2014年4月京都の春 2婆の旅

2014年、4月に、2婆(姉・私)で、京都に花見旅行に行ったときの覚書です。





25 二条陣屋(ニジョウジンヤ)は「本陣」



カラクリを凝らして守りを固めた邸、二条陣屋は、
“大名たちの宿泊所”だったというのだから、
名称は「二条陣屋」というけれど、
その邸の機能は、「本陣」だったということね。



いまさらだけど、「陣屋」と「本陣」との違いを調べた。(//・_・//)


陣屋とは・・・主に3万石以下の大名の屋敷。
        つまり、お城のような役目をしています。

本陣とは・・・参勤交代で他藩の大名が宿泊する施設。

(「okwave」

とな。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ





他にも、

「陣屋」は、

江戸時代の幕藩体制における、大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷、
また徳川幕府直轄領の代官の住居および役所が置かれた建物のこと
」で、

一般的に3万石以下の城を持たない大名が陣屋を持った、
また上級旗本も知行地に陣屋を構えた。
さらに大藩の家老の所領地である知行所の政庁が置かれた屋敷も含まれる。
飛地を所領に持つ大名が、
現地の出張所として陣屋を設置することもあった
。」(「ウィキペディア」)

∑ヾ( ̄0 ̄;ノ


ザックリ言えば、

「陣屋」は、“小さいながらも一国一城”の主たるお殿様(大名)の城(もどき)。家
あるいは、大きな大名などの出張所兼別宅。

「本陣」は、大名たちのホテル。ホテル

……というわけね。\(゜□゜)/




ガイドさんに、「京都には陣屋がなかったから」
……と説明された気がしていて、あせる
本当にそうなの? と調べたら、
京都に「陣屋」はあった!

Shane旅日記 日本全国陣屋巡りの旅

陣屋は江戸時代に3万石以下の
無城大名が藩庁を置いたところや
徳川幕府の直轄領の役所の総称です
。」


園部陣屋
(ネットより拝借)

園部陣屋(ソノベジンヤ) 京都市の西に。(上図の黄色部分)
丹波山家陣屋(タンバヤマガジンヤ) 園部のさらに北西に。
綾部陣屋(アヤベジンヤ) 山家陣屋から、さらに西に。
峰山陣屋(ミネヤマジンヤ) 京都市から北西、丹後半島の方に。



どれも、京都の中心部からはかなり離れているが、
とにかく、「陣屋」は4つあった。4
(中には、江戸時代に入ってから造られたものもある。)

京都になかったのは、「陣屋」ではなく、
大名のためのホテル、「本陣」なのだ。(=◇=;)


きっとガイドさんは、「本陣がなかった」とおっしゃったのだろう。
でも、私の聞き間違いで、
ぼんやりとして分かっていなかった「陣屋」と「本陣」の違いがわかったので、
よしとしよう♪(●´ω`●)ゞ


しかし、
「本陣」代わりとして機能していたのなら、
なぜ「二条本陣」と名づけなかったのだろうか?はてなマーク
なぜ「二条陣屋」と呼ぶのだろうか?はてなマーク


                  つづく