2012年、3月末に訪れた熱海花見旅行の続きです。(書き掛けなのを忘れていたわ。)
3 お宮の松
熱海の海岸散歩する~♪
と言ったら、
尾崎紅葉の小説「金色夜叉」。
↑
お宮さん、貫一さんに蹴られるの図。
理由はどうあれ、
か弱いおなごを下駄で蹴るとは、ひどいぞ、貫一!
そして、
小説にちなんで名所(?)になってしまった「お宮の松」
↓
この松、車の中から通りすがりに眺めることはあっても、
わざわざそばに行って眺めることはほとんどない形骸化した「名所」である。
この松は、
「江戸時代前期(1645年頃)、
知恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を巡視した際に
植えさせた松の1本」。
その姿が美しかったから「羽衣の松」と呼ばれていた松。
ところが、
明治30年、読売新聞の連載小説「金色夜叉」が始まり、大人気に!
その人気に乗って、演歌師の作った「金色夜叉の歌」が大ヒット!
だもんだから、
小説の舞台であり、歌にも歌われた熱海の海岸、一躍フィーバー!
「天下の熱海温泉を不動とした」という。
「金色夜叉の歌」 唄/ 東海林太郎・松島詩子
↑
私は金色夜叉の歌といったら、これ!(°∀°)b
東海林太郎しか馴染み(?)がなかったけれど、
今は、色々出ているのね。
これなど、平成風にアレンジされたという感じで、
妙にいい!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
お暇な方はちょっと聞いてみて!
↓
「金色夜叉」 作詞作曲/ 宮島郁芳・後藤紫雲 唄/ 初音ミク
ならば、「金色夜叉ラップバージョン」なんてのも、できそう。о(ж>▽<)y ☆
話を戻すと、
新聞連載小説のお蔭で、一躍人気スポットになった熱海!
だもんだから、
大正8年(1919年)、
熱海に別荘を持っていた「煙草王」村井吉兵衛や土地の有志によって
「金色夜叉の碑」なんてものが
羽衣の松の横に建てられた。
カネモチ ユーシ カッテニ キネンヒィ♪
だもんだから、
いつしか松平伊豆守信綱さんが植えさせた「羽衣の松」が、
彼とは縁もゆかりもない“金色夜叉のお宮の松”と呼ばれるようになってしまったらしい。
「貫一」の名は冠せられなかった。
元を辿れば、金色夜叉もお宮も、この松とは全然関係ない……
という根拠のない名所。
いったい誰が最初に「羽衣の松」を「お宮の松」と言い出したものだろう。┐( ̄ヘ ̄)┌
いったん人口に膾炙すると、もはや修復が聞かないという
恐ろしい代表例だわ。(((゜д゜;)))
「うぐいす餅」も、そう!
あれは、「メジロ餅」と改名すべきだと私は思うのですがっ。
話を戻して、
この“羽衣の松、改めお宮の松”は
角度をちょいと変えると、
実にふぅわりと枝を広げて、どことなく柔らかげでたおやか。
↓
「羽衣の松」と呼ばれたこの優美さゆえに、女性的なイメージが強く、
「お宮」さんと結びついたのかもしれない。
貫一も一緒に登場している松のシーンなのに、
「貫一お宮の松」と呼ばれず、「お宮」だけになっちゃったのも、
この松があまりに優美で女性的だからではなかろうか。
な~んて考えてたら、
この松は、もはや「羽衣の松」ではなかった。∑(-x-;)
そもそも初代の「羽衣の松」だった「お宮の松」は、
熱海が世間の注目を集め、自動車道などの開発がなされたため、
車の排気ガスで枯れてしまった! と。
ニンキ フットー ヒト サットー ソレデケッキョク マツ ゼットー?
