統一教会文鮮明教祖の元愛人と隠し子が20億円訴訟提起?(5) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

「統一教会文鮮明教祖の元愛人と隠し子が20億円訴訟提起?(4)」の続きです。


■元36家庭が語る血分け事件の真実

フライデー1993年9月3日発行
「血分け問題」に重大証言 韓国現地取材統一教会元最高幹部が激白「文鮮明教祖のウソ」より


「文鮮明の言い分はすべてウソ。あの事件は全部、女の問題だった」
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劉孝敏氏(72・写真中央)はジャーナリスト・萩原遼氏の前で手を大きく振りなら強い口調でこう断言した。

ソウル市内の自宅の庭で取材に応じる劉氏

劉氏は1954年に創立された統一教会の中で『36家庭』と呼ばれる幹部集団の一員だった人物だ。もちろん劉氏自身も最高幹部だったが20年前に脱会し、現在は銃器製造会社を経営している。

劉氏が語気荒く語っているのは、いわゆる「血分け問題」についてだ。血分けとは教祖である文氏がセ ックスを通して女性信者を救済する行為といわれ、最近では、俳優の中村敦夫氏が、「統一教会には血分けと呼ばれるセックスの儀式が存在した」と発言、これに対し、教会側が「事実無根」として告訴し、話題になった。

統一教会側は、「当教会には教義上にも実際にも血分けなるものは存在しない」と、全面否定している。

そもそもこの「血分け」が世間の口にのぼるようになったのは、劉氏の言う「あの事件」が契機になっている。1955年7月、文教祖と梨花女子大生や主婦との間にいかがわしい噂が相次ぎ、文氏を始め劉氏ら幹部6人が「不法監禁」などの疑いで逮捕された。3ヵ月の裁判の結果、文氏は無罪、劉氏には懲役8ヵ月の判決が下った。いわゆる「梨花女子大事件」である。

この事件に関する統一教会側の見解は、「文鮮明師らは、兵役拒否と不法監禁嫌疑で拘束されたが、裁判は兵役拒否で争われ、結局、文教祖は、この容疑でも無罪の判決が下った。したがって血分けはなかった」(牧瀬学広報部長)とのこと。

これ以降、1976年に「血分け」に関する文章を掲載した元教会員が実刑判決を受けたこと、1983年にも同じく「血分け」を批判したジャーナリストが教会員に損害賠償の支払いを命じられたことなどを例にあげ、「梨花女子大事件」の判例こそ「血分け」不在を主張する教会側の強い論拠である……としている。

ところがである。その裁判で実刑判決をうけた劉氏自らが、冒頭のように文氏らの主 張に反する証言をしたのだ。劉氏の対応は初めのうちは「まだその時期ではない」と硬かったが、徐々に重い口を開き、いくつかの重大な証言をした。

「人類の始祖のイブは、エデンの園でヘビとセックスして堕落した。だから、堕落した 人間の復帰も、セックスを通じて行わなければならないというのが統一教会の復帰原理です。教会では、その行為を“性役事(ソンヨクサ)”と言っています」

と「血分け」についての当時の定義を説明。さらに、文氏が無罪になった件も、

「それは、当の女性たちやその夫から告訴がなかったからです。やむなく検察側は、徴兵逃れのため年齢を偽った兵役法違反だけで起訴したのです。しかし、実際はすべて女との問題ですよ」

録音テープが回っているのを了承した上で、元最高幹部は、こう明言した。また萩原氏は、創立直後の会員で今はやはり脱会した作曲家の金徳振氏(80)からも、次のような血分け問題に関する証言を得た。「私は文鮮明氏に血分けされた女性と行為をすることによって、貴い血を受け継いだ。以来、私自身、16人の女性と血分けをしました。その女性がまた他の男性に血分けをする。数えてみたら、全部で72人になった。性のリレーですよ」

統一教会の「血分け」否定の根拠とされる「梨花女子大事件」に関する劉氏らのこの証言。当事者のものであるだけに、発言が投げかける波紋は大きい。

http://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/65016141604

上記の発言者は、元36家庭で3家庭の劉孝元氏のいとこでもある劉孝敏氏です。
1955年7月の梨花女性大事件の時に文教祖や金元弼氏と共に警察に逮捕されました。そのときにサムエルの母の姉の崔淳実(崔淳實)さんも「淫行媒介」の容疑で拘束されます。
実際に文教祖により実体での血統復帰儀式は行われていましたので、噂になるのも当然なのですが、現役信者は教会を守るために都合の悪いことがあると隠したり、嘘をつくことが信仰だと思っているのは昔も今も変わっていないようです。

