母の病気が発覚したのが去年の11月。

最初はインフルエンザ対策のために、と血液内科の病棟への立ち入りは制限されてた。
遠くから週末だけ顔を出せる私は、良く長居してしまって看護師さんから注意されたり。

年を越え、新型感染症の話題で毎日にぎやかになり。
私の職場でも、移動制限がだされたり。
母への面会もより制限されるようになった。

退院中はなるべく距離を取り、離れたテーブルでご飯食べたね。
保育園の娘がいること、なかなか転職が難しいことなど考えて、4月から実家へ戻ることは断念した。

一年たって、免疫抑制が落ち着いた頃、一緒に住めたらいいなと思ってた。

8月に入院することになる前、母の病院でコロナのクラスターがでて。
今回の入院では、病棟立ち入りは一切不可だった。
荷物は一階から連絡して看護師さんに来てもらっての受け渡し。
二度、ほんとに短時間、三分程度ドア越しに顔が見れたけど。

その後急変し、ICUへ行った後、一切面会は許されなかった。携帯電話も家で保管。
母の様子を知る術がなくて、不安で毎日ラインを送り続けた。
担当医の先生に、面会を聞いてみたけど、県外から来られているしと言われ、炎症のはびこった肺のCTを見た後では食い下がれなかった。
気管切開の当日、休みがとれず、仕事をしているとき、父から連絡があり、手術室に向かう前のほんの一瞬顔を見させてもらえたと。
周りに人がたくさん居て、大した言葉は交わせなかったと言ってた。

一般病棟へ移れば携帯を確認することができるかと思ったけど、とてもそんな状態ではなかったみたいで。
気になって病棟に電話して、恐る恐る病状を聞いても、「変わりありません、よ?」とバカにした口調で退けられた。

それでも最初は血圧も保てていたらしいし、意識もある時間があったみたい。
夜間自己抜去があり、拘束開始と鎮静を深くすることの報告があったのが術3日後、翌日気胸がおきたと聞かされ、週三回の面会が許可されたのがその翌日、週明け母にやっと会えることを楽しみに過ごしていた。
木曜日の夜、病院から緊急で呼び出されたと父から報告を受け、居てもたっても居られず、終電に乗った。
酸素の交換がうまく行かず、アシドーシスが進んでいるとの話だった。
始発で戻り、仕事をして、夫と娘と実家へ戻ったのが土曜日の17時。
朝母に会った父から、尿量が少なくなっていると聞かされた。
翌朝、面会が1人までのところ、父と私2人で来ていいと連絡。
久しぶりに母に対面できた。
変わり果てた母。意識のない母。
昇圧剤、利尿剤、人工呼吸器も使って、なんとか命をつないでいる母。
それまではとても頑張ったねなんて言えなくて、帰ってきてしかなかったけど、苦しそうな母を見て、初めて本当に事態が把握できた気がした。

いくら数値や状態を知らされても、会えていなければ、現実から目をそらしてしまう。
せめてICUで意識のある母に会えていたら。
あの時なら、筆談もできたし、イヤホン使ってテレビも見てたって。
覚醒して、目を合わせてはくれたけど、もっと意志疎通ができたらどんなに違ったか。
いちばん母が不安で寂しかったときに、顔をみることもできなかった。

今この状態で、いつ頑張る力が切れるとわからなくても、泊まり込みは許可できないらしい。
面会もなるべく短時間でと言われた。

生きている母のそばにいる時間
もしかしたらもう本当にわずかしかない時間

コロナさえなければ、ICUにだって面会に行けただろう。
みんな母を救う気持ちで最善のことをしてくれたと思っているから、病院はそういう対策をせざるを得なかったのもわかるから、しかたないと思うけど

突然奪われたような気持ち
病気になってからすぐに覚悟ができていなかったのが悪いと言われればそうだけど

でも悔しい
すべてが悔しい

せっかく移植できたのに
すごくいいタイミングでドナーさんに同意をもらえて、
コロナで移植すら制限されるようになる少し前のタイミングで、
新しい生活を受け入れながらがんばろうとしてたのに

頑張ったねってもう休んでって言いたいけど
まだ諦められない
いかないでほしい
生きててほしい
いかないで
いかないで