2007年 枯れ紅葉の京都
23 愛人生活と新しい愛人と捨てられた愛人生活 -6


祇王寺(ぎおうじ)を訪れたので、『平家物語』「祇王(ぎおう)」に脱線中。)




祇王
かつて自分が愛されて住んでいた屋敷に、ビル
今、清盛の新しい愛人、自分の後釜の仏御前の「退屈しのぎ」のために、爆弾
白拍子として歌を歌いにいったわけだが……しょぼん

それだって辛いのに、行ってからがこれまた辛かった!((>д<))



昔(3年前)、当世評判の白拍子として召されたとき通された部屋よりもずっと格の低い部屋に通されたダウン
↑ヒドイ仕打ち①爆弾




どの部屋に通されるか、どの位置に座らされるかは、21世紀の日本においてさえ待遇の厚薄を顕示する。いわんや平安時代をや、だ。アップダウン

祇王は泣いた。涙を隠しつつ泣いた。こんな格下の部屋でっっ! (ノ◇≦。)
いくら捨てられたとはいえ、かつては「最愛」された身。まさかそんな部屋に通されるとは思いもしなかったということだろう。汗


で、悔し涙をぬぐって、いよいよ人々の前に出ると、DASH!

本
入道、祇王が心のうちをば知り給はず、「いかに其後何事かある。さては仏御前があまりにつれづれげに見ゆるに、今様一つ歌へかしドクロ本ときたもんだ。∑(-x-;)


ショックの涙を隠し隠ししている祇王の心など知ったこっちゃない清盛は、呼びつけた時と同じセリフをここでも吐いてみせた。「おい。その後どうだ。仏御前が退屈そうだから、流行りの歌でも歌え。ドクロ」と。
↑ ヒドイ仕打ち②




これが数ヶ月ぶりに会ったかつての愛人への言葉だろうか。しょぼん
まがりなりにも3年間「最愛」した女への言葉だろうか。しょぼん
なんの落ち度もないのに、新しい女に心が動いていきなり捨てた女に対する、これが言葉だろうか。パンチ!



しかし、とにもかくにも清盛の言うことに背くまいとやってきたのだから、落ちる涙を堪えて祇王は歌った。清盛と祇王とその他モロモロの人々の前で。しょぼん


仏も昔は凡夫(ぼんふ)なり 
我等も終(つひ)には仏なり 
いづれも仏性(ぶっしょう)具せる身を 
へだつるのみこそかなしけれ
音譜

と、泣く泣く2度歌った。(ノ◇≦。)

(仏も昔は凡夫であった。我らもしまいには悟りをひらいて仏になれるのだ。そのように誰もが仏になれる性質をもっている身なのに、このように仏=仏御前と自分を分け隔てするのが、まことに悲しいことだ。ハートブレイク



仏御前だって、祇王だって、同じ身の上、白拍子。同じ人間。チョキ
それなのに、今一方は時の権力者の最愛の人として清盛と上座に並んでいる。アップ
一方自分は、かつては目の前のあの位置にいたのに、今はその二人の前で、彼女の退屈を紛らわすために歌ってみせている。ダウン
なんという立場の逆転だろう。なんという待遇の違いだろう。しょぼん


己の差別的待遇を嘆く歌であるが、
この歌は仏御前にしてみれば、
「あなただって凡夫だったでしょ。今はかつての私のようにいい身分になっているけれど。所詮、あなたも私も同じ白拍子に過ぎないのよ! ってことは、この私の憐れな姿が明日のあなたの姿かもよ~!爆弾」という警告とも恨みともなっているではないの。(=◇=;)




この涙ながらの歌に、その場に居合わせた「公卿、殿上人、諸大夫(しょだいぶ)、侍(さぶらひ)」が、「皆感涙をぞながされける。とかげカエルかたつむりカメ」とある。祇王の悲痛な思いはみなさんよくわかるのだ。ラブラブ



このもろもろの人々が順番に列挙されているのも、また面白い。ひらめき電球

『平家物語 一巻』(完訳 日本の古典42)の脚注を見ると、

「公卿」=公(大臣)と卿(大・中納言、3位以上及び4位の参議)
「殿上人」=4位、5位及び6位の蔵人。
「諸大夫」=親王・摂関大臣家の家司(けいし)になる家柄の者。4位、5位。殿上人に次ぐ身分。
「侍」=親王家、公卿の家人。

と、人間の位順に並んでいる。
順位付け”され、“位分け”される世の中。その中で己の順位にいつも戦々恐々としている人々は、その栄達と転落を目の当たりにして思わずもらい泣き。(TωT)

