文鮮明教祖の聖和式(昇華式) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■統一教会員の他界(死亡)は「昇和 → 昇華 → 聖和」、埋葬は「元殿式 → 原殿式」と名称を変えてきた。さらに同じ元号を二回も使い、以前の元号は無かったことにし、変える度に勝利したといい、自らの家庭も統一できず文教祖は亡くなったが、一体何を勝利したというのだろう。



■統一教会は霊界に送る聖和式(昇華式)のときに泣いたら負けですが、文夫人や真の子女は泣いていましたか?

『統一教会では人が死んだ時行う葬式のことを「昇華式」と言います。世の中では人が死んだ時、泣きながら「行かないように」と言います。それは綱で結んで引っ張る行為なのです。統一教会では、愛の力をもって押していくのです。引っ張るのではありません。夫や妻が死んだ時、その妻や夫は「行かないように」と泣くのではありません。もしお母様が亡くなったら、先生は涙を流すでしょうか。どうするでしょうか。笑うでしょうか。泣くでしょうか。興進が亡くなった時、先生は涙を流しませんでした。泣くことを先立ててはならなかったのです。その前に、収拾しておかなければならないことがあったからです。そこから、愛でもって死亡圏を越えた「愛勝日」が生まれたのです。』
(「祝福家庭子女二十一日修練会」でのみ言葉 1990年2月16日)

『堕落しなければ、人が死ぬことは幸福です。それで統一教会は、死を悲しみとして迎える教会になってはいけないと教えるのです。ですから「昇華式」と言うのです。』
(「礼節と儀式」より1990年2月21日のみ言葉)

またこのように言っていますよ。

『なぜ先生は真の愛を強調するかといえば、真の愛の原則を通らずにはあの世界(霊界)の運動が起こり得ないためです。(真の愛が無ければ)どこに行っても遮断されてしまうのです。「家和して万事成す」と言ったでしょう? 真の愛は宇宙の端から端まで互いに引っ張り合うと通じなくなってしまいます。与え合おうとして初めて通じるようになるのです。愛は与えれば与えるほど早く与えようとするのです。愛は与える考え方と共に、速度が速くなるのです。』
(「祝福家庭子女二十一日修練会」でのみ言葉 1990年2月16日)

「家和して万事成す」とならなければ、霊界で通じなくなると言っていますね。
文教祖の息子・娘たちは「家和して万事成す」になっていないとすると、何が真の愛で、何が真の家庭(理想家庭)だというのでしょう。

三男は父親の葬式にも参加できませんでしたし、故人(文教祖)の新聞広告(死亡欄)にも三男は遺族者扱いされず、葬式のときまで、憎み争っています。

葬儀のときも、埋葬のときも真の家庭の雰囲気は「喜んで霊界に送る」雰囲気だったでしょうか。もちろん愛する人が目の前から消えるということは、一般的解釈だと悲しむのは当然と思うでしょうが、統一教会では死亡は新しく霊界に生まれる新生の式でもあるわけです。

最終的な居場所である霊界で永遠に生きるとしているのが統一教会です。
全てに勝利し、完璧に完成されたメシアである父であり夫(文教祖)が霊界にやっと行ける晴れ晴れしい日であるのに、まったくそういう風に見えません。

文教祖も自分が死んだら、信者が離教するのではと心配していました。
しかし、文教祖が亡くなる前から、真の家庭は崩壊していて、血統転換による原罪清算を謳った結果は家庭統一(「家和して万事成す」)もできなかったため、結局、最終的目標の世界統一、天宙統一もできるはずがありません。

『先生がこの世にいるので、皆さんは先生を見つめていきますが、先生が霊界に行ったあとはどうしますか。今後、後代の統一教会は、どこへ行くでしょう。後代の統一教会は、先生の過ぎし日の歴史をそのままついてこようとするでしょう。ヤコブが行った道をイスラエルの一族が行かなければならないし、モーセが行った道をイスラエルの国が行かなければなりません。イエス様が行った道をキリスト教が行かなければならなかったように、今日、統一教会において、文先生が行った道を統一教会の食口たちが行かなければなりません。行かなければならないというのです。行かなければ渡り鳥と同じように、大洋を渡って南極と北極を通じさせることができないのです。飛んで行かなければなりません。』
(「人間の生と霊魂の世界」1986年3月9日のみ言葉)

もし文教祖の行く道、真の子女の行く道の行いを踏襲するというならば、「不倫や離婚」「兄妹分裂、家庭分裂」も踏襲すればいいですか?

『しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を間遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨の時には、必ずその摂理が成就されるようになっているからであり・・・』
(原理講論より)

宣言していた完成期の神の聖婚式もできないまま、亡くなりましたが・・・・。家庭完成もできず、聖婚式は三度目をしようとし、金婚式も三度し、世界の人々、英国BBCでは文教祖のことを「自称メシア」と紹介するし、摂理の成就って一体何なのでしょうか?


<原殿式(元殿式=埋葬)>
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