文教祖的血統転換についての雑感(2) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

私の血分けについての雑感(独り言)です。

「文教祖的血統転換についての雑感(1)」で「祝福は文教祖と女性信者の結婚式で、天使長である男性信者に払い下げる式」と書きましたが、文教祖から言わせると、本来「正当な種」を持っているのは「文教祖だけ」ということです。人類は、天使長ルーシェルの子孫であるということ。
この辺までは、統一信者ならほぼ同じ見解でしょう。

「血分け」というのはいわゆる「文教祖 → 女 → 男」性行為を伝達するセックスリレーのことで、その行為のみを見て反対派が「血分け」としたとしたらしい。
教会幹部の方の解説によると正式には「体恤、重生、母子協助」として捕らえるのが正しいとの事。2ちゃんねる掲示板でこの「血分け理論」を書き込みしていた幹部も、李ヨハネ先生、周藤先生から理論的に解説を受けたようで、文教祖の理論によるとセックスリレーにも意味があってなしている行為であって、これがなければ決して「血統転換」できないということのようです。

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「体恤」:体恤は文鮮明先生が神の6千年の心情を込めながら祝福対象の女性信者に対して行う性行為
「重生」:体恤を受けた女性が男性信者に対して行い受けた男性が受ける神の恩寵     
「母子協助」:体恤によって生まれた男子に対して母親のするべき義務の性行為

(聖酒式・祝福式・三日行事はこれを象徴的に行う儀式)
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『三日行事をするとき、夫婦はどんな立場に立たなければならないかといえば、夫婦とは夫と妻ですが、妻がお母さんの立場に立たなければなりません。お母さんになって、夫を愛によって生んであげなければなりません。
 結局は、再臨主までエバが生んであげなければなりません。主が来る時まで、再臨主までは3時代を経ますが、アダム、イエス、再臨主の3代を経て出てくるには、誰が生んであげるかといえば、女性が生んであげなければなりません。(「祝福家庭」より1976年10月21日のみ言葉)』

『男は何か? 男は天使長の後継者である。だから、男は本当は妻がいない。男はサタンの子供だろう? 理想的男は再臨主である。それはアダムだからです。アダムは、その善なる、正義のエバを捜すために、再創造して復帰するために来る。そのエバは、四大心情圏を一致させて、神とともに、父とともに、旦那さんとともに、兄さんとともに、愛を失った位置を蕩減復帰しうるような主体性を持つ女性である。そのような女性が生まれることによって、メシヤに迎えられる。そういう心情を、神とともに一致させるような血統的内容を持って生まれた男は、メシヤ以外は地上にいません。血統が違うのです。(6500双聖酒式前のみ言葉1988年10月29日一和龍仁研修所』


これは再臨主である文教祖も、この「体恤、重生、母子協助」によって再臨主としてある女性に産んでもらったのです。文教祖も例外ではありません。


つまり「神の妻」というのは「血分け理論」から言うと「既に神によって体恤された女性」という解釈でしょうか?ですから、この「体恤された女性」によって、男性は天使長の血統から、母の立場である女性の胎に再び入り「母子協助」によって完全に神の血統に「重生」するという理屈です。ちょっと説明が不足で分かりにくいかもしれませんね。これはあくまで雑感ですから、ざっと行きます。

文教祖が妻子を置いて平壌(北朝鮮)に行ったのも、この「われこそは神の妻である」と血統転換してくれる女性を待っていたのです。確かにイエスからの啓示は受けていましたし、16歳のときから血分け理論を学び・実践しようとし、22歳から本格的に地下教会(血分けの霊的集団)の行脚をしましたが、金聖道女史(聖主教)も、許浩彬女史(腹中教)も「神の妻」と主張する女性ではなかったので、あきらめていたとき(?)、金百文のイスラエル修道院にいたとき平壌に「神の妻」と主張する女性がいると聞いたとき文教祖は、いてもたってもいられず妻子を置いて北に向かって出発します。
なぜかというと、自分が神の血統に産み変え(重生)てもらえるのですから・・・・。


