■文鮮明教祖の不倫(姦通)の事実を隠すため「教祖は三回結婚」したと信者に嘘の情報で洗脳する統一教会
「文教祖の二番目の妻の『第二のお母様』は日本に滞在中に日本人にレイプされて仕方なく、真の母を退いた」と1990年代までに入信した信者なら一度くらいは聞いたことがあるかもしれません。
地域や教会責任者によって説明はさまざまですが「二番目のお母様は日本人に犯されて殺された」とか「貞操を守れなかったことを苦に自殺した」と言った内容を末端信者に教え込んできました。
私も教会長から「日本人にレイプされて亡くなった」と教えられました。
私の場合、21日修練会で文教祖は三回結婚し、それぞれ夫人は真の母候補で「第一のお母様」「第二のお母様」「第三のお母様」という呼称で説明され、夫人の名前は三番目のお母様(韓鶴子)以外は名前も明かされませんでした。
実際1992年の統一教会の機関紙の中和新聞では、文教祖が三回結婚と嘘を掲載しました。
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中和新聞 平成4年(1992年)9月12日
金明姫(Kim Yon Hi)
文先生は釜山で伝道活動を再開、崔女史とも再会しましたが、最も愛する妻を犠牲にして弟子たちを愛していかれた文先生の心情を崔女史は理解することができず、自ら「真の母」の立場を放棄し離婚という最悪の結果なったのです。
しかし、文先生は「メシヤは真の母でなければならない」ということを熱知されていましたので、1954年金明姫女史と再婚しました。しかし外国に滞在中不幸な事件に巻き込まれ、金女史自ら身を引かれました。このように、文先生は一度も自ら望んで離婚されたことはありません。やむを得ない理由によりこのような結果になったのです。二度の離婚という背景には「真の母」を立てるためのご苦労があり、救済の道を開拓することの難しさを物語るものです。
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三万組の合同結婚式後の1992年9月20日のsunday世界日報でも同じ説明が掲載されました。
1992年当時、マスコミ等、信者に知られてはまずいさまざまな情報が飛び交っていましたので、教会機関紙で教会に都合のいいように情報操作したのでしょう。
1954年に再婚したなどと正式に式を挙げ入籍結婚したような説明を教会はしていますが、真実は金明煕女史(金明姫)と文教祖は婚姻中の不倫の関係で、金明煕女史が不倫中に妊娠したので文教祖は姦通罪を恐れて、金明煕女史をほぼ臨月にもかかわらず日本に密航させたというのが真相です。
また統一教会本部の大田朝久氏の『「真の家庭」の十字架路程と勝利』シリーズの説明では、「金明煕夫人」と呼んでいます。これも不倫隠蔽の印象操作でしょう。
その当時、文教祖は何十人もの女性信者と「血統復帰儀式(血分け)」を行っていましたので、金明煕女史は正式に婚姻届も結婚式も行わず、ただ「六マリアの一人」だっただけです。
たまたま金明煕女史が妊娠してしまっただけなのです。その当時の信者たちは崔先吉夫人との婚姻関係にあったため、金明煕女史が文教祖の正式な妻になるとは誰も考えていませんでした。
金明煕女史も文教祖と初めて会ったときの会話をこのように証しています。
『ところが、何人かが「明煕さんに、先生が特別にみ言を語ってくださるとおっしゃったのだから、それはどれほど重要なことでしょうか。きょうの夜、間違いなく重要なみ言を語ってくださるので、帰ってはいけません。」と言うのでした。それで、残るようになりました。・・・帰る人はすべて帰り、真のお父様がみ言を語ってくださいました。・・・理想家庭についてみ言を語られながら、「理想世界が到来するときは、サタン世界が退き、神様の理想世界が新たに来ます。それゆえに、理想相対に出会わなければなりません。」とおっしゃいました。
そして、「理想相対に会いたくないですか?」というみ言から始めて、露骨なみ言を語られました。それで、わたしは皮肉って、「先生は夫人がいらっしゃるのに、どうして結婚しようとされていらっしゃるのですか?」と言いました。
真のお父様は、それでもわたしに、「理想相対に出会わなければなりません。」とおっしゃいました。』
(ファミリー2005年6月号 金明煕の証より)
ここでもはっきり「先生は夫人がいらっしゃるのに、どうして結婚しようとされていらっしゃるのですか?」と金明煕女史が文教祖に話しています。
露骨なみ言葉というのは、ずばり「文教祖と性関係を持つ」ということです。
文教祖の妻の崔先吉夫人もまだ離婚前で、文教祖と複数の女性信者が不倫関係だったことを知り、激怒していた時期でした。
