気管切開の予定日。
面会も許されなかったし、仕事も休めず働いていた。
父から「呼んでもらえて、切開前に一目だけ会えた」と連絡が。
「いっそう衰弱していた」
「とても携帯なんか触れそうには見えなかった」と。
手術自体は無事終わり、そのまま一般病棟へ転室になったらしい。
それでも少しずつ回復して、携帯も触れるようになって、面会も少しなら許されるかも。
そんな思いでそわそわ過ごした。
「夜、カニューレの自己抜去があったらしい」
「夜間人が少ないので、鎮静を増やしたいとのことでした」
そんな連絡があったのは転室して5日め。
覚醒度があがると、違和感や苦しさで触ってしまうらしかった。
「平日のみ、週3回、家族だけ一名、五分だけの面会が許された」と聞いたのがその2日後。
翌週月曜日に休みをもらって会いに行く予定だった。
金曜日、仕事を終え、自宅で娘と夫の夕食の片付けをしていたとき。
父から、「今病院から呼び出しがあったので行ってくる」と連絡。
もう19時すぎだった。
こんな時間に呼び出し。
いいことなわけがない。
ただ涙を流して立ち尽くしている私に、
「とりあえず行ってこい」と、夫が促してくれた。
終電に乗ったところで、帰宅した父から連絡。
先生からの話は、
「血圧が保てなくなっていて、肺の換気の状態が悪いらしい。覚醒すると辛そうなのでほぼ終日鎮静をかけている状態」
「とりあえず行くね」
実家に着いたのは23時。
父と話して、眠れないままベッドで過ごして、
翌日の始発で戻った。
遅刻して仕事をして、土曜日だったけど午後からの仕事は代わってもらい、もう一度夫と娘と実家へ。
すでに父が面会に行っていたので、この日は会えないと知っていた。
「尿が出なくなってきている」
「意識はなくて顔しか見れなかった」
そんな報告をしたあと、
「ママは良く頑張った」と、何度も父が言った。
私はまだ言えなかった。
まだ会ってないのもあった。
まだ現実が受け入れられない。
頑張ってきてくれたのは良く分かってる、
でもまだ過去形にはできない。
口が裂けてもそんなこと言えない。
辛くてもしんどい思いをしていても、
もういいよなんて言える気がしなかった。
「明日からは二名で面会してもいいと言われた」
とのことで、翌日の日曜日は私と父で会いに行くことにした。