ハワイ旅行記はちょっと後回しにして、
今は11月中旬の京都旅行記。
いつもの長~い日記だ。
適当にスルーしてちょ。^^
秋の京都旅行2 槙尾(西明寺)
高雄の神護寺(階段の下)から、清滝川(キヨタキガワ)に沿って、紅葉の山道(アスファルト舗装)を10分ほど奥に歩き、お隣槙の尾、西明寺(セイミョウジ)を目指す。
(西明寺にも駐車場はあるが、一々駐車場代を取られるので、まずはタクシーの運転手さんも一緒に西明寺まで歩いて行き、後でタクシーの運転手さんが神護寺の駐車場まで戻って車で西明寺まで迎えに来てくれた。)
道端の露天で売られていた柿の美味しそうなこと!
でも、1個300円もする。∑(-x-;)
……高いのか、安いのか???
↓
皮ごとの柿をスプーンを付けて供されたことがないが、
この柿はソンナ風に、スプーンで掬って食べることが出来るほどに
熟れているのだろうか。
(私は柿が大大大大大好きです!!!一応お知らせまで。)
「指月橋」なる朱塗りの雅やかな橋で清滝川を再び渡り、槙の尾の西明寺(セイミョウジ)へ。
↓
槙の尾と言うからなのか、境内の中央には巨大な槙の木がっ!Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
↑
説明板に拠ると、
樹名:「槙」(高野槙)
樹齢:「約七〇〇年」
由来:「自性上人(鎌倉時代)手植えの木。
日本最古の槙の木の一本。」
とな。
「700年」で「最古の槙」?
槙って樹齢が短いのかいな?
と腑に落ちず。
追記:後日、ネットで調べたら、槙の木は樹齢が長いものだとしているサイト発見。
↓
参照:
「巨木、名木、樹齢2500年」
滋賀県に樹齢推定1200年の霊木の槙が存在していた。Σ(・ω・ノ)ノ!
となると、「日本最古の槙の木の一本」という表記は、削ったらいかがかな?
と、私は思う。
(滋賀県の方の槙の木は、空海のライバル?最澄が植樹したとされているので、そんな木は空海絡みの西明寺としては認めたくないのだろうか?( ̄□ ̄;))
真の木と書いて、槙。
嘘っぱちな表記はいかんでしょ。
(私は槙の木も大好き! 一応お知らせまで。)
700年だろうが、何年だろうが、西明寺の槙は
確かに老木で、ひょろ~りひょろりと背ばかり高い槙であったが、
下の方はまだまだ元気で葉も青々としていた。
頑張れ!君が日本最古となるその日まで!
↓
西明寺は、そもそもは空海の弟子智泉(チセン)が9世紀前半頃に神護寺の別院として創建したもの。
智泉は弘法大師の甥にあたり、9歳の頃から弘法大師に弟子入りし、
「大師をして『密教の事は智泉に任す。』と言われた」ほど「聡明」な人物であったらしい。(=◇=;)
賢い上に甥っこなら、なおのことかわいいよね。
その後、神護寺から独立したり、荒廃したり、自性上人(槙を植えたお方ね)によって再興されたり、浮き沈みがあって、今に至るわけだ。
堂は古びた美しさがあり、黒ずんだ柱の向こうに見える紅葉は一幅の絵のようにさえ感じる。
↓
↑
特に、もっこりと敷き詰められた苔が美しいこと!
神護寺の苔も美しかった。
ここらの苔は山の霊気を吸って
とりわけ美しく育つのかもしれない。
正方形を斜めに並べた濡れ縁の下の石畳。
これは、タクシーの運転手さんの話によると、
龍の鱗を表しているのだそうだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
↓
なぜに龍の鱗?
清滝川の氾濫を恐れ、水の神様である龍に守られたいという気持ちの現れだろうか?
龍の鱗の上、つまり、龍の背に乗っていれば、お寺も安泰という気がするものね。
境内に入ってすぐ右手にあるお堂は
特になんということもなく、素通りしてしまっていたが、
よく見ると、
巾着?と交差した2本の大根模様が染め抜いてある幕が垂れて、
とても妙。
↓
線香立てかと見えたものも、よく見ると、巾着袋のような形をしていて、妙。
近づいてよく見ると、
大根2本が交差したマークに「京都中央信用金庫」の銘。
↓
山寺にあって、いきなり俗な匂いを感じてしまう。
(そりゃまぁ、お寺さんだって生活しているわけで、銀行とのやり取りくらいはあるのだろうが……。)
大根2本交差マークはどうやら京都中央信用金庫のロゴではないようだ。
どういう経緯で京都中央信用金庫がこの西明寺に大根マークの巾着型賽銭入れ(?)を寄贈したのかは謎だが、
ここでお金を入れて祈ると、2倍になって返って来る……てなことが書いてある。Σ(・ω・ノ)ノ!
