【訂正】元・金明大総会長は430家庭ではなく、124家庭でした | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

【訂正】元・金明大総会長は430家庭ではなく、124家庭でした。
今まで過去記事の中で「430家庭」としていたものは、順次訂正しましので、ご了承ください。

金明大 - チョン・オクジャ(124家庭)


124家庭と、430家庭だと5年も祝福年度に違いがあります。
草創期の祝福双は5年の違いは大きいのです。
なぜなら36家庭、72家庭、124家庭くらいまでが「人類の祖先」の家庭と文教祖は言っていますから、文教祖との緊密な関係だということでしょうね。
1963.7.24 韓国 124家庭
1968.2.22 韓国 430家庭

金明大氏は、1993年に日本総会長に就任していて、就任前の1991年には文教祖の命を受けて日本において日本女性信者にチマチョゴリを着せて大阪(陽3/1)と東京(陰3/1)で「柳寛順行進」をさせています。
(参照:統一教会の反日活動(柳寛順による自虐史洗脳)


『金明大会長は、「1991年、日本の総会長の命を受け活動するときに『目的がはっきりすれば方法は万もある』という真の父母様の御言で答えを得て、目的を明らかにすることで、多くの成果を得ることができました。私たち皆が摂理的目的をはっきりさせながら、御旨を本部と教会を中心として必ず成し遂げましょう」と強調しました。』
(清平修練苑HP)
http://jp.cheongpyeong.org/news/view.asp?idx=1932&notice_id=news

日本に韓国人責任者が大量に入る下準備をしたのは、主に「在日シック+李基萬+金明大+小山田」なんですね。
(トゥデイズワールドジャパン 李基萬の証)

<世界平和統一家庭連合HPより>
김명대(천옥자/124가정) 전국순회부흥사 장모인 영육 축복가정 허선님권사께서(90세) 노환으로 聖和하셔서 안내 하여 드립니다.
http://www.ffwp.org/index.asp?mid=knews4&category_srl=0&menu_srl=64&listorder=5&parent_srl=&page=15&date=&document_srl=105741&act=boardview&div=list

특히 김명대, 천옥자(124) 가정의 믿음의 자녀 44가정이 참여하여 더 의미가 깊은 축복식이었다.
http://www.ffwp.org/index.asp?mid=news0301&category_srl=&menu_srl=&listorder=&parent_srl=&page=3&date=&document_srl=823180&act=boardview&div=list

『김명대가 왜 강원도에 가 있나?(「강원도입니다. 강원도 삼척 출신입니다.」)』(選集389)
『천옥자가 일본말로 센 다마고예요』(選集330)

なぜ金明大総会長を430家庭にしたのかは思い出せませんが、何か資料として見たんでしょうね。韓国の資料では124家庭になっていますし、大丈夫かと。日本の元信者も「124双」と表記していますね。

『黒田:1993年当時、金明大という124双の韓国人幹部が日本にやってきました。』
(統一教会の裏真実)
http://22448866.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=392729300&page=3


876 :神も仏も名無しさん:2008/10/01(水) 19:30:54 ID:c4Rh3tFI
自民党という一枚板の組織を作ってきたのが勝共だ
それが崩れてしまった以上、単なる派閥の集合体だ
ただ、本物のシック工作員は人知れず姻戚関係を作ったり
色仕掛けでたらし込んだ長老の懐に入り込んでいる
その意味では小沢もその一人であるから
自民民主の別はなくなっている、皆さんは知らないだろうが
大宅壮一が反ソウカ、反公明のキャンペーンを張ったとき
ブンはソウカの見方になり支援してしんぱしいを得るようにと
号令をかけた、それとともに多くのスパイをソウカにおくりこんだ
かれらはいまやソウカの大幹部になりきっている彼らはそう簡単に動かないが
その終わりの時には統一の戦士として殺戮の嵐を起こすことになるだろう。
つまりすべて地下に潜ってしまった、そして彼らこそ本物の
ブンの軍隊なのだ時がくるまで決して動かないし、気配すら悟られないようにしている。

880 :SDG ◆HbNFspnrQ2 :2008/10/01(水) 21:33:40 ID:R+EDzv7m
統一教会にとっては結局、
反共も純潔も、手段でしかありません。
目的は支配欲・権力欲を満足させる事。
女性を支配し、日本を支配し、世界を支配したい。
その為には手段を選びません。
反共を謳いながら自由主義・保守を蝕み、
純潔を謳いながら女性を性的な道具として利用しています。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1220017624/


統一教会の中にはもともと在日のシックもいたが、決して日本人とは協調・融和できなかったので、結局、日本統一教会の中に、日本シック向けの教会と、在日・韓国シック向けの教会を作ってしまった。
そこからはもう日本は韓国勢力にやられるしかなかった。
いまや韓国人に反対する幹部は駆逐された・・・。

