2011年広島・宮島旅行16 大和(ヤマト)ミュージアム
あっという間に広島旅行最後の日となった。
友の最後のリクエストは、“あともう1回(できればそれ以上)、広島のお好み焼きが食べたい”だった。
私は、俄かに呉にある
「大和(ヤマト)ミュージアム」と「てつのくじら館」見学をリクエスト。
呉ならではの“広島風お好み焼き”が食べられるかもしれないね。
……ってんで、呉へGo!
呉までは広島から電車で30分ほど。
呉駅から空中歩道を5分ほど進み、大型ショッピングセンター(?)を突っ切ると、
大和ミュージアムだ。
ポセイドン(?)がお迎えしてくれる。
館に入ると、小さなカウンターがあって、
おそらく元海上自衛隊らしき男性が
柔和なスマイルで迎えてくれる。
ついでに、「南極の石」も黙々と迎えてくれる。Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
なぜ「南極の石」?
戦艦大和が“売り”のミュージアムに?
ここで意外な事実を教えていただいた。
この石を持ち帰ったのは海上自衛隊なのだそうだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
南極地域調査隊を南極へ輸送したり、
彼らのための食料を届けたりしたのは、
海上自衛隊艦で、
南極からの帰りに、
この「南極の石」などを持って帰ってきたのも、
海上自衛隊艦「ふじ」なのだそうだ。(=◇=;)
(現在は「条約」で、もう石は持ち帰れなくなってしまったという。――南極の「氷」はまだ持ち帰りOKらしいが。)
参照:
ウィキペディア「南極地域観測隊」
ウィキペディア「ふじ(砕氷艦)」
(注)私は今回調べるまで、「南極地域観測隊」という言葉を知らず、すべて「南極越冬隊」というものだと思い込んでいた。Σ(~∀~||;)
係りの人も「越冬隊」という言葉を使ったのは、私に合わせてくれたのだろう。
「南極地域観測隊」全員が南極で越冬するわけではなく、
越冬しないで帰ってくる「夏隊」もいれば、越冬する「冬隊」もいる。
「冬隊」のことだけを指して、「南極越冬隊」というのであったよ。ヽ(;´Д`)ノ
これも後日調べてわかったことだが、
海上自衛隊の砕氷艦「ふじ」は、南極観測船としては2代目。
1代目の「宗谷」は南極の石を持って帰らなかったのか?
「南極の石」を持って帰ったのは「ふじ」だけなのか、未確認。f^_^;
それにしても、
南極地域観測隊を支えていたのは海上自衛隊だったとは、知らなんだ!(=◇=;)
しかも、文科省(当時は文部省)が予算を決め、
自衛隊にその予算を充て、
自衛隊が行使する仕組みだという。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
文科省と自衛隊がそんな風に結びついているというのも、意外だった。
自衛隊といったら、すべて防衛省が仕切っているのだと思っていたわ。
入り口の「南極の石」から、早速に“来た甲斐度”の針が触れ始めた。(°∀°)b
そして、戦艦大和! サラバ~地球ヨ~♪
↓
全長263m、最大幅38.9m、
「現在でも世界の歴史上最大の戦艦」!