時系列は下記のようです。
1953年12月24日 金明熙が釜山影島の修練会に参加し、その日に文教祖と肉体関係をもつ
1954年5月 1日 統一教会創設
1955年5月11日 梨花女子大生14名が統一教会への信仰を理由に退学させられる
1955年6月24日 金明熙妊娠9ヶ月。姦通罪を恐れて釜山港・長崎経由で日本に密入国させる
1955年7月 4日 梨花女子大事件で文教祖が逮捕される
1955年8月17日 金明煕が日本で文教祖の息子の喜進出産
1957年1月 8日 崔先吉夫人との離婚成立
統一教会はあくまで文教祖は正式に離婚したあとに、したこともない金明熙女史と正式に入籍結婚したかのように信者に嘘を教えるのです。
1950年代、文教祖と肉体関係を持った女性信者は金明熙女史だけではありません。
金明熙女史の息子を『実の子』として認知入籍したので、金明熙女史があたかも「真の母」扱いされていますが、実際は文教祖は母子を日本に捨てておいて見向きもしませんでした。
金明熙女史と息子の喜進は、日本の大村収容所で過ごしていたのを、統一教会の幹部が見るに見かねて、文教祖の所に連れてきただけなのです。
朴正華著「六マリアの悲劇」ではこのように説明しています。
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金永姫(※金明熙)を妊娠させたことに気付いた文鮮明は、自分の立場が危うくなることを怖れ、彼女を同じ大学の学生で食口になった純粋な青年、呉昇澤と一緒に日本へ行かせることにした。外国での生活を保障すると約束して、釜山から漁船で密航させたのである。密航資金は文鮮明が手渡した。日本での二人は言葉も通じず、密航者の身で入院もできないため、ひどい環境の中で出産した。若い呉昇澤は、赤ん坊のヘソの緒を自分の歯で噛み切って、子供を産ませたそうである。
持ってきたわずかな金を使い果たしてしまい、文鮮明からの生活費もこなかった。待ちくたびれた呉昇澤は、日本へ密航させられるとき、文鮮明が呼ぶまでは韓国に戻らない約束をしてはいたが、文鮮明のところへ戻るために再び密航した。言葉も通じない場所でたいへんな苦労をしていた二人は、まず呉青年が韓国へ帰って直接文鮮明に話し、生活費などをもらうつもりだった。
呉昇澤は、文鮮明に会って自分たちの窮状を話し、生活費を求めたのだが、文鮮明はこれを一言で断ったのである。こんなひどい話は聞いたことがない。普通の人でも、こういう状況に置かれた人に、こんな仕打ちはしないだろう。まして「再臨メシア」ともあろう人が、自分で責任をとるのが当然であるにもかかわらず、こういう非道な裏切りを平然とされたので、呉昇澤は、怒った。彼はただちに、それまで再臨メシアと信じ仰いできた文鮮明と訣別した。
実はこのとき、文鮮明は「そんな金はない。自分たちで考えてやれ!」と言ったのである。私は文鮮明の隣にいたのでよく覚えている。
文鮮明の言葉に呉昇澤は怒り狂い、
「何を言うか。よし覚えていろ!貴様はサタンだ!」
と、床を蹴って飛び出していった。
金永姫が妊娠した当時、延世大学から入信した三人の学生のなかで、事情を聞き相談を受けた呉昇澤が、文鮮明メシアと統一協会のためと信じて、「私が引き受けましょう」と言ったのである。彼はこの身代わり役をクリスチャンの父母にも話さず、釜山で金永姫と落ち合い、小型の漁船で九州へ密航したのだった。
呉青年が怒って飛び出したとき、その場に七、八人いたが、誰も内心ではひどい話だと思いながら、何もしてやれなかった。私は、今でもその事に、良心の呵責を感じる。
西も東もわからない日本で、金永姫はひらすら、金を持って戻る呉昇澤を待った。待てど暮らせど帰らぬ日々、赤ん坊をかかえた金永姫の苦労は大変なものがあった。
そんな金永姫の母子を、九州の大村収容所で発見した韓国人の黄某が、彼女を韓国に連れて帰った。金もパスポートも持たない金永姫は、大村収容所へ入れられてから、三ヶ月が過ぎていたそうである。
金永姫が子どもを連れて帰ってきたので、文鮮明は仕方なく子どもだけは自分の籍に入籍した。
子どもの名前は文喜進という。この子は黄某という人の奥さんが隠れて養育していたのだが、交通事故で死んでしまった。
それ以外にも「小羊の儀式」を挙げるという口実で、処女の李聖礼(※崔淳花)を復帰し、彼女にも子どもを産ませた。その子も、ある幹部の息子として養育されているという話だ。
こんなことが許されていいのだろうか。
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上記の「処女の李聖礼」とは、金明煕女史と三位基台だった崔淳花のことで、崔淳花女史は同じく不倫の関係で1965年に文教祖の息子を産みましたが、その息子を側近の朴普煕氏(36家庭)の息子として育てさせます。
