文教祖的血統転換についての雑感(1) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

私の血分けについての雑感(独り言)です。
思いつくままに書きますので、読みにくいかもしれません。

血分けについてイロイロ書いてきました。これはあくまで個人的見解として受け取っていただいて結構ですが、根拠はほとんど「文教祖のみ言葉」からの引用です。文教祖が語ったみ言葉から、草創期幹部メンバーの「血分け」に関する証と比較検証して相当する箇所と関連性があることが確認したら載せてきたという具合でした。他の内容も同様です。

いわゆる私のブログスタンスは、記事の収拾・整理にあります。パズルのピースを埋める作業のようなものです。でも、案外つながるものですよ。KCIAもつながってきたし。

血分けの内容は「六マリアの悲劇」を読んだくらいでしたし、2000年頃に777クラスの信者の血分けについての内部告発の記事を掲示板で読んで、ただただ驚くばかりでした。
私にはこの「血統転換」については私なりの特別な思いがあったのは事実です。
血分けの記事を書き始めたけれど、信者の見解だけだと根拠にかけると思い、み言葉を読み始めたわけです。本当に「血分け理論」は文教祖の考えたものなのか? その根拠をみ言葉に求めたわけです。
血分けとの関連性が何も出てこないと思って読み始めたみ言葉でしたが、案外多くの関連内容が出てきて、こちらが逆に驚きました。

検証記事は時間がかかるので、きちんとした記事になる前、これからはこのような雑感形式で血分け理論を書いていきたいと思います。まとまったら検証記事でとしてアップします。血分けに関するある程度の基礎知識は、ブログに書いてきましたし。

祝福が、文教祖と女性信者の結婚式で、天使長である男性信者に払い下げるものだったとは、私も知りませんでした。そういうみ言葉も、777くらいまでは語られています。
そのうちアップしようと思います。

女性はすべて神の妻(相対)ですから、まず神と一体となってから女性が天使長の男性を産みかえるということ。「重生」ですね。
文教祖は「神の立場」で女性と一体になる必要があります。それは今でも変わらないでしょう。原則ですから、変更できません。

『(小山田秀生先生は、一九六七年の「原理大修練会」と『原理講論』の日本語版の制作時)劉孝元先生に、『原理解説』と『原理講論』の違いについて尋ねたことがあります。そのとき、劉孝元先生は、次のように語られました。
原理解説は、霊的な感動を中心に書かれたものであり、アジテーション(煽動)の文章です。それに対して、原理講論は講義案であり、講師のためのテキストです。原理講論に、真のお父様の説教を入れたかったが、それを入れるとあまり本が厚くなるので説教は抜きました。それゆえ、真のお父様のみ言集を補って講義をしてください。」これが、劉孝元先生のアドバイスでした。(中略)このとき、問題となったのが『重生』という韓国語の翻訳でした。現在の『原理講論』では『重生』と翻訳されていますが、当時は『重生』を『新生』と翻訳しました。それは、『重生』という言葉が日本語にはなく、『新生』のほうが理解しやすいと判断したからです。(編集部の証 『原理講論』(日本語版)発刊四十周年を迎えて)』

原理講論が講師の講義テキスト用だったとは驚きです。それに原理で最も重要とされるのは「重生(産み変えてもらうこと)』だということ。ただ、この産み変えてもらうのは、女性と男性は異なります。
あくまで、男性は天使長ですから、種がないとみなされ、文教祖的には本来、結婚もできない立場となっています。

韓国の儒教的内容がベースにあるのも無視できません。いわゆる男尊女卑。
父子協助時代になったことで『今まで日本は、内的な面で母と娘の協助がなされていました。それと同時に、先生においては「父子協助時代」に入ってきました。母親がいなくても、すでに息子が家庭を持ち、国を持つことができ、父が家庭を成して国を持つことができるのです。ですから、母親がいなくても、母親は父親の力で捜し立てることができ、息子の力で捜し立てることができます。そのような立場に立ったということが、今現在の立場です。分かりますか?(第41回「真の父母の日」記念礼拝の御言2000年4月5日)』

