをダシに使われ
両親も断りきれず 言われるがまま
受けてくださったんだろうと思います。

祝福が終わって数日した頃 教会長と 当時隊員をしていた姉妹に 
シアボジが 夕食を食事をおごってくださったことがありました。
嫁をよろしくってところだったんでしょうか?
そんな シアボジです。

その昔の祝福に参加していた お陰で 両親の祝福は パスしましたし
日本のお父さんは?と 押されましたけど
「祝福受けさせなくて 結構です。
(どうせ 受けても なんにもしないのに それで 天国に行けると
思っているほうが 都合がよすぎる。)
なんなら 旦那の方に聞いてください」と 振りましたが
夫もその辺は わかっているのでしょう
リーダーは せっせと 夫の方に言って 説得しようとしてましたが
そっちも むげに断っていたみたいです。
それで リーダーは あっさりあきらめてくれました。

そのあとですか・・・
日本の両親の顔写真がないけど どうしようとか
みんな 騒いでいました。
でも 楽しそうに キャーキャー言ってからから
それは それで いいのかな??
どうせ 払えと言われた献金も 一部しか払ってなくて
踏み倒していると思いますから お互い様ですね。

わたしが 教会を辞めたあとも 430冊の摂理は長く続き
かなり 本代が ディスカウントされたとも聞きました。
5000Wまで 落ちたって きょんちゃんは言ってたかな?

そして430冊をやりきった 姉妹が何人か 出てきたそうです。
それでも きょんちゃんは もしかしたら
わたしがやった 43冊も まだしてないかもしれない・・・と
今 そんな気がしてきました。

きょんちゃんも 信仰があるのかないのか 
繊細で傷つきやすいという割りには
すごく 図太い神経持っていると わたしは思います。

今度聞いてみよう~っと。
思い出したら また書きます。


おまけ

430冊を決意したら お金が入ってきたみたいな
証は ありましたよ。
子供の奨学金が入ってきて・・・・それ 子供に使わずに
本代に使ってしまったのね。ああ・・・。

あと 子供に絵本を買ってあげようよ 本を読んであげようよと
言ってた頃 どうせうちの子読まないし 高いし・・とか
言っていた姉妹 430冊やったというような噂を後で聞きました。
どうせ 読みもしない人に 自叙伝をあげるくらいなら
息子に 本買ってあげたほうが よっぽどよかったと思います。
子供 ぐれちゃったよ~~。



*************************

信者によって大量に無料配布(ばら撒き)された自叙伝はその後どうなったか。


<yongのブログ 2013年11月12日 12時00分00秒記事>
http://ameblo.jp/reikaonma/entry-11686235162.html

またまた出ました、
「平和を愛する世界人」の本。
これで、何冊目でしょうね?

うちは廃品回収をしているので、新聞紙やら段ボール箱
にまぎれて、時々運ばれてくるんです、この本。


ある時は、まとめて10冊以上段ボールごとやってきました。
こんなことして、自分たち自ら価値を落としてるのではないでしょうか?

「タダで配る」

いいの?それで。

そんなにすごい本なら、普通お金出すでしょ。
こんなことして喜ぶのって、出版社と印税を貰える人だけ。
それでもいまだに一人430冊配ろうと頑張ってるんだね、皆さんは。

私がもし自分の自叙伝を出版して、こんな扱いされてたら
悲しいけどな・・・・・

「配って」⇒「捨てられる」

捨てられるのを覚悟で、配ってる。
なんでそんな無駄なことをするのか?

これは、シックの教育による賜物ですよね。

「条件になる。」
「人事をつくせば・・・・」
「オトウサマの言われたことをすれば、背後の霊界が変わる。」

目に見えない世界の事だから、
信じる人には効果があるかもしれないけど。

でもそもそも、背後の霊界を変えるのって、
自分の思考次第なんだと思うけどね。

み旨を一生懸命したから、とか
清平で先祖解怨したから、とかで
背後の悪霊が変わるだなんて、
そんなこと原理講論には書いて無かったよね?

これは、時代の恩恵だって言いたいのかな?

本当の宇宙の法則は、
「自分の思考や感情がすべてを引き寄せている」
わけだから、逆だよね。

もしそういう悪い霊の所為で、物事がうまくいかないんだとしたら、
そういう悪い霊を引き寄せてるのは自分だってこと。

それなのに
「何かをしたら、背後が変わって、環境が変わる。」

最初に変えるべきなのは、
そういった御利益的考え方だと思うけど。

原理講論にもあったでしょ?
相対基準って。

そういった悪い霊と相対基準を結ばなければいいだけの話。
そんなものに影響を受けない自分になればいいだけの話。

なんだか、夫と上手くいかないことや、経済が上手くいかないことを
背後の霊界の所為にして、責任逃れしてるように見えるよ。

無駄なことに時間とお金を使うことより、
ご主人に良くしてあげるとか、お金の勉強してみるとか、
あとは、自分を見つめて、いつも心を穏やかにしているとか、
一番簡単なのが、何があっても「感謝」できる思考の習慣を身に着けること。
他力本願・ご利益宗教じゃ世界は変えられないよ。


<他力本願>
1阿弥陀仏の本願をいう(もっぱら阿弥陀の力にすがって極楽往生を願うこと。)
2転じて、もっぱら他人の力をあてにすること




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