真の子女(妍進、情進)と一般人(非原理)の結婚なのに日本からご祝儀献金1億円持参(゚д゚;) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

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<yosia621のブログより>
天正宮で祝福結婚式が行なわれ、日本からも100万円持参金を持って100名ほど参加した。
その祝福式とは既に皆様もご存じのように6女妍進(ヨンジン)氏と7女情進(ジョンジン)氏です。
清平スタッフによれば「結婚の条件として清平40修が提示されたので仕方なく参加しているようで扱いに困る」ともらしていました。
本部からの正式見解は中々出せないと思います。
鮮文大学の呉教授(神様の夫人、花嫁論を提唱し講義している人です)は「一般人も救われる救いの道を開いたという神学解釈」をして、この解釈を日本に説明(講義)したいと日本本部に申しいれがあったみたいですが、流石に日本本部の人も断ったようです。
しかし、名だたる講師陣の方や歴代の日本会長達も今回の韓総裁の「文家の2世と一般男性の恋愛結婚式」をどう理屈づけするか頭を悩ましてしるようです。この事をもってして原理や御言とかけ離れているとの認識はあるようです。(見解を出せない理由として理論崩壊しているのが今回の祝福式です)
でも御祝い金持参してちゃんと訪韓しているあたりが日本幹部が韓国本部や韓総裁に隷属している、忠犬である現れになっています。

http://ameblo.jp/yosia621/entry-11926685411.html
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サタン側(非原理)の人間と結婚することを祝えというのですか?
原則から外れていても金だけは貰う厚顔ぶり。
神って原理の神だと説明していたのに、都合のいいように原理がコロコロ変更される統一教会の神ってなんなんでしょうね。
地球の自転時間が毎日、神の気まぐれで変わってもいいってことですか???
そうしたら人間は死んでしまいますよ。

文教祖は以前、四女の恩進さんが祝福を破棄、離婚して一般男性と恋愛再婚した時は、文教祖は恩進さんの結婚式に参列しませんでした。

なぜなら非教会員の一世はいわゆる非原理圏の人間で「悪魔」だからです。
文教祖は教会員でもなく祝福を受けてもいない一般男性は「悪魔(サタン)」とみなします。
祝福を受けた一世でさえ長成期完成級で神の直接主管圏に入れない状態です。
それに祝福を受けても、一世が救われるのは、三代目の孫までが教会に完全に絶対服従して、かつ祝福を受けるまではお預けです。

ですから文教祖は非原理の男性と恋愛結婚した恩進さんのことはこのように言っていました。

『文氏(文鮮明一家)の娘たちが、娘が先生に何人ですか?誉進、恵進、仁進、恩進、善進、その次に妍進、情進の七人です。七善女です。みんなお父さんを好きながらも、お父さんの考え(み旨)は嫌いです。なぜ?女性たちは行く道の苦労が嫌いなのです。女性はそうでしょう?』
(「文鮮明先生み言葉選集」474巻より)

『娘たちは一人も残っていないのです。娘たちは一人も残らず、両親(文夫妻)のためだと言いながら、両親に反対しました。誉進がそうでした。恵進、二番目の娘は死んだのです。その次に仁進も反対しました。仁進の次の誰ですか? (「恩進です」) 恩進が反対し、四番目の娘(恩進)は、サタン世界に完全に引っ張られたのです(※祝福結婚を解消して一般人と結婚した)。その次に善進もそうだったでしょう?その次に誰ですか?妍進もそうでしょう。情進もそうでした。お母様はこれを知らないといけません。』
(「文鮮明先生み言葉選集」488巻より)

文教祖は恩進さんと再婚した結婚相手のことをサタン呼ばわりしています。

さらに一世と二世の祝福結婚だとしても、生まれてくる子供は三世ではなく、悪魔が悪魔扱いするそうです。
血統が複雑になるため、ある時期から「慰労祝福」もしないと宣言していましたし・・・。

血統重視をする文教祖の解釈では一世と二世の結婚はこうなります。

祝福されて、サタン世界と関係を持って、中間に生まれた子供をどうしますか。先生はこのことで非常に頭を痛めています。先生は手をつけません。自分が処罰するのです。道を間違った本人がやるのです。大変なことです。神様は夢にもそのようなことは思いたくありません。蕩減復帰のため、何千年を通してきた神様です。神様は夢にもそんなものを見たくはありません。地上にそんな姿を見たくないのです。
 先生も神様も手をつけたくありません。
自分の親、自分たちの手で片づけていくのです。処分の方法はその道しかありません。そういう結論にまで先生は達しています。兄弟でやった場合には怨讐として残るので、親として処分するのです。そうでない場合には、その子供と共に島流しにしてしまうのです。そういう時が来るでしょう。何の話か分かりますか。(「はい。」)
 地上でそういう世界を収拾できなかったとするならば、霊界で大変なことになります。地獄よりももっと悪いというのです。真の父母の骨肉を侵害した、完成圏の愛を蹂躙した場合、悪魔が悪魔扱いします。分かりましたか。祝福家庭!(「はい。」)でたらめな混血を許してはなりません。警告します。背後まできれいに収拾しなければならない統一教会の使命があります。
 フリーセックスで生まれ、親が知らない、親を知らない子供をどうしますか。親がいればそういう処罰もできるものを、親も知らないでそのままで消えていきます。真剣な話です。分かりましたか。祝福された者が再堕落して、その者がどこかへ行って結婚して、子供を生んで再び祝福受ける、そういう原則はありません。先生はそれを許したことはありません。