「六マリアの悲劇」での劉孝敏氏の証言では

『文鮮明と統一協会の本質を物語る事件について、私はもう一つ具体的なことを証言しておきたい。
それは一九五五年の「七・四事件」、文鮮明と私たち幹部が逮捕された事件のことである。七月四日の文鮮明に続いて六日、私も逮捕された。逮捕理由は「兵役忌避容疑」。
私たちは口裏を合わせて、偽造に協力したと供述していたが、一方で文鮮明は「自分の知らない間に、弟子達が勝手にやったこと」と責任逃れを繰り返していた。
私たち弟子が“神さま”の年齢を勝手に変更などできるものではない。実際には、すべて文鮮明の指示に従ったまでだった。

ところで、この「兵役忌避容疑」は、文鮮明以下の幹部を逮捕し取り調べるための口実で、いわゆる別件逮捕だったことがまもなくわかった。捜査官の質問が日を追って、妙な方向へ移っていった。
「お前たち夫婦の仲はどうなのか?セ ックスは週に何回するのか?月に何回か?女の信者とは何回したか?…」私は「それが兵役忌避と何の関係があるのか」と大声でやり返し、捜査官と口論したこともあった。しかし、捜査官の調べは執拗で、机の上には文鮮明と女性食口たちの関係を書いた図を置き、セ ックス関係の確認を求めてきた。私は終始一貫、知らぬ存ぜぬで過ごしたが、内心ではその正確さに舌を巻いたものだった。留置場の中にいる私たちは、外の様子がよくわからなかったが、朴正華さんたちの隠蔽工作の結果か、調べを受げた女性たちは、「私は文鮮明先生と、やっていません」「私は夢の中で、セ ックスしたように思います」などと、適当に嘘を並べていた。警察はほぼ的確に、文鮮明を巡る女性たちの相関図をつかんでいたものの、本人の親告や亭主からの告訴を得られなかったため、この件での起訴立件をあきらめた---のが真相だった。だから「七・四事件」は単なる兵役忌避問題ではなく、統一協会の奥座敷に隠されたセックス問題の捜査が警察の狙いで、統一協会の言う「何もない無実の容疑」ではなく、「危うく事実が天下に公表されるのを、免れた」のである。ちなみにこのとき逮捕された幹部の留置番号は、文鮮明三九〇番、劉孝元三八〇番、劉孝永一七〇九番、私一一七五番だった。金元弼も逮捕され、彼だけが実刑の判決を受けて収監された。』

(朴正華著「六マリアの悲劇」p262より)


梨花女子大事件当時の記事(1955年7月15日京郷新聞記事)
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崔淳實さんが淫行媒介で拘束されています。「六マリアの悲劇」での記述は

『一九五五年七月四日、ついに文さんが拘束された。・・・五日には金元弼が拘束され、六日には劉孝敏、劉孝永、十三日には劉孝元が、そして十八日には女の李聖花(崔淳實)が拘束された。結局、文さんを含めて、六人が拘束されることになった。』
(朴正華著「六マリアの悲劇」p121より)

そして文鮮明教祖の母娘相姦を「六マリアの悲劇」ではこのように述べています。

『ところで文鮮明は、この(六マリアの一人の)辛貞順(李得三)の長女で処女の李聖花(崔淳實)を、将来はエバになる人だと言って犯したが、金永姫(金明煕の妊娠)事件でその嘘がばれてしまった。また次女の聖礼(崔淳花)も文鮮明から復帰(血統転換の性行為儀式)を受け、子供まで産むことになった。
辛貞順(李得三)は六マリアになれたことで、文鮮明のそばで永遠に平和な生活ができると思っていた。それで、釜山草梁洞にあった家を売り、文鮮明に捧げた。私が釜山で縄の商売を始めたとき、その資金を用意してくれたのも、やはり辛貞順(李得三)だった。
しかし母親と娘二人の母子三人が、文鮮明とセ ックスしてしまった事実は、辛貞順(李得三)を苦しめることになった。そして、それが原因でか病気になり、数年後に死んでしまった。
あの世に行った辛貞順(李得三)は、今の文鮮明をどう見ているのだろうか。』

(朴正華著「六マリアの悲劇」p152より)