……の実物の10分の1の模型。(^O^)
戦艦大和はこの呉(呉海軍工廠)で作られたらしい。
甲板の木目が美しい。
↑
実物の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)もどーんと展示されている。
ゼロ戦って、緑色だったのね……。
展示場は吹き抜けになっている大きなスペースなので、
戦艦や潜水艦、戦闘機などを、
下から上からあらゆる角度から眺めることができる。
とくと見てもらおうという心意気を感じる展示場である。
(↑特殊潜航艇「海龍」)
その他、
大和で使用された主砲弾、
人間魚雷「回天」、
特殊潜航艇「海龍」、
当時の呉の町の変遷や
巡洋艇や駆逐艦の紹介、
資料も豊富で説明もなかなか丁寧。
↑
実物の大和の勇姿。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
世界最大だろうがなんだろうが、
戦争に負けると
こうなる……。
↓
参照:
(ネットより拝借)
↑
大爆発して沈没する大和(1945年4月7日14時23分、北緯30度22分東経128度4分。(ネットより拝借)
艦艇が撃破され、海に投げ出され、上も下もわからず衝撃波の中で身を揉まれ、
やっと海面に顔を出せた若い海兵に、
あちらで何か浮くものにつかまっていた上官(?)が、その浮きを彼に寄越して言ったそうだ。
「君は若いのだから、生きろ!」と。
(このDVDでの証言が、戦艦大和沈没のときのことかどうか、未確認のまま帰ってきちゃった。)
当たり前のことだけど、戦艦には人間が乗っていたんだよね……。
戦艦の勇壮さにうっかり、
これが、敵という人間を殺し、
殺さねばこちらの人間が殺される……ということを忘れかねない。
戦時中は、そういうことを「忘れる」というより、
当たり前の「正義」「忠義」として捉えられていたのだろうね。
だからって、「人間魚雷(回天)」という狂気の魚雷までが、
「必中必殺の肉弾攻撃」、「必死必殺の救国兵器」(byウィキペディア)として、
呉工廠で製作されていたとは……。((>д<))
これを設計した人々は、
これを製作した人々は、
これに乗るよう命じた人々は、
これに乗ることを志願した人々は、
みんな命懸けで闘っていたのだろう。
しかし、「人間魚雷」……なんと滑稽な響きがあることか。
まるで漫画のようだ。
しかし、これは現実で、
こんな滑稽な狂気が、「玉砕」という言葉で彩られることが、
私には悲しいほどアホくさくて悔しくて仕方がない……。
――でも、私が当時、海兵隊だったら、義憤や正義感に燃え、使命に燃え、
愛国心に燃え盛って、
喜んで人間魚雷になったんだろうなぁ。
各ブースが工夫された展示で、
戦時中、
日本がいかに闘ってきたか。
日本人がいかに死んだか。
いかに生きねばならなかったか。
戦争に飲み込まれた悲惨を
切々と訴えてくる品々もあり、
DVDなど思わず泣けてくる。
体験コーナーなども軍港ならではのものがいっぱい!
船の運転シュミレーションコーナー。
↓
無事に港まで船を付けるシュミレーション。
これ、やりたかったのに、ファミリーが陣取って、なかなか代わってくれなかったので、諦めた。クゥゥww
↑
水が流れているわけではないのに、波を作るマシーンとか。
↓
楽しみながら学べるコーナーは子ども連れにも、大人だけでも、
丸1日十分楽しめる。
中庭(?)には大和で使用された主砲弾のオブジェとか
↓
なぜか真っ二つにされた犬のオブジェとか、
↓
戦艦大和の前甲板左半分を実物大で再現した広場で
大和の広さを実感できたり、
↓
(半分だけでもこんなに大きな戦艦…・・・掃除するの大変だったろうね。)
戦艦大和の「艦橋」(=艦の頭脳にあたる所)部分にあたる場所を再現した休憩所(?)
もあったが、
↓
本当ならば海面から40mの高さ(ビルの10F ほど)にあったという艦橋。
その高さまで再現されていたら、よかったなぁ。
「戦艦大和」……なんだか実質大した働きをしていないように私には思えるけれど、
日本の軍艦のシンボルとしてやはり魅力的だ。
この“再現甲板”に立ち、海風を感じていると、
戦争の悲惨さだけではなく、
戦艦の甲板に立ち、日本の勝利を信じて、
敵に打ち勝つことを誓い、
己の命を懸けて日本を救おうと
海原に出て行った海兵たちの心にあったであろう
高揚感と愛国心の美しさを思わずにはおれない。
昔、小説(?)『戦艦大和ノ最期』(吉田 満)を読んだときは、なんだかチンプンカンプンでよくわからず、途中で投げてしまった。
「大和ミュージアム」を訪れた今なら、
落ち着いて、味わいながら読めるかも……という気がする。(気がするだけか?)
(トンビ)
大和ミュージアム、
実は、「戦艦大和」の模型に惹かれただけで、
たいして期待はしていなかったのだが、
と~~~~っても面白かった!