(第十一回愛勝日のみ言葉 1994年1月2日 漢南洞公館)

実はこのみ言葉を語ったのは、孝進氏や誉進さん、恩進さんの離婚問題が噴出する前です。
しかし、その後、真の子女も離婚、再婚者が出てしまうのですが。

神(二世)と悪魔(一世)と混血は原理にはない存在で、神も見たくないし、そういう存在はサタンもサタン視しするそうです。
では、真の子女が非原理の一般人と性関係して子供を産めば、また神の血統とサタンの血統の混血扱いでしょう。

李ヨハネ先生の説明だとこうなります。

『実に堕落したのちの天使長との愛と、神との本性の愛とに交わって、血統的に混血になったのです。』
(信仰生活シリーズ5 李ヨハネ著(36家庭))

サタン側の人間と体が交わってもダメですが、心情と愛が交わってもダメなわけです。

完全な神の血統になるためには祝福を受けたとしても三代もかかるとも言っていました。
神の血統圏に入るためには、実は三代かかるというより、文教祖の子孫と姻戚関係にならなければいけないというハードルがあるのですが・・・。

『だから君たちは、偽物として生まれたので、ハンダ付けして臨時に使う以外にはないのです。大変です。それが恨みだから、何とか甘柿に接ぎ木して三代以上過ぎないと、本当の実としては使えません。接ぎ木する以外にはないのです。それで接ぎ木して、甘柿の実を得ることはできるのです。神の倉庫に入って、神の御膳の近くに上がることができるのです。甘柿でないものは、本当は御膳に上がることはできないというのです。純粋な種類ではなく雑種であり、雑種には異物が含まれているのです。堕落したために、サタンの血統と神の血統が混血しているのです。それを何代かで清めないといけないのです。
(真の父母と重生 1993年12月20日)

血統重視ですから統一教会では自由恋愛も禁止です。それは真の子女も原理なのですから原則的には同じだったはすです。
一般人と恋愛して結婚した四女(恩進)の再婚相手は、最後まで文教祖は認めませんでした。
仁進さんも相手は信者でしたが、ダブル不倫を父親に認めてもらえませんでした。
妍進さん、情進さんの非原理一般人との結婚も文教祖の生前中は絶対に許さなかったので、文教祖の死後結婚できただけでしょう。

『それゆえに、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛が必要です。このように、神様の最も根本的な本質は、真の愛なのです。
 ですから、この真の愛と因縁を結ぶためには、神様と関係を結ばなければなりません。

 自分たちの父母がけんかせずに、仲良く暮らしているからといって、それを真の愛と言うことはできません。恋愛する若い男女が、お互いに命を懸けて愛し合っているからといって、それが真の愛ではないのです。
 神様が介在していないので、真の愛ではありません。真の愛は、必ず、神様を中心としなければなりません。神様の息子・娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければならないのです。

(真の愛はだれもが願う 1999年3月14日 ベルベディア) 

『ある男と女が熱烈な恋愛をして、「あなたなしでは生きていられない」と言って、結婚しようとする時、その愛が真の愛なのか、何の愛なのかということも分からないのです。これが重要です。』
(真の父母の日 1985年4月7日 ワールド・ミッション・センター)

これは若人たちに対して、恋愛してはいけない、とにかく男女関係をもってはいけないというのと同じです。恋愛すると学校に行っても、家にいても、どんな秩序であっても全部破綻させてしまうのです。ですからいけないというのです。愛する人になにかを買ってあげようとして、お母さんやお父さんからお金を借りたり、ときには泥棒したりするようになります。その次には他人のものまでも手をつけるようになります。このようなことが起こり得るので、法律を作り、秩序を破壊する者は法律によって刑務所にまで行くようにするのです。「私には法律は必要ない」と言えるでしょうか。このような原則をおいてみるとき、「法律は絶対に必要である」という観念を私たちはもたなければなりません。私たちは、次のことを知らなくてはなりません。なぜ神は統一教会に対して、してもよいことより、してはいけないことの方を多く定めたのかということです。
(勝者と敗者 1982年3月1日)

『「結婚も、父母の懐を離れて好きなようにしなさい」と言っています。この父母たちは、息子・娘が十六歳になって相対がいなければ、「おいおい、おまえは恋愛しなさい」と言っているのです。何が、デートですか? エデンの園で、神様が「デートしなさい」と言いましたか? そのように言っていれば、堕落したとしても問題がないでしょう。天使長はアダムよりもたくさん知っていました。そのために、堕落したのです。
(「天一国五年特別祝福」候補者(祝福二世)へのマッチング前のみ言葉 2005年2月8日 天宙清平修錬苑)