『それにしても、文さん(文教祖)を巡る女性問題の続出には、さすがの私(朴正華)もまいっていた。復帰原理を口実に人妻も処女も、目の前に現れる女たちは遅かれ早かれ、文さん(文教祖)セ ックスする関係になった。そうなれば当然、夫や親は怒るだろう。なかには、母親と二人の娘の三人と関係したこともある。大事件に至らなかったのは、これも神のご守護なのだろうか?
・・・ところで、(ソウル鍾路区)清進洞の家から逃げ出した直後、文鮮明は李順哲とソウル本駅の前にある旅館に行き、霊的な儀式だという名目で、処女の李聖花(崔淳實)と復帰原理の儀式を行った。要するに三人はそこで、霊的な儀式ではなく、肉体的な儀式=セ ックスをしただけなのである。
厳格に言えば復帰の儀式は、その横で他の食口が証人として見ていなければならない。この日は李順哲が証人として協力した。李聖花(崔淳實)は処女だったので、将来は「子羊の儀式」をあげて、つまり正式に結婚して文鮮明の妻になれると思い込んでいた。事実、李順哲は李聖花(崔淳實)にこのとき、「未来のお母さまへ」と言って高価な指輪まで贈っているのだ。このことは、私が当事者の文鮮明から直接聞いたので、間違いない。』

(朴正華著「六マリアの悲劇」p87より)



■1950年代は文教祖は妻子がありながら、妻を無視して、女性信者と二人っきりでデートを楽しむ

1954年当時、文教祖は処女の三位基台の三人と関係を持ち、さらに三人には「将来はお前達は結婚できない」と言いました。

『一九五四年五月に、教会の看板を三つの門の家の前に付けました。・・・わたしも休学をしている状態であり、崔淳實さんも休学をしたため、わたしたちは大の仲良しになって教会に通いました。大学生が二人しかいなかったので、聖書と「原理」の勉強をしながら、毎日手をつないでくっついて歩きました。すると、真のお父様から、あまりにくっついて歩いていると言われ、しかられたりもしました。真のお父様は、「おまえたちは、今後結婚できない。おまえたちの後代の人々は結婚したとしても、おまえたちは祭物である。」とおっしゃいました。その言葉に、わたしたちは心の中で、“一生結婚できないのか。”と思いました。・・・淳實さんと、その妹とわたしを、真のお父様は三位基台として結んでくださいました。実際、崔淳實さんとわたしは、延世大学校の同期同窓でした。
(ファミリー2005年6月号 金明煕自身の証より)

この処女三位基台だったのが

金明煕(喜進の母、当時:延世大学の現役女子大生)
崔淳花(サムエルの母、崔淳実の妹、文教祖の妻(崔先吉)のいとこ、当時:高校生)
崔淳実(淫行媒介で拘束される、崔淳花の姉、文教祖の妻(崔先吉)のいとこ、当時:延世大学の現役女子大生)

それでは1954年当時、文教祖は妻がある身で不倫の関係にもかかわらず、複数の女性と映画を見たり関係を楽しむのです。文教祖の息子を産んだ金明煕さんはどのように証しているでしょうか。

『真のお父様が、崔淳實さんと出掛けられるときには、わざと怒らせるような言葉で、「明煕よ、すまない。わたしたちは映画を見に行ってくる。」と言って出掛けられました。また、淳實さんは、映画館に行ってくると、真のお父様がおっしゃった言葉をわたしに話してくれました。
 映画の中の女性の主人公を見ながら、「あれは明煕のようでしょう? まるで明煕のようだ。」とおっしゃったと言いました。そのような中で、淳實さんとわたしは教育を受けたのです。淳實さんと、その妹とわたしを、真のお父様は三位基台として結んでくださいました。実際、崔淳實さんとわたしは、延世大学校の同期同窓でした。』

(ファミリー2005年6月号 金明煕自身の証より)

そしてテモニムの証し本にも、当時の内容がこのように書かれています。

『しかし事情があって、大母様はすぐには行けず、十二月に大邱に行かれた。
・・・大邱に行くと、鄭錫天氏が次のように語った。
 「やっと私たちは主を見つけました。腹中教で服を準備して迎えようとしていたその方を、ついに見つけたのです。その方は大邱に来られて、み言を語られました。でも少し遅かったようです。み言を終えられて、ソウルに行かれました。腹中教での教えと全く同じことを教えます。その方は美男子の好青年で、歌もうまく歌うし、映画も見に行くし、言葉も巧みです
 そのような人間的な面があることに、大母様は多少意外さを覚えたが、どういうわけか心は確信に満ちていた。』

(「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)

テモニムの証し本には、上記のように「文教祖は映画を見に行く」といっていますが、実際、文教祖が女性信者とデートしたかに関しては「夢」だったとか「霊的体験」だったと誤魔化しています。

