英国女性が見た日韓併合以前の朝鮮の女性の地位 | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

李氏朝鮮末期の状況が余りにも悲惨に描写されているため、著者イザベラ・バード女史の記述内容を改ざん(捏造)し、新たに韓国が「朝鮮紀行の改竄版」を出版しているそうです。
※参照「イザベラ・バードの朝鮮紀行を韓国が改竄か?」
内容が全く正反対の韓国版では当時のソウルは清潔で人々はとても快適かつ豊かに暮らしていると書かれているそうです。(韓国版は1997年に韓国延世大学から出版されたもの)
実際に読んだことがないので真相は、どうなんでしょうか?



イザベラ・バード著「朝鮮紀行—英国婦人の見た李朝末期」(時岡敬子訳/講談社 学術文庫)
<1894年から1897年にかけ、著者が4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れた旅行の記録で、当時の朝鮮の風俗、社会、政治情勢などを知ることのできる歴史的資料である。>

第二十九章 朝鮮の女性の地位
無尽台は風光明媚な環境にある村で、どこか心のなごむところがある。この地点までは小型の舟なら四季を通じて上がってくることができるが、商業活動はほとんど皆無である。
大同江はゆったりと広がり、それに面した丘陵は断崖をつくっている。船着場があり、馬もろとも渡し舟に乗りこんだわたしたちは大声で渡し守を呼んだ。まもなく渡し守は土手の上にあらわれたが、「いくら金をもらっても」舟を出すのはいやだと首を横に振るばかりである。「外国人に用はない」「日本人とは関わりたくない」とのこと! そこでこちらは自分たちで舟をこいで渡ったが、馬夫の腹を立てたことといったら、櫓を河に投げこんでしまった。

とてもきれいな田園地帯を抜け、ふたたび大同江を渡って、わたしたちは順川で休憩した。順川は郡庁所在地で、庁舎は嘆かわしいほど荒れていた。が、この郡庁の建物にも栄華を誇った時代はあったはずである。前庭は広々として、二重屋根の門楼も中央の殿舎もいまだに堂々としたたたずまいの名残をとどめていないわけではない。とはいえ、精巧に配された梁や彫刻をほどこした軒からはうるしや金箔がとうにはがれ落ち、内部を仕切る透かし細工の戸はどれも無残に壊れていた。

官衙の例にもれず、順川の郡庁のあたりには「雑卒」書士、破れた制服姿の兵士、しみひとつない白服を着た両班階級の若者が、群れをなしてそれぞれの地位にふさわしい足取りで歩いたり、ひまつぶししたりしており、荒れてわびしい郡庁内の部屋では小役人が長ギセルを吹かしたり花札に興じたりしていた。吏員がわんさといて、そこかしこに歩いていたり、書類を手に四方八方へ急いだり、大門開閉時に太鼓や笛を鳴らしたりしているところを見ると、朽ちた門の内側では一帝国の行政業務が行われているという雰囲気がなくもなかった。

兵士、書士、庁舎の雑卒、両班と文人階級の男たちにそこら辺のひま人が集まり、大声を張り上げるわ戸の紙を破るわであるから、わたしはうんざりする二時間を味わった。清国と同じようにおよそ野卑で無作法な文人階級の男たちを先導とする朝鮮人の野次馬は、ただただ耐えがたい。しまいにわたしは女たちの住まいのほうへこつそり引っ張っていかれたが、そこではまたべつの飽くことを知らぬ好奇心のえじきになった。