見学するに価値のある所だ。о(ж>▽<)y ☆
あっという間に広島旅行最後の日となった。
友の最後のリクエストは、“あともう1回(できればそれ以上)、広島のお好み焼きが食べたい”だった。
私は、俄かに呉にある
「大和(ヤマト)ミュージアム」と「てつのくじら館」見学をリクエスト。
呉ならではの“広島風お好み焼き”が食べられるかもしれないね。
……ってんで、呉へGo!
呉までは広島から電車で30分ほど。
呉駅から空中歩道を5分ほど進み、大型ショッピングセンター(?)を突っ切ると、
大和ミュージアムだ。
ポセイドン(?)がお迎えしてくれる。
館に入ると、小さなカウンターがあって、
おそらく元海上自衛隊らしき男性が
柔和なスマイルで迎えてくれる。
ついでに、「南極の石」も黙々と迎えてくれる。Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
なぜ「南極の石」?
戦艦大和が“売り”のミュージアムに?
ここで意外な事実を教えていただいた。
この石を持ち帰ったのは海上自衛隊なのだそうだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
南極地域調査隊を南極へ輸送したり、
彼らのための食料を届けたりしたのは、
海上自衛隊艦で、
南極からの帰りに、
この「南極の石」などを持って帰ってきたのも、
海上自衛隊艦「ふじ」なのだそうだ。(=◇=;)
(現在は「条約」で、もう石は持ち帰れなくなってしまったという。――南極の「氷」はまだ持ち帰りOKらしいが。)
参照:
ウィキペディア「南極地域観測隊」
ウィキペディア「ふじ(砕氷艦)」
(注)私は今回調べるまで、「南極地域観測隊」という言葉を知らず、すべて「南極越冬隊」というものだと思い込んでいた。Σ(~∀~||;)
係りの人も「越冬隊」という言葉を使ったのは、私に合わせてくれたのだろう。
「南極地域観測隊」全員が南極で越冬するわけではなく、
越冬しないで帰ってくる「夏隊」もいれば、越冬する「冬隊」もいる。
「冬隊」のことだけを指して、「南極越冬隊」というのであったよ。ヽ(;´Д`)ノ
これも後日調べてわかったことだが、
海上自衛隊の砕氷艦「ふじ」は、南極観測船としては2代目。
1代目の「宗谷」は南極の石を持って帰らなかったのか?
「南極の石」を持って帰ったのは「ふじ」だけなのか、未確認。f^_^;
それにしても、
南極地域観測隊を支えていたのは海上自衛隊だったとは、知らなんだ!(=◇=;)
しかも、文科省(当時は文部省)が予算を決め、
自衛隊にその予算を充て、
自衛隊が行使する仕組みだという。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
文科省と自衛隊がそんな風に結びついているというのも、意外だった。
自衛隊といったら、すべて防衛省が仕切っているのだと思っていたわ。
入り口の「南極の石」から、早速に“来た甲斐度”の針が触れ始めた。(°∀°)b
そして、戦艦大和! サラバ~地球ヨ~♪
↓
全長263m、最大幅38.9m、
「現在でも世界の歴史上最大の戦艦」!