『真のお父様が四十歳を迎える三年前から、早くも真の愛の春風が吹いた。女性食口たちは皆、「自分が宇宙の母になる」という熱望の中で競い合った。女性たちは、エデンの園でエバが堕落することによって蹂躙した父・夫・兄の三大心情を、一人の本然の男性を通して復帰しなければならないので、真のお父様にお会いすると、恋しい思いがつのって夜も寝られないほどになった。婚約指輪をはめてもらったり、デートをしたりする、といった霊的体験をしながら、三代にわたる女性たちが、新婦の候補者という啓示を受けて競争し合った。
(「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より)

しかし実際には、夢ではなく現実に「結婚指輪をはめてもらったり」「デートをしたり」「映画を見たり」していたわけです。

文教祖は自分は不倫デートをしても、信者にはデートを禁止していました。

『それで男女がデートして、「アイ・ラブ・ユー」と言っては互いに抱き合って歩く姿は、堕落以後の行動でしょうか、堕落以前の行動でしょうか? (堕落したあとの行動です)。堕落以後に生じた邪悪に満ちた行動です。』
(第三十一回「子女の日」のみ言葉 1990年11月17日)

『この愚か者たち! 今、目がどこに走ったのですか? 「お父様なんて何だ。見るなら見て、見ないんなら見ないで…」と。このアメリカは滅びる国なのです。先生たちが教壇に立って、「皆さん、デートをしなさい。デートをしなさい。放課後になったら、全部パーティーなどをして踊りなさい」と言っているのです。これは、サタンが騒動を起こして、天の国の理想を根本的に破綻させるための作戦だというのです。』
(「 真なる子女の道」より 1984年7月10日のみ言葉)

文教祖と女性のデートはたとえ不倫でもOKですが、文教祖以外の男性はサタンの子供なので、デートの資格がないというのです。
それはラブレターも同様です。文教祖にラブレターを書くことOKですが、他の男性に書いたら罪です。

祝福前の申美植女史に真の夫である文教祖が「文教祖を恋人だと思って」ラブレターを書きなさいと指示しています。

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真のアダムを慕う心情
 私は先生をとても愛していました。でもその愛というのが、結局今思うと先生をとても苦しめていたのです。それはどういうことかというと、私の中にある一つのものを創り上げて、先生をその中に入れようとしていたのです。ですから先生から見ると、本当に次元が低くて苦しくてたまらない、というわけです。
 ある時先生が私に、「美植、お前ラブレターを書いたことがあるかね」とお尋ねになったことがありました。私は理知的な方でしたから、「あなたを愛しています」などと、とても恥ずかしくて言えないし、感情的にのめり込めない性分でした。だからもちろん、恋愛したこともなければ、ラブレターなど書いたこともないのです。先生もご存じの上で、そうおっしゃったのかもしれませんが、私が「書いたことありません」と答えると、先生は「一遍書いてみろ」とこうおっしゃるのです。それで私もその気になって、“私が愛しているのは先生だけだから”ということで、先生のためにラブレター……というよりも詩を書いて、それに花を添えて、先生のお部屋に持って行ったのです。そして知らん顔して下の部屋にいると、先生があとから下りて来られて、私の顔を見ながら「うん、お前か」とこうおっしゃるのです。でも、それ以上のことは何もおっしゃいませんでした。
 そのように、私はいつもうっとりとした夢見るような目をして、先生に付きまとっていました。そういう状態が何年も続いたのです。それである時先生が私に、「お前、先生の奥さんになりたいかね」とおっしゃるので、私はびっくりしてしまいました。私は先生をあまりにも偉い方だと思っていましたし、自分とは次元が違うと感じていましたから、「いいえ、そんなこと、夢にも思っていません」と答えました。すると先生はまた意外なことをおっしゃるのです。「いや思ってもいいんだよ。思ってもいいけども、お前がもっているそういう気持ちに対して、お前はそれがどこから来たのか、考えたことがあるのかな? そしてその気持ちに対して、頭を下げて感謝したことがあるのか?」。私は自分から湧き上がってくる気持ちがどこから来たか、など考えたこともないし、ましてや頭を下げたこともなかったので、不思議な気持ちで聞いていました。
 すると先生は、次のように説明してくださいました。
 「真のアダム(文教祖)に対して恋い焦がれるという、その美しさを愛してやまないという、その気持ちは堕落したお前から来たものでは決してない。それは永遠の初めに神がエバに与えたその中にあったものである。だからお前はそれを、本当に尊く思わなければならない」と。そして、「お前が先生を愛する、その気持ちは、お前だけのものではない。それはすべての女性が求めているものである。だからお前はそれを大事に育てなければならないし、それがお前だけのものではないことを知らなくてはならない。そういう思いでお前が先生を見る時は先生を喜ばせるけれど、自分のものだと思った場合には、かえって先生を苦しめることになるんだよ」とこういうふうに言われたのです。