――このとき仏御前は他の同席者と同様「感涙」したのかどうか、どんな面持ちで己の先輩(祇王)を見つめていたのか、本文では一切触れられていない。この物語の最後に出てくる“仏御前の出家”をサプラズなものにするための、作者(?)の意図だろう。――サーチ




観客たちが感涙する中、清盛はそんな祇王の悲しい涙にむせぶような心情など汲みもしない。ドクロ
「おもしろげに思ひ給ひて」、つまり“興味深げに”思って祇王にのたまった。

「さて、舞も見たいが、今日は用事ができた。(=お前の舞まではオレ様は見ない。お前の舞などその程度だ。) 今後も呼び出されなくても来て、歌って舞って、仏御前を慰めてやれ!ドクロ
↑ヒドイ仕打ち③






最後の最後まで祇王をただの白拍子として突き放したような清盛の物言い。(´д`lll)
もしかしたら、現在の愛人の前なので、わざと以前の愛人につっけんどんにしているのか? と考えられなくもないが、清盛のこれまでの仕打ちを見ると、そんな心遣いをする人間ではないので、やっぱり考えられないね。一旦切り捨てた人間は徹底して踏みつける……そんな感じ。ガーン





祇王は清盛のこの言葉を聞くや、返事もできず、涙を抑えて逃げ帰る。DASH!


で、「親の命令だと思って堪えてやってきたけれど、こんな辛い目に2度も遭わされることとなった。このまま生きていても、また辛い目に遭うだろう。も~身を投げて死んでやるぅ!」と自殺を決意パンチ!


一緒に姉について来た妹祇女(ぎにょ)も、姉の辛い場面を見てきたから、もう同情するしかない。
「姉上様が身投げするなら、私も一緒に!天使」と言う。



こうなると、うろたえるのはまた母で。ガーン




「祇王に無理強いした母が悪かったかに座」と反省しながらも、

「あなた(祇王)が身投げすればあなたの妹も身投げすると言う。二人の娘に死なれたら、年老いたこの母はどうしようもない。だから、母も一緒に身投げしようと思うよ。かに座


でもね、まだ寿命もきていない親に身投げさせるって~のは、仏教でいうところの<5逆罪>の1つ、<親殺し>に当たるわよ~。来世はひどいことになるわね~。(地獄や餓鬼道に落ちるわぁ。)」と、またも己が身可愛さの泣き落としにかかるのであった。かに座



この泣き落としにコロリと参るのが祇王である。えっ



「確かに5逆罪になりますね。それならば、自害は思いとどまりましょう。でも、都にいるとまた辛い目に遭うでしょうから、私はもう都の外へ出ます。」


ってことで、21歳にして尼になっちゃった
一人、「嵯峨の奥なる山里に、柴の庵(いおり)をひきむすび(=これが祇王寺ね)」、念仏生活に突入。チョキ




つまり、祇王は白拍子としての頂点を極めたものの、理不尽にいきなり捨てられ、なおかつ惨めな仕打ちを受け、この世に生きていることに堪え切れず自殺を思ったものの、自殺も親不孝だと止められたので、この世に絶望して出家したというわけだ。┐( ̄ヘ ̄)┌


たしかに、あのままでいたら、何度も何度も清盛から、「なぜ仏御前を慰めに来ないのか? 来ないなら考えがあるぞ。歌え! 舞え!」と来るのは目に見えている。

脅され、辱められ、また脅され……と、惨めさを募らせおびえて暮らすなんて、頂点を極めた女には無理だろう。(((( ;°Д°))))


死なずに世間から隔絶されて心安らかに暮らすとしたら、「出家」するくらいしか逃げ道はないよね。女性保護センターも弁護士事務所もない時代だもの。マスコミに訴えるったって、瓦版さえなかっただろうし。。(´д`lll)




しかし、それにしても、ちょっと呆れるのはこの母。メガネ

妹の祇女が姉の後を追って19歳という若さで尼になり、姉と共に念仏生活に入ると、DASH!


母はこれを見て、「若い娘たちが尼になっちゃったこの世の中に、年老い衰えた母がどうくらしていけましょうかに座」と、45歳で尼になり、娘たちとともに念仏生活に入ったのであった。DASH!





…………むっ


この母、妹の祇女がもし姉と一緒に死のうとしなかったら、祇王が自殺しようというのをかくも止めなかったんじゃないかしら? (-_-メ


この母、妹の祇女がもし姉の後を追って出家しなければ、俗なこの世に永らえていたかったのではないかしら?(-""-;)



つまり、次女の祇女も白拍子だったから、長女の祇王が駄目になっても、自分はどうにか生きていけると思ってたんじゃないか?(-_-メ


ものすごく打算的な母だったんじゃないか?サーチ





と思うのは、私だけ? それとも、それが“女の弱さ”というやつか?叫び



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