ちなみに崔淳花女史は文教祖の妻(崔先吉)といとこで、しかもその姉(崔淳実)も、その母(李得三)も文教祖は肉体関係を持っています。文教祖は母娘を姦淫したのです。
詳しくは
ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(1)
ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(2)
ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(3)
で説明しています。
世界の女性は、すべて文教祖のものだそうです。
『世界の女性たちは、先生(文教祖)の相対圏に立っています。世界において、真の夫は一人しかいません。神様から見れば、未完成の男性と女性たちしかいないのです。人類は、男性と女性に二十五億ずつ分かれて五十億にもなりますが、それは一人の男性(である文教祖)と万人の女性と同じです。しかし、それはみな堕落圏です。ですから、メシヤ思想が必要になるのです。』
(「神様の摂理と日本」より 1991年7月14日のみ言葉)
『全世界の女はエバと見るし、全世界の男は天使長と見るのです。全世界の女の前に、真の完成のアダムは一人として、再臨の主(文教祖)と見るのです。女と再臨主は一つで、こちら(文教祖以外の男性)は天使長です。天使長を再び接ぎ木して、先生が第二のアダムをつくりあげなければ、君たちの相対者はおりません。分かりましたか?・・・旦那さんとして来られる再臨の主は、たった一人(文教祖)だというのです。・・・親もなければ親戚も何もないのです。たった一人で来るのです。持ってくる財産は何もないのです。たった一つの真の愛と、真の愛の子供の種だけしか持っていません。堕落した世界の女は、すべてを犠牲にしても、それが必要なのです。』
(真の自分を探しましょう 1993年12月19日 韓国・済洲研修院)
↓文教祖に不倫で処女を奪われた女子大生の金明煕
↓不倫関係で出産した息子の喜進
※コメントはこちらにお願いします。
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11620724748.html
「文教祖の二番目の妻の『第二のお母様』は日本に滞在中に日本人にレイプされて仕方なく、真の母を退いた」と1990年代までに入信した信者なら一度くらいは聞いたことがあるかもしれません。
地域や教会責任者によって説明はさまざまですが「二番目のお母様は日本人に犯されて殺された」とか「貞操を守れなかったことを苦に自殺した」と言った内容を末端信者に教え込んできました。
私も教会長から「日本人にレイプされて亡くなった」と教えられました。
私の場合、21日修練会で文教祖は三回結婚し、それぞれ夫人は真の母候補で「第一のお母様」「第二のお母様」「第三のお母様」という呼称で説明され、夫人の名前は三番目のお母様(韓鶴子)以外は名前も明かされませんでした。
実際1992年の統一教会の機関紙の中和新聞では、文教祖が三回結婚と嘘を掲載しました。
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中和新聞 平成4年(1992年)9月12日
金明姫(Kim Yon Hi)
文先生は釜山で伝道活動を再開、崔女史とも再会しましたが、最も愛する妻を犠牲にして弟子たちを愛していかれた文先生の心情を崔女史は理解することができず、自ら「真の母」の立場を放棄し離婚という最悪の結果なったのです。
しかし、文先生は「メシヤは真の母でなければならない」ということを熱知されていましたので、1954年金明姫女史と再婚しました。しかし外国に滞在中不幸な事件に巻き込まれ、金女史自ら身を引かれました。このように、文先生は一度も自ら望んで離婚されたことはありません。やむを得ない理由によりこのような結果になったのです。二度の離婚という背景には「真の母」を立てるためのご苦労があり、救済の道を開拓することの難しさを物語るものです。
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三万組の合同結婚式後の1992年9月20日のsunday世界日報でも同じ説明が掲載されました。
1992年当時、マスコミ等、信者に知られてはまずいさまざまな情報が飛び交っていましたので、教会機関紙で教会に都合のいいように情報操作したのでしょう。
