人を殴る血気怒気のある人はサタンが侵入します(by統一教会信仰指導書) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■真の家庭における殴る、蹴る等の暴力を振るう行為自体は、すでにサタンがその人間(真の子女や文教祖であっても)の中に侵入していて、サタンに主管・コントロールされている

統一教会の信仰指導書である「信仰生活シリーズ5 心情開拓/心霊を育てる生活原則(李耀翰 著)」では殴る等の血気、怒気は堕落性本性であり、その行為自体がサタンの血統を受け継いだ結果として現れたものとしています。

それでは「殴る」という血気、怒気を起こす文教祖や真の子女は血統転換されていない「ただの堕落人間」にとどまっているということになってしまいます。

統一原理で最初に学ぶのがこの「堕落性本性」ですので、統一信者の方はよくご存知のはずです。

原理講論では『人間始祖は堕落して原罪をもつようになるに従って、創造本性を完成することができず、堕落性本性をもつようになった。ゆえに、堕落人間がメシヤを迎えて、原罪を取り除き、創造本性を復帰するための「実体基台」を立てるためには、まずその「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てなければならないのである。』とあります。

統一教会の教えでは、原罪がない人間(文教祖や真の子女)はこの「堕落性本性」はないはずです。
(孝進氏の洪蘭淑元夫人が真の家庭の実態を暴露するまで、日本の末端信者は真の家庭は完璧だと思っていました)

真の子女は完全に原罪のない真の父母から生まれた「本然の人間」ではなかったでしょうか。

統一信者はまずサタンとエバの淫行による原罪を取り除き、その後、堕落性本性も克服できるように信仰してきたのではないでしょうか。

血気、怒気(カーッとなって殴ること等)も堕落性本性だと教えられ、人に対して怒りの思いさえも罪と捕らえてきた信者にとって、原罪のない真の家庭が血気、怒気を押さえられないとしたら、一体誰を目標にすればいいのでしょうか。

それともメシア家庭が「原罪のない本然の人間」ということ自体が嘘だったのでしょうか。


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主管性転倒(3)

 聖書に禁じてあるのも、このことに関してなのです。すなわち、不平、不安、血気、怒気ということで、これがサタンが人間の中に入る、入り口なのです。いつも怒らずに平和に、そして感謝、忠孝、忠誠、真心、謙遜を戒めとして示してくれているのです。結局、堕落性を脱ぐには、だれにつながって、どの立場において情を使うかということにおいて分別していかなくてはならないのです。
 情は、自分勝手に使うのではなく、神に使うか、あるいは、サタンに使うか、二通りしかないから、自分の情が神の立場にあればそれは平和であり、自らを考えずに、迫害されながらも喜んで感謝して行けるのです。怒られても、にこにこ笑う。すると向こうは、もっと赤くなって怒るのです。というのは、私の血気まで向こうで引き受けてしまうことになるからです。
 例えば、ある人が不平を十もってきて、私の五つの不平をもらいにくるのです。私がにこにこ笑うと、その人は十五になって、血気が強くなってしまうのです。しかし、もしここでその人に付き合って不快に思うと、五つをお互いに分配してしまうのです。分配してしまうから、けんかがすぐ終わってしまうのです。信仰する立場で反抗すれば、すぐその事件は終わって、自分もサタン主管圏内に入ってしまうことになるのです。もし、ここで忍んで笑って耐えるとすれば、向こうがサタンの部分を引き受けて、蕩減することになるのです。だから、よく血気早い人は、血気早い人に殴られるのです。しかし、謙遜な人は、血気早い人に殴られることはないのです。
 だから、この教会に来る前に、よく怒ったり、また人を殴ったりしたことのある人が来た時には、それ以上強い人に任せて、一度は袋だたきにしてしまうというような、そういう蕩減をするのです。
(信仰生活シリーズ5 心情開拓/心霊を育てる生活原則(李耀翰 著))
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上記の信仰指導内容中「だから、この教会に来る前に、よく怒ったり、また人を殴ったりしたことのある人が来た時には、それ以上強い人に任せて、一度は袋だたきにしてしまうというような、そういう蕩減をするのです。」という箇所があります。

人を愛で自然屈服させるより力で主従関係をわからせなさい、という李氏朝鮮時代から伝わる「儒教」の長幼の序の教えが発想の元になっているのが面白いです。(いわゆる上下関係の序列重視)

韓国は人格より権力・財力・地位に頭を下げる民族ですから、言いえて妙な表現です。
そういう考え方は日本人には合わないかもしれません。

中国人は韓国人の対し方をこのように忠告しています。

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【ある中国人からの忠告】

「馬鹿に情けをかけてはいけません。」
日本人は韓国人に対し、優しすぎます。それは日本の為に良くないことです。そして、韓国の為にも良くないです。
日本在住の中国人に話を聞きました・・・・。

韓国人は、「優しい」と「弱い」の区別が出来ません。また、「強い」と「悪い」と「正義」の区別も出来ないのです。韓国人と付き合うのはとても厄介です。中国人も韓国人とは関わりたくありません。しかし、我慢して付き合わなくてはいけない状況です。
韓国人は「対等」と言う概念を知しません。韓国人社会は個人同士、どちらが優位な位置に居るか? 
それが、最重要な関心事です。個人主義の中国人から見ても、異常性を感じる社会です。このような社会で生きる韓国人は、他人に対する思いやりや慈愛の精神は皆無です。したがって、日本人が普遍的に持っている「平等感」や「対等」と言う気持ちや態度は、韓国人は敗者の態度に見えてしまいます。
中国人は韓国人の軽薄な精神性をよく理解してますが、日本人は韓国人をあまり理解していません。日本人は韓国人が「まともな人間」だと思い、対応しているので、問題が発生するのです。
中国人から日本人に忠告します。
「韓国人は犬だと思って付き合いなさい」。それが韓国人のためでもあります。 
謝ってはいけません。
筋の通らない理屈を言ったら、100倍制裁をしなさい。
感謝の気持ちは、王が家来に褒美を与える様に接しなさい。
正論や理屈は意味がありません。強制と命令で動かしなさい。
裏切りにたいして、温情は絶対にいけません。
実行できない無理な命令を出して、出来ない事を責め続けなさい。

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(参考:各国の朝鮮人の扱い方

李耀翰(ヨハネ)先生も韓国人ですから韓国人の本性を知っていたのでしょう。
堕落性を脱ぐ行為は韓国人には特に必要なのかもしれません。