<日本統一教会 李基萬企画本部長「私の信仰路程」より>
『一九八六年六月一日、真の父母様のみ言に従って、「統一の園」で(韓国)首都圏食口総会が開催されました。
集会が終わると、「国際家庭はすぐに中央修練院の大講堂に集合せよ」との司会者の案内がありました。
韓日家庭をはじめとする国際家庭の食口二百三十人余りが集まりました。在韓国際祝福家庭会の創立総会です。
真のお父様は私たち夫婦を含む数家庭に向かって、「すぐに日本に行って活動しなさい」と言われました。そして、「日本の食口たちに伝統的な信仰を教え、韓国語を教えなさい。そして在日僑胞を伝道しなさい」と、熱い願いを吐露されたのです。
私はその瞬間、日本行きを固く誓いました。

私よりも先に数人の韓日家庭の兄弟が日本に来ていましたが、彼らは経済基盤を築くために、難しい環境の中で職に就いていました。その意味で、公職者として、宣教のために日本に来た韓日家庭は私たちが初めてでした。
当時、日本に居住する韓日家庭は数えるほどしかいませんでしたから、久保木修己会長(当時)をはじめとする日本の指導者たちから特別の関心が寄せられていました。それで面談の時点では既に、私たち夫婦のミッションに関して論議を終えていたようでした。

在日の韓日・日韓家庭と僑胞が集う「成和中央教会」を設立

一九八六年八月末に私が家族と共に来日すると、先に来ていた韓日家庭たちが騒ぎ始めました。既に、礼拝をささげられる自分たちの教会を設立したいという声が上がっていて、私にその中心に立ってほしいというのです。
私がその要請を受けると、兄弟たちは待ってましたとばかり、「教会の建物を借りるために献金します」「伝道のためにビデオデッキを寄贈します」「韓国語を知らない韓日家庭の夫人や在日僑胞食口のために、通訳の奉仕をします」などと先を争って申し出てきました。彼らの燃え上がる情熱に接して、教会を設立するのは容易なことのように思えました。
韓国には「足のない言葉が千里を行く」ということわざがありますが、いつの間にかこの話が教会本部に届きました。本部の反応は、「何のためにそんな教会をつくるのか。それは真の父母様のみ意なのか。日本食口、韓日・日韓家庭、在日僑胞食口などと区別することなく、皆が一つになって礼拝をささげ、一緒に活動するほうがよいのではないか」というものでした。それも無理からぬことであったと思います。
このまま進めていくと大問題になると感じ、「時を待とう」と、韓日家庭の兄弟たちを説得しました。彼らは失望しながらも同意してくれました。
私は考えました。そして、在日の韓日・日韓祝福家庭や僑胞の食口を包容できる教会は、私たちが動機となるのではなく、教会本部の方針として設立されなければならないという結論に至ったのです。
一九八七年、真の父母様の願いを受けて、新しい摂理推進団体として「日韓人協会」が設立されました。在日の韓日・日韓家庭や僑胞が所属する団体です。私は「時が来た。絶好のチャンスだ」と思いました。

天に祈り、作戦を練った末、まず、韓国で十年以上にわたって活動された阿部知行(のりゆき)先輩(七七七双)を訪ねました。韓日家庭の生活状況と信仰の実態について報告したうえで、在日の韓日・日韓家庭や僑胞を対象とする教会設立が急務であることを訴えたのです。阿部先生は理解してくださり、全面的な協力を約束してくださいました。
次に、日韓人協会の初代理事長に任命された、在日僑胞の鄭時東(チョン・シドン)先輩(七七七双)を訪ねました。鄭時東先輩は「在日僑胞は日本社会で言い表すことのできない差別を受けてきましたが、残念ながら教会内にもその傾向があるのです」と前置きし、「ですから、韓日・日韓祝福家庭や僑胞食口が集う教会の必要性を痛感しています」と言われました。さらに、真の父母様の在日僑胞に対する切実な愛、日本がエバ国家として選ばれた条件の一つが七十万人の在日僑胞の存在であることなどを熱く語られたのです。

この二人の先輩に会って、私は千軍万馬の味方を得た気持ちになりました。やがてこのお二人を通して、私たちの願いが小山田秀生副会長(当時)に伝えられました。驚いたことに、小山田副会長の霊の親は在日僑胞のかたでした。また、ご自身も独学で韓国語を勉強して見事に使いこなすまでになっていらっしゃいます。さらに、自身の子女たちを東京韓國學校(新宿)に通わせ、韓国留学に送るなど、日本の教会内でも最も韓国と親密な関係を持っているかただったのです。
その小山田副会長が間に入って、在日の韓日・日韓家庭および僑胞食口を対象とする教会を設立したい旨を真の父母様に報告してくださったのです。真の父母様は喜んで許可し、祝福までしてくださいました。
私たちの考えと計画がみ旨と摂理にかなったものであるという確証を得て、私たちは安堵し、喜びにあふれて、真の父母様に感謝をささげました。

新しい教会の名称は「成和中央教会」と決めました。韓国統一教会の草創期は成和学生と成和青年たちが主軸でした。彼らは激しい迫害の中、不毛とも思える環境の中で闘いながら、開拓伝道をしてきました。その不屈の精神を継承し、この日本の地で強く雄々しく宣教の道を開いていこうという意志を、「成和」という言葉に込めたのです。』


日本の統一教会は、最初から韓国人に乗っ取られる運命だったわけか・・・。
文教祖は、じわりじわりと在日シックを介して韓国人を送り込んで、とうとう韓国人による日本統一教会を築いた、ってわけですか・・・。



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