1954年に再婚したなどと正式に式を挙げ入籍結婚したような説明を教会はしていますが、真実は金明煕女史(金明姫)と文教祖は婚姻中の不倫の関係で、金明煕女史が不倫中に妊娠したので文教祖は姦通罪を恐れて、金明煕女史をほぼ臨月にもかかわらず日本に密航させたというのが真相です。
また統一教会本部の大田朝久氏の『「真の家庭」の十字架路程と勝利』シリーズの説明では、「金明煕夫人」と呼んでいます。これも不倫隠蔽の印象操作でしょう。
その当時、文教祖は何十人もの女性信者と「血統復帰儀式(血分け)」を行っていましたので、金明煕女史は正式に婚姻届も結婚式も行わず、ただ「六マリアの一人」だっただけです。
たまたま金明煕女史が妊娠してしまっただけなのです。その当時の信者たちは崔先吉夫人との婚姻関係にあったため、金明煕女史が文教祖の正式な妻になるとは誰も考えていませんでした。
金明煕女史も文教祖と初めて会ったときの会話をこのように証しています。
『ところが、何人かが「明煕さんに、先生が特別にみ言を語ってくださるとおっしゃったのだから、それはどれほど重要なことでしょうか。きょうの夜、間違いなく重要なみ言を語ってくださるので、帰ってはいけません。」と言うのでした。それで、残るようになりました。・・・帰る人はすべて帰り、真のお父様がみ言を語ってくださいました。・・・理想家庭についてみ言を語られながら、「理想世界が到来するときは、サタン世界が退き、神様の理想世界が新たに来ます。それゆえに、理想相対に出会わなければなりません。」とおっしゃいました。
そして、「理想相対に会いたくないですか?」というみ言から始めて、露骨なみ言を語られました。それで、わたしは皮肉って、「先生は夫人がいらっしゃるのに、どうして結婚しようとされていらっしゃるのですか?」と言いました。
真のお父様は、それでもわたしに、「理想相対に出会わなければなりません。」とおっしゃいました。』
(ファミリー2005年6月号 金明煕の証より)
ここでもはっきり「先生は夫人がいらっしゃるのに、どうして結婚しようとされていらっしゃるのですか?」と金明煕女史が文教祖に話しています。
露骨なみ言葉というのは、ずばり「文教祖と性関係を持つ」ということです。
文教祖の妻の崔先吉夫人もまだ離婚前で、文教祖と複数の女性信者が不倫関係だったことを知り、激怒していた時期でした。
時系列は下記のようです。
1953年12月24日 金明熙が釜山影島の修練会に参加し、その日に文教祖と肉体関係をもつ
1954年5月 1日 統一教会創設
1955年5月11日 梨花女子大生14名が統一教会への信仰を理由に退学させられる
1955年6月24日 金明熙妊娠9ヶ月。姦通罪を恐れて釜山港・長崎経由で日本に密入国させる
1955年7月 4日 梨花女子大事件で文教祖が逮捕される
1955年8月17日 金明煕が日本で文教祖の息子の喜進出産
1957年1月 8日 崔先吉夫人との離婚成立
統一教会はあくまで文教祖は正式に離婚したあとに、したこともない金明熙女史と正式に入籍結婚したかのように信者に嘘を教えるのです。
1950年代、文教祖と肉体関係を持った女性信者は金明熙女史だけではありません。
金明熙女史の息子を『実の子』として認知入籍したので、金明熙女史があたかも「真の母」扱いされていますが、実際は文教祖は母子を日本に捨てておいて見向きもしませんでした。
金明熙女史と息子の喜進は、日本の大村収容所で過ごしていたのを、統一教会の幹部が見るに見かねて、文教祖の所に連れてきただけなのです。
朴正華著「六マリアの悲劇」ではこのように説明しています。
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金永姫(※金明熙)を妊娠させたことに気付いた文鮮明は、自分の立場が危うくなることを怖れ、彼女を同じ大学の学生で食口になった純粋な青年、呉昇澤と一緒に日本へ行かせることにした。外国での生活を保障すると約束して、釜山から漁船で密航させたのである。密航資金は文鮮明が手渡した。日本での二人は言葉も通じず、密航者の身で入院もできないため、ひどい環境の中で出産した。若い呉昇澤は、赤ん坊のヘソの緒を自分の歯で噛み切って、子供を産ませたそうである。
持ってきたわずかな金を使い果たしてしまい、文鮮明からの生活費もこなかった。待ちくたびれた呉昇澤は、日本へ密航させられるとき、文鮮明が呼ぶまでは韓国に戻らない約束をしてはいたが、文鮮明のところへ戻るために再び密航した。言葉も通じない場所でたいへんな苦労をしていた二人は、まず呉青年が韓国へ帰って直接文鮮明に話し、生活費などをもらうつもりだった。