……の実物の10分の1の模型。(^O^)
戦艦大和はこの呉(呉海軍工廠)で作られたらしい。
甲板の木目が美しい。
↑
実物の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)もどーんと展示されている。
ゼロ戦って、緑色だったのね……。
展示場は吹き抜けになっている大きなスペースなので、
戦艦や潜水艦、戦闘機などを、
下から上からあらゆる角度から眺めることができる。
とくと見てもらおうという心意気を感じる展示場である。
(↑特殊潜航艇「海龍」)
その他、
大和で使用された主砲弾、
人間魚雷「回天」、
特殊潜航艇「海龍」、
当時の呉の町の変遷や
巡洋艇や駆逐艦の紹介、
資料も豊富で説明もなかなか丁寧。
↑
実物の大和の勇姿。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
世界最大だろうがなんだろうが、
戦争に負けると
こうなる……。
↓
参照:
(ネットより拝借)
↑
大爆発して沈没する大和(1945年4月7日14時23分、北緯30度22分東経128度4分。(ネットより拝借)
艦艇が撃破され、海に投げ出され、上も下もわからず衝撃波の中で身を揉まれ、
やっと海面に顔を出せた若い海兵に、
あちらで何か浮くものにつかまっていた上官(?)が、その浮きを彼に寄越して言ったそうだ。
「君は若いのだから、生きろ!」と。
(このDVDでの証言が、戦艦大和沈没のときのことかどうか、未確認のまま帰ってきちゃった。)
当たり前のことだけど、戦艦には人間が乗っていたんだよね……。
戦艦の勇壮さにうっかり、
これが、敵という人間を殺し、
殺さねばこちらの人間が殺される……ということを忘れかねない。
戦時中は、そういうことを「忘れる」というより、
当たり前の「正義」「忠義」として捉えられていたのだろうね。
だからって、「人間魚雷(回天)」という狂気の魚雷までが、
「必中必殺の肉弾攻撃」、「必死必殺の救国兵器」(byウィキペディア)として、
呉工廠で製作されていたとは……。((>д<))
これを設計した人々は、
これを製作した人々は、
これに乗るよう命じた人々は、
これに乗ることを志願した人々は、
みんな命懸けで闘っていたのだろう。
しかし、「人間魚雷」……なんと滑稽な響きがあることか。
まるで漫画のようだ。
しかし、これは現実で、
こんな滑稽な狂気が、「玉砕」という言葉で彩られることが、
私には悲しいほどアホくさくて悔しくて仕方がない……。
――でも、私が当時、海兵隊だったら、義憤や正義感に燃え、使命に燃え、
愛国心に燃え盛って、
喜んで人間魚雷になったんだろうなぁ。
各ブースが工夫された展示で、
戦時中、
日本がいかに闘ってきたか。
日本人がいかに死んだか。
いかに生きねばならなかったか。
戦争に飲み込まれた悲惨を
切々と訴えてくる品々もあり、
DVDなど思わず泣けてくる。
体験コーナーなども軍港ならではのものがいっぱい!
船の運転シュミレーションコーナー。
↓
無事に港まで船を付けるシュミレーション。
これ、やりたかったのに、ファミリーが陣取って、なかなか代わってくれなかったので、諦めた。クゥゥww
↑
水が流れているわけではないのに、波を作るマシーンとか。
↓
楽しみながら学べるコーナーは子ども連れにも、大人だけでも、
丸1日十分楽しめる。
中庭(?)には大和で使用された主砲弾のオブジェとか
↓
なぜか真っ二つにされた犬のオブジェとか、
↓
戦艦大和の前甲板左半分を実物大で再現した広場で
大和の広さを実感できたり、
↓
(半分だけでもこんなに大きな戦艦…・・・掃除するの大変だったろうね。)
戦艦大和の「艦橋」(=艦の頭脳にあたる所)部分にあたる場所を再現した休憩所(?)
もあったが、
↓
本当ならば海面から40mの高さ(ビルの10F ほど)にあったという艦橋。
その高さまで再現されていたら、よかったなぁ。
「戦艦大和」……なんだか実質大した働きをしていないように私には思えるけれど、
日本の軍艦のシンボルとしてやはり魅力的だ。
この“再現甲板”に立ち、海風を感じていると、
戦争の悲惨さだけではなく、
戦艦の甲板に立ち、日本の勝利を信じて、
敵に打ち勝つことを誓い、
己の命を懸けて日本を救おうと
海原に出て行った海兵たちの心にあったであろう
高揚感と愛国心の美しさを思わずにはおれない。
昔、小説(?)『戦艦大和ノ最期』(吉田 満)を読んだときは、なんだかチンプンカンプンでよくわからず、途中で投げてしまった。
「大和ミュージアム」を訪れた今なら、
落ち着いて、味わいながら読めるかも……という気がする。(気がするだけか?)
(トンビ)
大和ミュージアム、
実は、「戦艦大和」の模型に惹かれただけで、
たいして期待はしていなかったのだが、
と~~~~っても面白かった!
見学するに価値のある所だ。о(ж>▽<)y ☆