朝鮮の下層階級の女性は粗野で礼儀を知らず、日本のおなじ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からはおよそほど遠い。着ているものは汚れ放題で、夜遅くまで休みなく洗濯をするのは自分たちでも、きれいな衣服を着るのは男の専売特許と言わんばかりである。どこの小川のほとりでも平らな石の上にしゃがんでいる洗濯女がいて、洗濯物を水につけたり、固くしぼって石の上に置きへらでたたいたり、灰汁にひたしたりしている。洗濯物は天日にさらされて白くなり、また薄く糊づけされるが、その前に木の棒に巻いて「洗濯棒」で長時間たたくので、なんでもない白もめんがくたびれた白い繻子のようなつやを帯び、まぶしいほどのその白さはマルコによる福音書の変容の章にある衣服についてのことば、「それはこの世の布さらしではできないほどの白さであった」をいつもわたしに思い出させる。このように白服を着ることは女性に重労働を課し、綿入れの白服を着る冬はとくにそれがひどい。コートは洗うたびにほどいては仕立て直さなければならず、長いはぎめは一部糊でくっつけるとはいえ、縫わなければならない部分がたんとある。

このほか農家の女性は家族の衣類すべてをととのえ、料理のいっさいをやり、重い杵と臼を使って精米し、作物を頭に載せて市場へ運び、水をくみ、辺地では田畑で働き、朝は早く起き夜は遅く寝て、糸をつむぎ機を織り、たいがい子だくさんで、しかもその子供は三歳になるまで乳離れしない。
農家の女性にはなんの楽しみもないといえるかもしれない。仕事の一部を嫁に肩代わりしてもらえる日が来るまでは、働きづくめに働くばかりである。三〇歳で五〇歳に見え、四〇歳になればたいがい歯がない。おしゃれへの関心すらごく若いうちから消えてしまう。日々の雑用以外に思いがそれるとすればおそらく鬼神のことくらいで、自然界のどこにでも宿ると考えられる鬼神をなだめるのは農家の女性の特別大事な仕事なのである。

朝鮮女性の地位の現状を推しはかるのはじつにむずかしい。完全に蟄居するのが上流階級では厳然としたルールなのである。女性には専用の敷地と住まいがあり、男性用の住まいの窓はその方向に開いてはいけないことになっている。客も訪ねた家の女性についてはいっさい言及してはならない。元気かどうか尋ねるなどもってのほかで、女性はいないと考えるのが礼儀なのである。女性は教育を受けず、どの階級においてもきわめて下位に見なされている。朝鮮人男性は女性とは当然男性より劣ったものだという、ある種二元的な哲学を持っている。学校時代に『童蒙先習』、『十八史略』、『小学』でこういった見方を植えつけられ、おとなの男たちとつきあうようになると、それがますます強化されるわけである。

女性の蟄居は五〇〇年前、社会腐敗がひどかった時代に家族を保護するために現王朝が導入した。それがおそらく今日までずっとつづいてきたのは、ある朝鮮人がヒーバー・ジョーンズ氏に率直に語っているように、男が自分の妻を信頼しないからではなく、都市社会と上流階級の風紀が想像を絶するほどに乱れ、男どうしが信頼し合えなかったからである。かくして下層階級をのぞき、女性は老いも若きもすべてが法よりもつよいカを持つしきたりにより、家の奥に隠されている。夜間にしかるべく身を覆って出かけるか、どうしてもという場合にぴったりと扉や窓を閉ざした輿に乗って旅行したり人を訪ねたりするのが、中流以上の朝鮮女性にとっては唯一の「外出」で、下層階級の女性が外出するのはもっぱら働くためである。

暗殺された王妃はわたしが朝鮮国内を旅行していることをそれとなく指して、自身は朝鮮のどこも見たことがなく、ソウルすらコドゥンで通るところ以外なにも知らないと語っていた。

ダレ神父[『朝鮮教会史序論』の著者]によれば、故意と偶然のいかんによらず、よその男と手が触れ合っただけでも、娘は父親に、妻は夫に殺され、自害する女性すらいたという。またごく最近の例では、ある下女が女主人が火事に遭ったのに助けだそうとはしなかった。その理由は、どさくさのなかでどこかの男性が女主人にさわった、そんな女性は助けるに値しないというのである!

