名古屋一人旅 27
(4月初旬の名古屋、たった1泊の一人旅をしました。)
お願い:
私は歴史に疎いので、以下にアップした内容に間違いがあるかもしれません。ネットや本で軽く確認しただけの内容を私なりにざっとまとめた部分は特に要注意。(><;)
間違いに気がつかれたら、ご指摘くだされば、幸甚です。(^^ゞ
さて、次のお目当ては樹齢600年以上という榧(カヤ)の木。
地図で見ると城の内堀の南西の角あたりにあるように見えるのだが、
一帯、ひろびろと木々が植えられて、ちょっと迷ってしまった。
で、地図よりは西に行った辺りに、ようやく榧の木、発見!ヾ(@^(∞)^@)ノ
↓
榧の木は、以前、鎌倉で一度見たことがあるだけ。
しかも、それは枯れ果てた古い切り株だった。
そんな古い切り株に、わざわざ「榧」と立て札が添えられていた。
餅つきの臼のような切り株だった。
なので、榧はきっと臼を作るのに遣われる特別貴重な木だったに違いない……と推察していた。
今回ようやく生きた榧の木が見られた!
↓
樹齢600年というわりには小柄な木だね。∑(-x-;)
四方八方に枝別れして、わしゃわしゃと葉を茂らせている。
600歳以上なのに、こんなに青々と葉を茂らせているというのは
やはり凄いことだね。(*^o^*)
「榧の木 天然記念物
高さ16メートル、幹回り8メートルで、築城以前から自生し、樹齢600年以上といわれている。名古屋市内で唯一の国指定の天然記念物である。空襲によって被災したが、幸いにして樹勢を取り戻した。初代藩主、徳側義直が大坂へ出陣のとき、この実を膳に盛り、のち正月の祝膳にも盛ったといわれる。」
英語版の説明には、
Torreya Nut Tree (Torreya Nucifera)とある。
きっと木の実が特徴的な木なのだね。
榧の実…・・・どんなお味なのだろう?
どう食べるのだろう?
木の実だから、美味しいに違いない!
あるいは、榧の実って、縁起ものなのだろうか?
あるいは、当時は食糧難で、城の中の榧の実を食事に取り入れたということなのだろうか?
とにもかくにも、
城の中には
食料になったり、薬になったり、毒になったりする植物が植えられていることであるよ。(*^o^*)
築城以前から名古屋台地に自生していたというこの木。
築城の際はまだ若々しい木だったろう。(といっても、既に樹齢約200年。)
よくぞ切り倒されずにここまで生きてきたものだ。
やはり木はそうそう切り倒さないで欲しいものだ。(。-人-。)
↑
「高さ16メートル、幹回り8メートル」と説明されているけれど、私にはもう少し小さいように思われた。| 壁 |д・)
でも、生きた榧が見られて、満足、満足!(≧▽≦)
これで榧の実を使った饅頭か餅かなにか、お土産で食べられたら言うことなかったなぁ。
追記:
「大坂へ出陣」って何? と調べてみた。(私は歴史に超疎い(//・_・//))
私は1600年関が原の戦いで戦国時代は終わって、戦のない江戸時代に突入したのかと思っていたが、全然違った。゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o
徳川家康は1603年に征夷大将軍に任官され、江戸幕府を開くも、大坂の豊臣軍を平定しなければならなかった。
で、大坂の陣(1614~1615年-冬の陣、夏の陣、コミで)でやっと大坂城を落とし、豊臣を滅ぼしたわけだね。(=◇=;)
徳川義直は徳川家康の9男で、名古屋城はなんと、徳川家康が義直のために作ったのだという。Σ(・ω・ノ)ノ!
東海道の要所となる名古屋城を己が息子に託そうというわけだったのだ。
1609年に築城を決めて、1610年に天下普請して、1612年には天守閣が完成したという。
つまり、家康は大坂城を攻めつつ、
一方では名古屋城を作らせて、諸侯の力を吐き出させたのだ。
あの大きなたっぷりの石垣は、諸侯を弱らせようという家康の狙いがあったのだね。Σ(・ω・;|||
家康の9男義直は1600年生まれ。
1603年には甲府藩主、1607年には清洲藩主、1610年に名古屋藩主となっている。
年端も行かぬ頃から「藩主」!?ヽ((◎д◎ ))ゝ
メチャクチャヤ。┐( ̄ヘ ̄)┌
「大坂の陣のとき」と言ったら、義直が14~15歳のときということになるでないの?
そのときに、誰かに命じてこの榧の実を調理させて、膳に盛って食べたわけか?