(信仰と生命 36家庭申美植女史の証より)
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何度もいいますが、祝福は文教祖と妾である女性信者の結婚式です。
ですから三日行事(家庭出発)するまでに、どういう心情レベルにならなければいけないかというと、み言葉ではこう説明しています。

『しかし、お母様が現れ、女性解放をされたので、女性たちは、夫がどういうものかということが分かりました。お母様が、先生を中心として心情的な伝授をされたので、多くの女性たちは先生に属するようになったのです。男性は天使長です。エバが天使長を生んだように、女性が母の立場で自分の夫を生んであげなければなりません。
 四十日の聖別期間とは何でしょうか。堕落した女性(女性信者)が、本然的、霊的に新郎(文教祖)と一つになる期間です。一つにならないで息子(男性信者)を生むことはできません。父(文教祖)と母(女性信者)が一つになる立場に立たない限り、天使長(男性信者)を息子として生むことはできないのです。聖別期間がどれほど厳粛な期間であるのかを皆さんは分かっていません。皆、分からないまま過ぎてきました。分からなかったので大丈夫ですが、分かっていたら皆引っかかります。この期間は真の父母の実体につながる期間です。天と地すべてを相続することのできるパイプが連結される、この驚くべき恵みの時間を誰が分かったでしょうか。これは遊びではありません。原理を再度鑑定して、蕩減復帰の路程で、反対の経路で回っていくということを考えると確かなことです。』

(完全な家庭理想 1994年10月4日 漢南洞公館)

『ここにいる婦人たちに一つ聞いてみましょう。夢での啓示や祈祷の中で、先生に時々出会う人、手を挙げてみてください。下ろしてください。特に女性たちは、全部先生の指導を受けなければなりません。皆さんが精誠を尽くせば、教えてくれるようになっています。皆さんは、先生と連結されていなければなりません。それは、思うだけではいけません。祈祷すれば、必ず教えてくれるようになっています。夫婦が一心同体になって祈祷すれば、教えてくれるのです。先生に会いたくて涙し、本部に行きたくて気をもむ心、皆さんが思春期に感じたような、そういう心が生活圏内に深く根づいている、そのような家庭になってみてください。そうすれば、その家庭に神様が共におられるのです。』
(「祝福家庭と理想天国」より)

結婚初夜は誰としなければいけないかというと

『愛の関係を結んだとするならば、男と女の愛は東西を中心にして永遠に結ばれ、神様は南北を中心として縦的に、永遠に結ばれるのです。・・・だから、結婚の初夜の愛の関係を結ぶということは重大な事件です。男が初めて完成し、女が初めて完成するのです。旦那さんは、自分を完成してくれるお方です。・・・旦那さんは自分を完成させてくれる人です。女は半分です。旦那さんがいなかった場合には、完成されません。何によってかというと、旦那さんの愛によって完成するのです。
(真の父母と重生 1993年12月20日 韓国・済州研修院)

『では、皆さんはどのようにしなければならないのでしょうか? サタンによってなったために、来るべき主(文教祖)によって、これを復帰しなければなりません。先生に会えば先生の懐に抱かれて、赤ん坊のようになってみたくなるのです。他の所は願いません。赤ん坊のように、その次には兄弟のように、どこに行っても先生について行きたくなるのです。さらには男性でなく女性の場合には、まちがいなくそのようになります。公式がそうなのです。先生が行く所に行きたいのです
 その次は、その過程を過ぎれば新郎新婦時代です。そのような体験をします。皆さんが先生と一緒に眠ることもあるのです。アダムとエバが一緒にどれほど寝たことでしょうか? 夢うつつで夢のみ告げ中でそのようなことを経験するのです。かと言ってそんなに悪く考えてはなりません。心情的に失った内容を、再び蕩減条件によって回復しなければなりません。赤ん坊の心情、本然の心情を汚したことを解いて、真の神様の対象…、真のお父様を中心として、真の赤ん坊から、真の兄弟から始めなければならないのです。その次に真の夫婦です。アダムとエバが結婚しなければならないのです。真の夫婦の心情、真の父の心情です。これをすべてみな感じなければなりません。四大心情圏をなくしたために、これを復帰しなければ、真の父母の道を行くことができません。』

(「祖国光復と入籍」より 1997年4月17日のみ言葉)

「統一教会文鮮明教祖の元愛人と隠し子が20億円訴訟提起?(6)」に続く