そりゃ、祈らなきゃ! と思わず賽銭10円投げ入れて祈る。(安っ)
銭への執着心を煽られて、なんとなく京都中央信用金庫に腹の底を見透かされているような落ち着かない気持ちになったことであった。A=´、`=)ゞ
ま、これもご愛嬌ということで。
(あ、私は銭っこも大好きです! 一応お知らせまで。)
つづく
今は11月中旬の京都旅行記。
いつもの長~い日記だ。
適当にスルーしてちょ。^^
秋の京都旅行2 槙尾(西明寺)
高雄の神護寺(階段の下)から、清滝川(キヨタキガワ)に沿って、紅葉の山道(アスファルト舗装)を10分ほど奥に歩き、お隣槙の尾、西明寺(セイミョウジ)を目指す。
(西明寺にも駐車場はあるが、一々駐車場代を取られるので、まずはタクシーの運転手さんも一緒に西明寺まで歩いて行き、後でタクシーの運転手さんが神護寺の駐車場まで戻って車で西明寺まで迎えに来てくれた。)
道端の露天で売られていた柿の美味しそうなこと!
でも、1個300円もする。∑(-x-;)
……高いのか、安いのか???
↓
皮ごとの柿をスプーンを付けて供されたことがないが、
この柿はソンナ風に、スプーンで掬って食べることが出来るほどに
熟れているのだろうか。
(私は柿が大大大大大好きです!!!一応お知らせまで。)
「指月橋」なる朱塗りの雅やかな橋で清滝川を再び渡り、槙の尾の西明寺(セイミョウジ)へ。
↓
槙の尾と言うからなのか、境内の中央には巨大な槙の木がっ!Σ(・ω・ノ)ノ!
↓
↑
説明板に拠ると、
樹名:「槙」(高野槙)
樹齢:「約七〇〇年」
由来:「自性上人(鎌倉時代)手植えの木。
日本最古の槙の木の一本。」
とな。
「700年」で「最古の槙」?
槙って樹齢が短いのかいな?
と腑に落ちず。
追記:後日、ネットで調べたら、槙の木は樹齢が長いものだとしているサイト発見。
↓
参照:
「巨木、名木、樹齢2500年」
滋賀県に樹齢推定1200年の霊木の槙が存在していた。Σ(・ω・ノ)ノ!
となると、「日本最古の槙の木の一本」という表記は、削ったらいかがかな?
と、私は思う。
(滋賀県の方の槙の木は、空海のライバル?最澄が植樹したとされているので、そんな木は空海絡みの西明寺としては認めたくないのだろうか?( ̄□ ̄;))
真の木と書いて、槙。
嘘っぱちな表記はいかんでしょ。
(私は槙の木も大好き! 一応お知らせまで。)
700年だろうが、何年だろうが、西明寺の槙は
確かに老木で、ひょろ~りひょろりと背ばかり高い槙であったが、
下の方はまだまだ元気で葉も青々としていた。
頑張れ!君が日本最古となるその日まで!
↓
西明寺は、そもそもは空海の弟子智泉(チセン)が9世紀前半頃に神護寺の別院として創建したもの。
智泉は弘法大師の甥にあたり、9歳の頃から弘法大師に弟子入りし、
「大師をして『密教の事は智泉に任す。』と言われた」ほど「聡明」な人物であったらしい。(=◇=;)
賢い上に甥っこなら、なおのことかわいいよね。
その後、神護寺から独立したり、荒廃したり、自性上人(槙を植えたお方ね)によって再興されたり、浮き沈みがあって、今に至るわけだ。
堂は古びた美しさがあり、黒ずんだ柱の向こうに見える紅葉は一幅の絵のようにさえ感じる。
↓
↑
特に、もっこりと敷き詰められた苔が美しいこと!
神護寺の苔も美しかった。
ここらの苔は山の霊気を吸って
とりわけ美しく育つのかもしれない。
正方形を斜めに並べた濡れ縁の下の石畳。
これは、タクシーの運転手さんの話によると、
龍の鱗を表しているのだそうだ。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
↓
なぜに龍の鱗?
清滝川の氾濫を恐れ、水の神様である龍に守られたいという気持ちの現れだろうか?
龍の鱗の上、つまり、龍の背に乗っていれば、お寺も安泰という気がするものね。
境内に入ってすぐ右手にあるお堂は
特になんということもなく、素通りしてしまっていたが、
よく見ると、
巾着?と交差した2本の大根模様が染め抜いてある幕が垂れて、
とても妙。
↓
線香立てかと見えたものも、よく見ると、巾着袋のような形をしていて、妙。
近づいてよく見ると、
大根2本が交差したマークに「京都中央信用金庫」の銘。
↓
山寺にあって、いきなり俗な匂いを感じてしまう。
(そりゃまぁ、お寺さんだって生活しているわけで、銀行とのやり取りくらいはあるのだろうが……。)
大根2本交差マークはどうやら京都中央信用金庫のロゴではないようだ。
どういう経緯で京都中央信用金庫がこの西明寺に大根マークの巾着型賽銭入れ(?)を寄贈したのかは謎だが、
ここでお金を入れて祈ると、2倍になって返って来る……てなことが書いてある。Σ(・ω・ノ)ノ!
そりゃ、祈らなきゃ! と思わず賽銭10円投げ入れて祈る。(安っ)
銭への執着心を煽られて、なんとなく京都中央信用金庫に腹の底を見透かされているような落ち着かない気持ちになったことであった。A=´、`=)ゞ
ま、これもご愛嬌ということで。
(あ、私は銭っこも大好きです! 一応お知らせまで。)
つづく