男子の血統(種)が確立すれば、エバはいらないのです。
1960年聖婚前に、六マリアであらゆる立場の女性と性関係を持ったのも、こういうことが根拠なのかも知れません。文教祖の種は特別だと。


ある現役信者の方が数年前崔先吉夫人が亡くなったと掲示板にコメントされた内容に対しての私の返信コメントです。

『崔先吉夫人の消息が、ずっと気になっていました。崔夫人の大韓イエス教長老会(再建派)と大母様所属の神霊集団(地下教会)の一体化がなされず、離婚により大韓イエス教長老会(再建派)と背後にある既成キリスト教の為政者に一気につながるチャンスが、すべて霧散になり、その後、崔先吉夫人はみ言葉では語られなくなったために、どうなったと思っていたところでした。金明煕さんも、崔元福さんも、聖人との霊界祝福を受けたのに、崔先吉夫人だけは、受けていなかったので、何かあるのかと思っていました。
崔先吉夫人の父方の叔父は成功して財閥になり、その叔父(崔聖模)が文先生と離婚させたのですが、経済的豊かであるのに崔先吉夫人に援助しなかったのか、一族の恥だということで捨てたのか、扶養者が聖進氏しかいないので、息子の道理として引き取ったのでしょうか?身寄りがないのは、確かにないですね。二親等は、聖進氏しかいないわけですし。
わたしには、情報がないので、推測できるのはそこまでです。
なぜ、混淫派神霊集団の文先生(結婚前まで李浩彬の新イエス教会所属)が崔夫人の大韓イエス教長老会(再建派)との結婚にこだわったのか、その辺もまだよくわからない点です。文先生は、実の叔母の薦めで「崔先吉夫人と見合い」という話になっていますが、この叔母は「大韓イエス教長老会」だったのか?との疑問も沸きます。文教祖が妻子を置いて、平壌に行ったときも「親戚の叔母さん」のところに警察の手を逃れて、よく隠れていました。この平壌の叔母さんと、見合いを紹介した叔母さんが同一人物かはわかりません。妻子を置いていったのは、「朴老婆(鄭得恩)」に会うためですが、この方がまさに「神の夫人」の立場だったと文先生は言っています。聖主教や腹中教には「我こそは神の夫人である」という女性が現れなかったから、だめだったと言っています。ということは、文教祖は神の夫人と交わる(性交)によってメシアの候補からメシアへと昇格したとも考えられます。その前は、文先生は「金百文」がメシアだと思っていたかも知れません。崔夫人を金百文に差しだそうとしたくらいですから。
文先生のみ言葉の中に「メシアの候補者とは」のようなことが出てきますが、血統的に継承していれば、メシアの候補者という言葉自体ありえないように思います。再臨主は「神のひとり子」ですから。』


メシアの候補者というみ言葉のなかで、血統的な根拠は語られておらず

『メシヤの資格とはいかなるものでしょうか。メシヤとは、この地上に来て、神よりもっと苦悩し、神よりもっと涙し、神よりもっと働き、地獄の底のような苦難の中に自らを陥れながら、そこから自分で上がってきて神を慰め、神の涙を喜びの涙に変えるように運命づけられている人です。ですからメシヤの候補者たる者は、自分のためにではなく、神のために苦悩し、神のために涙する者でなければなりません。メシヤは、神に助けを求める祈りをしません。「私は神を解放し、救うためにいるのですから、どうか私を信頼して下さい」と神に嘆願して祈る者です。そういう人であって初めて、その人はメシヤ候補者になれるのです。(苦難と涙1978年3月1日ベルべディア』

上記の内容を満たせば、メシアになれるということです。文教祖はできるだけ、再臨主の肉体的・遺伝的血統的根拠はできるだけ避け、語らないようにしているようにも感じます。