真の子女は神の愛を中心に非原理の一般人と恋愛したというのでしょうか。
教会員にはどう説明するのでしょうか。
啓示を受けて神が引き合わせたとでも嘘を並べ立てて説明するのでしょうか。
どんなに言い訳しても、文教祖の息子・娘は20歳までに韓国人と祝福を受けなければいけませんでしたが、受けなかったことはどう説明するのでしょうか。
真の子女が神の代身の文教祖の命令を聞かなかったのなら、血統転換の成果があったといえますか?
完成した人間から生まれても、神の命令に背くわけですから。
神の命令に背けること自体、サタンの子孫(堕落人間)だからだと説明してきたのは統一教会ですが・・・。
ということは真の子女もサタンの子女(堕落人間)ですか?

堕落したアダム・エバは未完成期(長成期完成級)までしかいけませんでしたが、文教祖は神の直接主管圏に到達した完成人間ではなかったですか?
そこから生まれた子供は神が直接主管する天の四位基台によってサタンの侵犯を受けないと説明したはずでしたが・・・。

文教祖も最後まで末の娘たちの祝福を受けることを望んでいました。
信者にもしめしがつきませんしね。
いくら言っても祝福を受けようとしないので、あきらめたのか息子(三男、四男)に妹の祝福を頼んでいました。
なぜ息子に末娘の祝福を託したのか・・・単純に「祝福権を移譲しているから」でしょう。
祝福権は真のアダムの子種(神の子種)を持っているもので無ければいけないので、間違っても女性である母親の鶴子夫人には祝福はできませんからね。

すべての真の子女を祝福させないと死んでも死にきれないでしょうね。
十二支派が完成しませんから。真の子女の反抗で予定が狂いまくりです。

『私たちの家庭(真の家庭)の悲惨な姿を誰よりもよく知っています。父が帰るためには、誰が助けなければいけないかということを考える際に、サウル王が八兄弟ですか?それを知ってますか?一番末っ子でしょ? 復帰しようとすれば、王権を復帰しようとすれば、末っ子を通して帰るのです。そう末娘! この娘(情進)は福を受けるというのに、二人の兄弟、国進と顕進が一つになって出て行って妹たちをよく育てていればそのようにならなかったのです。一番の問題は、お母様、お父様が一番心配なのは何でしょうか? (祝福を受けない)妍進、情進でしょ?捕まえて首に縄を付けてでも強制的に・・・お父様はそういうことはできない。君たち(国進、顕進)は強制的にしても大丈夫だ。
(「文鮮明先生み言葉選集」480巻より)


ですから原理講論では完成人間をこう説明しています。

『創造目的を完成した世界は、あたかも一人の人間のように、互いに有機的な関係をもつ組織社会であるから、個体の破滅は、直ちに全体的な破滅を招来するようになる。したがって、全体は個体の破滅を放任することができない。このように、創造目的を完成した世界においての創造本性から生ずる付随的な欲望は、人間の発展をもたらす要素とはなっても、決して堕落の要因とはなり得ないのである。』
(原理講論堕落論)

『したがって、この新しい真理が、人類の罪悪史を清算した新しい時代において建設するはずの新世界は、罪を犯そうとしても犯すことのできない世界となるのである。』
(原理講論総序)

『その世界は永遠の平和世界として築かれたはずであり、人類は子々孫々、神の直系の子女たちとして、神と直接に交流するのはもちろん、霊界に行った先祖たちとも自由自在に交流し、往来しながら幸福な生を享受したはずです。罪を犯したくても犯すことのできない絶対なる善主権の世界となったはずです。』
(2002年8月「天地父母統一安着生活圏大会」での講演文)

神様に似た人間先祖アダムとエバが、堕落せずに成長し完成して人類の父母の位置を確保していたならば、人類は彼らの姿を通して生きていらっしゃる神様の実存をいつでも認知できたのです。・・・・私たちが神様を生活の中で、直接、私たちの五官を通して感じ、神様の実存を知るようになって、初めて本当に神様を知ることになるのです。言い換えれば、神様の実存を体恤的に知らなければならないということです。このように、神様の実存を私たちの生活の中で直接、体恤して生きるようになれば、私たちは、自動的に神様のみ旨とは何かを瞬間瞬間に感じ知って、すべてのことに臨むようになり、罪を犯そうとしても犯すことのできない完成した人間の姿になるはずです。』
(神の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で2004年5月1日 韓国・鮮文大学校)

これらのみ言葉のように真の子女は神と直接話をして、霊界を行き来しながら幸せな生活を享受しているのでしょうか???
無原罪の人間は少なくとも神と会話できるため、神が悲しむような行動ができないため、罪を犯そうとしても犯すことのできないはずではなかったのでしょうか。

ですから、いいかげん実現もしない嘘の文教祖の作り話(妄想話)を信じさせて、信者に法外な献金(全財産)を出させるのはやめてほしいです。
一般的に嘘を言って金を出させるのは「詐欺」といわれます。





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