必見! これぞ 過酷情熱演奏旅行記


素晴らしい音楽演奏旅行記を教えてもらった。クラッカー


時は1970年、
斎藤秀雄氏は
「学生オーケストラを率いて東西ヨーロッパ各地で演奏会をおこなうという壮大な」演奏旅行に挑んだ。

その演奏旅行に当時同行された村上綜(声楽)氏による
旅行記である。グー

TOHO見聞録 1970 桐朋学園オーケストラ
欧州デビュー66日間の記録




斎藤秀雄氏とは、
「長野県松本市で毎年8、9月に開かれるサイトウ・ キネン・フェスティバル松本で編成されるオーケストラ(by ウィキペディア)」である、サイトウ・キネン・オーケストラに名を残している斎藤氏。
小澤征爾氏らの師としても知られている方。
まだ「音楽後進国」だった頃の日本の音楽をひっぱっていった方。アップ



演奏旅行が、1970年9月26日にスタートしたことを記念して、
村上氏の旅日記「TOHO見聞録」も、
この9月26日にスタートされたばかり。キラキラ


日々、更新されている。
当時の物価や、まだまだグローバル化されていない世界の様子も
実に面白い。(-^□^-)

1970年当時のロシアのホテルの様子なども、
視点が定まっていて、
実にこちらが知りたい、聞きたいことが押さえられている。
音楽家という独特で繊細な観点を以ってしてこそ、の日記である。チョキ


当時の世界旅行がいかに大変なものだったか……
ひぇ~、ひゃ~と慄いているうちに、
あっという間にその日の分が読み終わってしまう。Σ(・ω・;|||


お薦めです!
TOHO見聞録 1970 桐朋学園オーケストラ
欧州デビュー66日間の記録







昔、
開国したばかりの明治時代、
「音楽」というカテゴリーがなかった日本の教育現場に、
「音楽」の授業を最初に取り入れたのは長野県で、
当時、バイオリンなどの楽器もない日本で、
三味線では代用がきかない。汗
どうしたら高額なバイオリンを手に入れられるか……
いや、無理。
ならば、代替品を……
と、当時の先生方が、
亀の甲羅を使って俄かバイオリンを作ったという話を
何かの本で読んだことがある。kame
なんとも涙ぐましい話である。(ノ_・。)



ぴょ~~~~ろーーーーーーりっ! しゅずぼ~~~~♪(←雅楽)
遊びを~せんとや~うまれ~けん~♪(←今様)
ちんとんしゃん♪♪(←お座敷小唄)
ぴーひゃららっ、どんどこどん♪(←祭囃子)

など、
独特な音楽性(?)の文化であった日本(……と、私は思う)が、
西洋音楽の圧倒的な芸術性に打ちのめされながらも、
よくぞ今現在の音楽まで進化、発展してきたものだと思う。


一旦軌道に乗ってきた音楽が、
戦争のために歪められ、
稀有な才能が潰されたこともあったろう。(ノ◇≦。)


それでも、焼け跡から這い上がり立ち上がり、
今、我々は様々な音楽を十分に楽しめている。音譜
世界に通用する音楽家も日本から多く出現している。チョキ


その影には、齋藤氏や小澤征爾氏や村上氏始め、
さまざまな“先駆者”たちの
悲痛なまでの情熱と努力あったことと思う。(。-人-。)




1970年と言ったら、さほど遠い話ではない。
が、
「もはや戦後ではない」と、経済企画庁がその年の経済白書で宣言したのは、1956年。
1970年といったら、その後の高度成長期の到来を見ながら、
まだまだ円が安かった時代。
その時代の世界旅行のしんどさと言ったら、
いかばかりだったろう。・°・(ノД`)・°・


そうした事情も村上氏の日記を通して察せられる。
ありがたい旅日記であるよチョキ