呉昇澤は、文鮮明に会って自分たちの窮状を話し、生活費を求めたのだが、文鮮明はこれを一言で断ったのである。こんなひどい話は聞いたことがない。普通の人でも、こういう状況に置かれた人に、こんな仕打ちはしないだろう。まして「再臨メシア」ともあろう人が、自分で責任をとるのが当然であるにもかかわらず、こういう非道な裏切りを平然とされたので、呉昇澤は、怒った。彼はただちに、それまで再臨メシアと信じ仰いできた文鮮明と訣別した。
実はこのとき、文鮮明は「そんな金はない。自分たちで考えてやれ!」と言ったのである。私は文鮮明の隣にいたのでよく覚えている。
文鮮明の言葉に呉昇澤は怒り狂い、
「何を言うか。よし覚えていろ!貴様はサタンだ!」
と、床を蹴って飛び出していった。
金永姫が妊娠した当時、延世大学から入信した三人の学生のなかで、事情を聞き相談を受けた呉昇澤が、文鮮明メシアと統一協会のためと信じて、「私が引き受けましょう」と言ったのである。彼はこの身代わり役をクリスチャンの父母にも話さず、釜山で金永姫と落ち合い、小型の漁船で九州へ密航したのだった。
呉青年が怒って飛び出したとき、その場に七、八人いたが、誰も内心ではひどい話だと思いながら、何もしてやれなかった。私は、今でもその事に、良心の呵責を感じる。
西も東もわからない日本で、金永姫はひらすら、金を持って戻る呉昇澤を待った。待てど暮らせど帰らぬ日々、赤ん坊をかかえた金永姫の苦労は大変なものがあった。
そんな金永姫の母子を、九州の大村収容所で発見した韓国人の黄某が、彼女を韓国に連れて帰った。金もパスポートも持たない金永姫は、大村収容所へ入れられてから、三ヶ月が過ぎていたそうである。
金永姫が子どもを連れて帰ってきたので、文鮮明は仕方なく子どもだけは自分の籍に入籍した。
子どもの名前は文喜進という。この子は黄某という人の奥さんが隠れて養育していたのだが、交通事故で死んでしまった。
それ以外にも「小羊の儀式」を挙げるという口実で、処女の李聖礼(※崔淳花)を復帰し、彼女にも子どもを産ませた。その子も、ある幹部の息子として養育されているという話だ。
こんなことが許されていいのだろうか。
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上記の「処女の李聖礼」とは、金明煕女史と三位基台だった崔淳花のことで、崔淳花女史は同じく不倫の関係で1965年に文教祖の息子を産みましたが、その息子を側近の朴普煕氏(36家庭)の息子として育てさせます。
ちなみに崔淳花女史は文教祖の妻(崔先吉)といとこで、しかもその姉(崔淳実)も、その母(李得三)も文教祖は肉体関係を持っています。文教祖は母娘を姦淫したのです。
詳しくは
ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(1)
ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(2)
ちょっと恐ろしい(((( ;°Д°)))) 文教祖の女性関係(3)
で説明しています。
世界の女性は、すべて文教祖のものだそうです。
『世界の女性たちは、先生(文教祖)の相対圏に立っています。世界において、真の夫は一人しかいません。神様から見れば、未完成の男性と女性たちしかいないのです。人類は、男性と女性に二十五億ずつ分かれて五十億にもなりますが、それは一人の男性(である文教祖)と万人の女性と同じです。しかし、それはみな堕落圏です。ですから、メシヤ思想が必要になるのです。』
(「神様の摂理と日本」より 1991年7月14日のみ言葉)
『全世界の女はエバと見るし、全世界の男は天使長と見るのです。全世界の女の前に、真の完成のアダムは一人として、再臨の主(文教祖)と見るのです。女と再臨主は一つで、こちら(文教祖以外の男性)は天使長です。天使長を再び接ぎ木して、先生が第二のアダムをつくりあげなければ、君たちの相対者はおりません。分かりましたか?・・・旦那さんとして来られる再臨の主は、たった一人(文教祖)だというのです。・・・親もなければ親戚も何もないのです。たった一人で来るのです。持ってくる財産は何もないのです。たった一つの真の愛と、真の愛の子供の種だけしか持っていません。堕落した世界の女は、すべてを犠牲にしても、それが必要なのです。』
(真の自分を探しましょう 1993年12月19日 韓国・済洲研修院)
↓文教祖に不倫で処女を奪われた女子大生の金明煕
↓不倫関係で出産した息子の喜進
※コメントはこちらにお願いします。
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11620724748.html