真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(5) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

「真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(4)」の続きです。

■韓鶴子の出生の秘密
文先生が言っている神から始まった近親婚(父娘婚)「近親絶対理想的相対関係」の関係であるかどうかの考察です。


13.洪順愛が入教前に文教祖と洪順愛の接点は本当になかったのか

■二人の接触の可能性
(1)文教祖と洪順愛(大母様)の生まれ故郷は二人とも平安北道定州(家は数キロの距離)

(2)洪順愛の母方(趙元模)の趙氏家門は昔、定州で名の知れた富豪であった

(3)洪順愛の母方の先祖の趙漢俊の話は伝説として定州で知らない者はいないほど有名

(4)洪順愛の母方の先祖の趙漢俊の架けた橋は定州で名所になっている

(5)文教祖は趙漢俊の架けた橋を少年時代毎日自転車で渡っていた

(6)文教祖は定州は行かないところがなかったと証言している→趙漢俊の家(洪順愛の家)にも文教祖は見物に行っている時に洪順愛も見ている可能性あり

(7)洪順愛の母(趙元模)の実家は、定州で富豪であり伝説で有名な家柄

(8)洪順愛の母(趙元模)が結婚するときは定州で話題になるはず→結婚相手にも話題の関心が行く

(9)洪順愛の母(趙元模)が異端の血分け教団を信仰していれば定州で噂になるはず

(10)文教祖は解放3年前から(満22歳)から地下教会(血分け教団=混淫派)と再建教会(崔先吉の母の教会)との一体化を考えていた

(11)洪順愛は統一教会入教前から文教祖の顔を知っている(証では夢で2度出会ったと言っている)

(12)洪順愛は李龍道の司会(主礼)で結婚したと韓鶴子に聞かせていたが、李龍道は洪順愛が結婚した日付(教会発表)の前に死亡している(娘に嘘を教える)

(13)洪順愛は教会発表では1934年に結婚しているはずなのに洪順愛の証では「2月に出会って、3月に身ごもった」という表現を使用しているのはおかしい

(14)韓鶴子の父親といわれている韓承運は熱狂的な混淫派の信者であり、李龍道の弟子のはずだが、洪順愛が妊娠している途中で生まれる子供が男か女の確認もせず去るのはおかしい

(15)洪順愛が統一教会に入教したとき文教祖は洪順愛だけ無視した(知り合いということを隠すため?)

※統一教会の趙漢俊の話は「ミロク信仰の研究[改定版]宮田登著(1975年・未来社発行)」が元になっています。教会公表の伝説にまつわる韓鶴子夫人の話をかなり脚色して信者に伝えています。

「真のお母様(韓鶴子)誕生秘話(6)」に続く