「愛知県人はケチ」と言われるムキがあるが、これは「義直の気風が生きている」(?)という説もあるらしい。
しかし、図書館の走りのようなものを作って、それを門外不出にせず、広く人々に公開するようにしたという話もあるし、何を以ってして彼が「ケチ」と称されるのか、私にはわからない。( ゜∋゜)
幼くして「藩主」になり、世を牛耳る父からは天下要の名古屋城をプレゼントされ、あどけなさの残る若さで榧の実食べて戦場へ赴き……。
徳川義直、いったいどんな人物だったのだろう。
榧の木は彼に直接会ったことがあるのだ。
あぁ、木と話せたら面白い話がいっぱい聞けるだろうに……。
(26へ) つづく (28へ)
(4月初旬の名古屋、たった1泊の一人旅をしました。)
お願い:
私は歴史に疎いので、以下にアップした内容に間違いがあるかもしれません。ネットや本で軽く確認しただけの内容を私なりにざっとまとめた部分は特に要注意。(><;)
間違いに気がつかれたら、ご指摘くだされば、幸甚です。(^^ゞ
さて、次のお目当ては樹齢600年以上という榧(カヤ)の木。
地図で見ると城の内堀の南西の角あたりにあるように見えるのだが、
一帯、ひろびろと木々が植えられて、ちょっと迷ってしまった。
で、地図よりは西に行った辺りに、ようやく榧の木、発見!ヾ(@^(∞)^@)ノ
↓
榧の木は、以前、鎌倉で一度見たことがあるだけ。
しかも、それは枯れ果てた古い切り株だった。
そんな古い切り株に、わざわざ「榧」と立て札が添えられていた。
餅つきの臼のような切り株だった。
なので、榧はきっと臼を作るのに遣われる特別貴重な木だったに違いない……と推察していた。
今回ようやく生きた榧の木が見られた!
↓
樹齢600年というわりには小柄な木だね。∑(-x-;)
四方八方に枝別れして、わしゃわしゃと葉を茂らせている。
600歳以上なのに、こんなに青々と葉を茂らせているというのは
やはり凄いことだね。(*^o^*)
「榧の木 天然記念物
高さ16メートル、幹回り8メートルで、築城以前から自生し、樹齢600年以上といわれている。名古屋市内で唯一の国指定の天然記念物である。空襲によって被災したが、幸いにして樹勢を取り戻した。初代藩主、徳側義直が大坂へ出陣のとき、この実を膳に盛り、のち正月の祝膳にも盛ったといわれる。」
英語版の説明には、
Torreya Nut Tree (Torreya Nucifera)とある。
きっと木の実が特徴的な木なのだね。
榧の実…・・・どんなお味なのだろう?
どう食べるのだろう?
木の実だから、美味しいに違いない!
あるいは、榧の実って、縁起ものなのだろうか?
あるいは、当時は食糧難で、城の中の榧の実を食事に取り入れたということなのだろうか?
とにもかくにも、
城の中には
食料になったり、薬になったり、毒になったりする植物が植えられていることであるよ。(*^o^*)
築城以前から名古屋台地に自生していたというこの木。
築城の際はまだ若々しい木だったろう。(といっても、既に樹齢約200年。)
よくぞ切り倒されずにここまで生きてきたものだ。
やはり木はそうそう切り倒さないで欲しいものだ。(。-人-。)
↑
「高さ16メートル、幹回り8メートル」と説明されているけれど、私にはもう少し小さいように思われた。| 壁 |д・)
でも、生きた榧が見られて、満足、満足!(≧▽≦)
これで榧の実を使った饅頭か餅かなにか、お土産で食べられたら言うことなかったなぁ。
追記:
「大坂へ出陣」って何? と調べてみた。(私は歴史に超疎い(//・_・//))
私は1600年関が原の戦いで戦国時代は終わって、戦のない江戸時代に突入したのかと思っていたが、全然違った。゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o
徳川家康は1603年に征夷大将軍に任官され、江戸幕府を開くも、大坂の豊臣軍を平定しなければならなかった。
で、大坂の陣(1614~1615年-冬の陣、夏の陣、コミで)でやっと大坂城を落とし、豊臣を滅ぼしたわけだね。(=◇=;)
徳川義直は徳川家康の9男で、名古屋城はなんと、徳川家康が義直のために作ったのだという。Σ(・ω・ノ)ノ!
東海道の要所となる名古屋城を己が息子に託そうというわけだったのだ。
1609年に築城を決めて、1610年に天下普請して、1612年には天守閣が完成したという。
つまり、家康は大坂城を攻めつつ、
一方では名古屋城を作らせて、諸侯の力を吐き出させたのだ。
あの大きなたっぷりの石垣は、諸侯を弱らせようという家康の狙いがあったのだね。Σ(・ω・;|||
家康の9男義直は1600年生まれ。
1603年には甲府藩主、1607年には清洲藩主、1610年に名古屋藩主となっている。
年端も行かぬ頃から「藩主」!?ヽ((◎д◎ ))ゝ
メチャクチャヤ。┐( ̄ヘ ̄)┌
「大坂の陣のとき」と言ったら、義直が14~15歳のときということになるでないの?
そのときに、誰かに命じてこの榧の実を調理させて、膳に盛って食べたわけか?
「愛知県人はケチ」と言われるムキがあるが、これは「義直の気風が生きている」(?)という説もあるらしい。
しかし、図書館の走りのようなものを作って、それを門外不出にせず、広く人々に公開するようにしたという話もあるし、何を以ってして彼が「ケチ」と称されるのか、私にはわからない。( ゜∋゜)
幼くして「藩主」になり、世を牛耳る父からは天下要の名古屋城をプレゼントされ、あどけなさの残る若さで榧の実食べて戦場へ赴き……。
徳川義直、いったいどんな人物だったのだろう。
榧の木は彼に直接会ったことがあるのだ。
あぁ、木と話せたら面白い話がいっぱい聞けるだろうに……。
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