「再臨主もエバが生まなければならない」わけですが、「神の妻の出現」をみ言葉ではどう言っているでしょう。

『それから北の方にああいう団体がね、男の基準(金百文)によって求められなかったんだから、女を中心として、これは相対的に働きかけていった基盤があるということに、それを見つけなければならなかった。それで先生の願ったのはね、どういう人に会わなければならないかというと、原理から見た場合に女として自分は「エホバの妻である」というね、そういうような「神様が自分の夫だ」と言うようなとんでもない話を言う女を見つけなければならない。
 それは何かというと母である。真の母である。イエス様の求める新婦というのは母になっていないよ。「自分はエホバの妻である」「神様は自分の夫である」そういうとんでもないことを言い出すそういう女は最高の女だね。世界に最高の女だよ。アダムは実体的神様だから神様とアダムと一つになった場合にはエバは実体的相対であれば内的相対者になるんだから、結局エバたるものは、それは旦那さんが地上に来られない以上は神直接、霊的に於いて夫の使命をしながら育てなければならないんだから、女としては「神様が自分の夫である」と言うのはそれは当たり前だね。そういう女を探さなければならない。
 しかし金さんの率いられる女たるものはね、そういう啓示は受けるんだけど、「自分は神様の…」と言う女というものはね、生まれてこないんだね。そういうように言う人は年寄りだ。母の年齢だ。少なくとも二十歳以上の娘をもつようなそういう女でなければならない。
 「許孝彬(腹中教)」という人は何を言ったかというと、「自分は新婦である」と言ってね、新婦の上は妻だから神様を中心としての妻だから完成基準に立つべき女たつものは「神は自分の旦那さんである」こう言わざるを得ない。そういう女が生まれてこなければ摂理の本格的な地上的基準を決定することが出来ない。(韓国に於ける近世の摂理的経路1971年9月21日)』


文教祖は金百文のイスラエル修道院にいたとき噂を耳にします。

『その中の一人の女がいて、崔という女がね、丁度(イスラエル)修道院の所に来て「平壌には不思議な女が現れて来た」と言うんだね。その不思議な女は何かというと「神様は自分の夫である」そういう話を言って、「そういう末世には色々な異端が生まれてくる。そういう神様が自分の夫になれっこない」と言って笑い話みたいに話していたんだね。それ先生はよくずーっと聞いた。「それ誰か!」それでみんな背後関係を調査してね。「いよいよ北韓に来たか。」南の方に於いてはね、金さんを中心としてここで拾ってくるわけにはいかない。そういうような自分として使命を果たしたんだから、既成教会圏から色々摂理の御手を出そうとしても、それは出来ないし最後の一つとしてあったんだけど、金さんが先生に対して敬遠するような立場に立ったね。
 まあその時丁度、韓国に於いてはね、自由党を編成する時はね、その編成する背後の一人の関係になった男だよ。牧師さん達と、こういう関係になり既成教会の反対圏をみんな求めようとしてもみんなそうなっているよ。外的キリスト教は日本の神社参拝にやられているし、霊的基台の復帰の基台は人を遣わしても歓迎されない立場だったんだから、最後の立場として行かれる所は、ああいう女を迎えて出なければならない。それでまた、北の方へ行くんだね。(韓国に於ける近世の摂理的経路1971年9月21日)』



この「六マリア」の内容を講義する準備は教会の水面下では進んでいるようですが、信者に混乱がおきる為か、発表は先延ばしされているようですね。でも、講義案になったとしても、信者にどの程度真実を伝えるかは分かりませんが「原理本体論」も出てきたので「秘儀」がいよいよ表にでるのでしょうか?

■統一教の甘えん坊「責任ある“無責任”」2011年03月29日記事
文鮮明教祖様は99年頃から ご自身の複数血統転換を公言なされるようになられ、2003年頃にはパラグアイ・ジャルディン・パンタナールで神山会長・古田社長・777を中心とした国家メシア達に
「あんた達、最後だから 質問あったらしときなさい。 この話をするのは最後だからね」
とおっしゃりながら語られ、国家メシア達から 「私達も それをやってもいいのか?」等々の質問が出る中、いろんなやりとりがあったそうです。
他にも・・・「日本の男性の中心になれ」
と祝福された国時昭彦事務局長(1800双)も、個別に文教祖様から複数血統転換の話と イエス様の子供の話を直接教えられ、信者に伝えるタイミングを苦慮されていました。
http://ameblo.jp/amakis/entry-10844753043.html

■統一教会存亡の危機「江利川会長巡回講演を再度整理」2011年4月8日記事
日本人食口を対象にした江利川会長韓国巡回講演は、前半は摂理的な内容で特別問題ない。六マリアの講義したのかどうかわかりませんが、入手したものにはその話の言及はない。六マリアの講義をしろという亨進様の信念はどう捉えたら良いのか。ご自分が本当に知っているのかどうかもはっきりいって疑わしいです。しかし、講義の後半部分は、韓国食口の批判と顯進様、郭錠煥会長批判で終わっています。結局、そういうことでしょう。公的な場を利用した批判集会だったと言うことでしょうか。信仰的にはなんら助けになりません。真の愛ではなく服従が一番大切だということですね。http://ameblo.jp/truetradition/entry-10855351927.html


祝福のとき、文教祖の夢までみて、夫より婚約者より文教祖と一体(好き)になった状態が一番望ましいので、この「体恤、重生、母子協助」理論から言うと、文教祖は「神の立場」ですね。


・もともと女性は神の妻の立場
・アダムは、神の体
・結婚は実体の神の結婚式のはずだったが・・・
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父: 神   - エバ(心)
息子:アダム - エバ(体)
孫: 直径男孫 - 直径女孫
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夫婦を兼ねた子女、エバは妻であるが母であり、妹でもある。
これについても、崔元福先生・文教祖実母等の複雑に役割を果たしたりします・・・。
この話、いつ終わるのか・・・・。しかし、文教祖の血統の正統性は?