法律も女性の住まいまではおよばない。自分の妻の部屋に隠れている貴人は謀叛罪の場合をのぞき捕えることができない。また家の屋林を直す際には、隣家の女性が目に触れないともかぎらないので、あらかじめ近所に修理する旨を知らせなければならない。七歳で男女はべつべつになり、女の子は厳しく奥にこもらされて結婚前は父親と兄弟以外、また結婚後は実家と嫁ぎ先の親族以外、男性にはまったく会えなくなる。女の子は極貧層でもみごとに隠れており、朝鮮をある程度広く旅行したわたしでも、六歳以上とおぼしき少女には、女性の住まいでものうげにうろうろしている少女たちをのぞき、ひとりも出会ったことがない。したがって、若い女性の存在が社会に与える華やぎはこの国にはないのである。とはいえ、女たちがこのシステムのもとでくよくよしたり、西洋人女性が享受しているような自由を求めたりしているかというと、まったくそんなことはない。蟄居は何世紀もつづいている慣習なのである。自由という概念は危険で、当の女性たちは自分たちは貴重な財産だからしっかり守られているのだと考えているのではなかろうか。ある聡明な女性に自由に外出できる西洋の慣習をどう思うか執拗に尋ねたところ、「あなた方はご主人からあまり大切にされていないと思う」が答えであった!

妾を囲うことは公認されてはいるものの、尊ばれてはいない。男性の妻なり母親なりが妾を選ぶことはめったになく、妾は多くの場合、正妻から夫に財力や地位があるからこその添え物、われわれの世界でいえば自家用馬車や執事のように思われている。内縁関係から生まれた子供は社会的にひどく蔑視され、つい最近までは職位によっては就けないものもあった。法的には朝鮮は一夫一婦制で、男やもめが再婚して子供をなしても、初婚の際にできた子供の特別な権利は変わらない。

少女向けのこの国独自の学校はなく、上流階級の女性は朝鮮固有の文字が読めるものの、読み書きのできる朝鮮女性は一〇〇〇人にひとりと推定されている。概して中国から入ってきた考え方のようであるが、鬼神に関する民間信仰、男性が受ける教育、文盲、法的権利のなさ、慣習の根づよさが重なって、開化国でありながらも女性の地位を未開囲並みに低くしてしまっている。それでも、朝鮮女性は生まれながらの策略家であるのに加え、とくに母親あるいは姑としてなんらかの影響力を直接およぼしているのはまちがいないし、縁談をまとめる際にそれが顕著であることは疑いない。

女性の権利はわずかで、法よりも慣習で決められる。現在朝鮮の女性が有している権利は再婚権、一六歳まで未婚でいられる権利、夫の愛人が自分とおなじ敷地内に住むのを拒否できる権利である。妻のほうから夫に離婚を切りだす権利はなく、婚礼の際に雁で象徴される配偶者への貞節は女性にのみ求められる。夫が妻を放逐できる理由には、不治の病、盗み、子なし、不貞、嫉妬、義父母との不仲、短気な性格の七つがある。妻は七つのうちどれかひとつでも理由があれば実家へもどされかねないのである。とはいえ、婚家からの追い出しは離婚よりはるかに多いと考えられる。子供の養育、損害があった場合の賠償などについては、法ではなく慣習により妻の権利が認められている。朝鮮の女性は家庭のしあわせなど求めない。朝鮮人には家はあっても家庭はないのである。夫は別個に暮らし、社交や家の外の関心事といった共通のきずながない。夫の遊興の仲間や相手は同性の友人知人や妓生で、その夫婦関係はある朝鮮紳士がわたしに語った「めとるのは妻、惚れているのは妾」という簡潔なことばに要約される。(引用終わり)




■その他日韓併合や韓国の歴史や文化についての資料は『ぢぢ様大日本史番外編 朝鮮の巻』を参照ください。
http://mirror.jijisama.org/