↑
枯れちまった「初代お宮の松(もとい、羽衣の松)」の年輪は、
江戸時代の年輪が刻まれているのね~。(=◇=;)
参照:小栗風葉
「金色夜叉」未完のまま尾崎紅葉が死ぬと、
その門人、小栗風葉が「終編金色夜叉」と題して、終わらせたらしい。
つづく
3 お宮の松
熱海の海岸散歩する~♪
と言ったら、
尾崎紅葉の小説「金色夜叉」。
↑
お宮さん、貫一さんに蹴られるの図。
理由はどうあれ、
か弱いおなごを下駄で蹴るとは、ひどいぞ、貫一!
そして、
小説にちなんで名所(?)になってしまった「お宮の松」
↓
この松、車の中から通りすがりに眺めることはあっても、
わざわざそばに行って眺めることはほとんどない形骸化した「名所」である。
この松は、
「江戸時代前期(1645年頃)、
知恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を巡視した際に
植えさせた松の1本」。
その姿が美しかったから「羽衣の松」と呼ばれていた松。
ところが、
明治30年、読売新聞の連載小説「金色夜叉」が始まり、大人気に!
その人気に乗って、演歌師の作った「金色夜叉の歌」が大ヒット!
だもんだから、
小説の舞台であり、歌にも歌われた熱海の海岸、一躍フィーバー!
「天下の熱海温泉を不動とした」という。
「金色夜叉の歌」 唄/ 東海林太郎・松島詩子
↑
私は金色夜叉の歌といったら、これ!(°∀°)b
東海林太郎しか馴染み(?)がなかったけれど、
今は、色々出ているのね。
これなど、平成風にアレンジされたという感じで、
妙にいい!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
お暇な方はちょっと聞いてみて!
↓
「金色夜叉」 作詞作曲/ 宮島郁芳・後藤紫雲 唄/ 初音ミク
ならば、「金色夜叉ラップバージョン」なんてのも、できそう。о(ж>▽<)y ☆
話を戻すと、
新聞連載小説のお蔭で、一躍人気スポットになった熱海!
だもんだから、
大正8年(1919年)、
熱海に別荘を持っていた「煙草王」村井吉兵衛や土地の有志によって
「金色夜叉の碑」なんてものが
羽衣の松の横に建てられた。
カネモチ ユーシ カッテニ キネンヒィ♪
だもんだから、
いつしか松平伊豆守信綱さんが植えさせた「羽衣の松」が、
彼とは縁もゆかりもない“金色夜叉のお宮の松”と呼ばれるようになってしまったらしい。
「貫一」の名は冠せられなかった。
元を辿れば、金色夜叉もお宮も、この松とは全然関係ない……
という根拠のない名所。
いったい誰が最初に「羽衣の松」を「お宮の松」と言い出したものだろう。┐( ̄ヘ ̄)┌
いったん人口に膾炙すると、もはや修復が聞かないという
恐ろしい代表例だわ。(((゜д゜;)))
「うぐいす餅」も、そう!
あれは、「メジロ餅」と改名すべきだと私は思うのですがっ。
話を戻して、
この“羽衣の松、改めお宮の松”は
角度をちょいと変えると、
実にふぅわりと枝を広げて、どことなく柔らかげでたおやか。
↓
「羽衣の松」と呼ばれたこの優美さゆえに、女性的なイメージが強く、
「お宮」さんと結びついたのかもしれない。
貫一も一緒に登場している松のシーンなのに、
「貫一お宮の松」と呼ばれず、「お宮」だけになっちゃったのも、
この松があまりに優美で女性的だからではなかろうか。
な~んて考えてたら、
この松は、もはや「羽衣の松」ではなかった。∑(-x-;)
そもそも初代の「羽衣の松」だった「お宮の松」は、
熱海が世間の注目を集め、自動車道などの開発がなされたため、
車の排気ガスで枯れてしまった! と。
ニンキ フットー ヒト サットー ソレデケッキョク マツ ゼットー?
↑
枯れちまった「初代お宮の松(もとい、羽衣の松)」の年輪は、
江戸時代の年輪が刻まれているのね~。(=◇=;)
参照:小栗風葉
「金色夜叉」未完のまま尾崎紅葉が死ぬと、
その門人、小栗風葉が「終編金色夜叉」と題して、終わらせたらしい。
つづく