「2001年夫婦世界旅行―妻編」が入っているPCは故障中。で、世界旅行記は中断中。(バックナンバーを読んだろう!と思ってくださる方はこちらから入れます。part1。)
で、今は別件の、2004年、姪と2人で行った「見栄っパリ旅行」の細切れな話を少々続けています。
40 遺したいお年頃
↑左:パンテオン地下墓地にあった老いたヴォルテール像(推定74歳?)
↑右:路地裏の公園にあった若きヴォルテール像(推定26歳?)
カルーゼル橋を渡って、セーヌ左岸に入った。
さて、あとは姪っ子のお友達との待ち合わせ場所、サン・ジェルマン・デ・プレ教会を目指すのみ。
橋を渡ったら、セーヌ川沿いの大通りマタケ河岸Quqai Mataquais をやや東へ歩き、ボナパルツ通りRue Bonaparteを南に入っていけば左手に見えてくるはず。
地図で見ると橋から500mほど。歩いて10分もかからなそう。
なのに、うっかり東に行き過ぎて、いつの間にかセーヌ通りRue de Seineに入り込んでしまっていた。
この通り、今までの通りとどうも様子が違う。
美術商の多い細い通りは薄暗く、薄汚い格好をした人がうろついていて、風が悪い。
美術商店はどこも閉まっている。活気がない。一見して「薄汚い」路地なのだ。
並んでいる店が美術関係なので、心のどこかで、「汚くても悪い通りであるはずはない!」と信じ(私は芸術至上主義=芸術過信症)、逃げ出さずに歩けた。
が、別の種類の店だったらそそくさと抜け出していただろう。
そんな通りに、ヴォルテールの立像を発見。
パンテオンの地下墓地にあったヴォルテール像に比べて、かなり見劣りがする。風雨に晒されてすっかり汚れている。
パンテオンのヴォルテール像は老人だったが、こちらのヴォルテールは20代か、せいぜい30代。とても若々しい。髪もふさふさ。体も顔つきもむちむちで精悍であった。
同一人物なのに年齢の違う像が作られている点が面白い。
ヴォルテールは、私の手持ちの本の中では、40代と思われた。
落ち着き払った脂の乗った精悍な顔つきの絵で紹介されていた。
ロン毛の縦ロール、くるっくるの巻き毛で、自信満々に微笑んでいる。
その記念される有名人物の姿が、その人が何歳のときのものか……って大きい問題だよね。
その人物を直に見たことのない人は、造られた像なり描かれた絵なりで、その人を知る。その姿がその人だと思う。それ以外のその人の姿ってイメージしにくくなる。
若くして亡くなった人はさて置き、長生きした有名人は、その人生のどの時期の姿を遺すか、大きな問題ではなかろうか。
一度それが流布し定着すると、その人の人生のほんの一時期の姿が、その人の代表的な姿、その人の全ての姿になってしまうのだもの。
(ちなみに、私の中では、二宮尊徳という人は永遠に薪を背負った子供である。聖徳太子は妙な口ひげを蓄えた、いつも柄杓を手にした年齢不詳の爺むさい感じの御仁である。=固定例)
その昔、日本の小説家、志賀直哉は染みだらけの爺様の姿でいつも紹介されていたので、その作品さえ「爺むさい………」といつの間にか思い込んでいた私は、ある本の中で志賀直哉の若き日の写真を見つけ、びっくりしたことがある。
超いい男! これが志賀ちゃん? かっこいいじゃん? こんな人だと分かっていたら、もっとちゃんと読んだのに……などと反省したことであった。
志賀直哉が棒高跳びなどしている姿などは、そりゃ、あなた、きゃ~っ、直哉~っ♡ って感じですよ。シャンパンとワインを割ったキールロワイヤルって感じですよ。
開高健だって、ぶくぶく太ったアラスカサーモンかグリズリーかってな姿がよく知られているけれど、若いときの写真を見ると、シャープでキリリと、これまたいい男! 辛口端麗!って感じ。
若いときの勝海舟なんて、もう、私の中の日本3大美男の1人ですよ。
あれ、何が言いたかったんだっけ?
……
……
……
ああ。
つまり、その人の代表的な姿をどの年齢の姿にするか!? ってことは、何を基準に決めているのだろうか? ってこと。o(〃^▽^〃)o
おそらく、その人の最も輝かしい時期の姿、もっとも功績を残した時期の姿、亡くなる直前の元気な姿が残されるのだろうね。
自分の姿を誰かが遺してくれることになったら、自分はどのときの姿を遺して欲しいと思うだろう……。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
ここパリの裏通りのうらぶれた公園の中で、思いがけず若きヴォルテールの像にであって、つらつら思ったことであった。
それにしても、若きヴォルテールと老いたヴォルテールが両方味わえたパリって、やっぱりいいね。
つづく
↓ 若きヴォルテール像
で、今は別件の、2004年、姪と2人で行った「見栄っパリ旅行」の細切れな話を少々続けています。
40 遺したいお年頃
↑左:パンテオン地下墓地にあった老いたヴォルテール像(推定74歳?)
↑右:路地裏の公園にあった若きヴォルテール像(推定26歳?)
カルーゼル橋を渡って、セーヌ左岸に入った。
さて、あとは姪っ子のお友達との待ち合わせ場所、サン・ジェルマン・デ・プレ教会を目指すのみ。
橋を渡ったら、セーヌ川沿いの大通りマタケ河岸Quqai Mataquais をやや東へ歩き、ボナパルツ通りRue Bonaparteを南に入っていけば左手に見えてくるはず。
地図で見ると橋から500mほど。歩いて10分もかからなそう。
なのに、うっかり東に行き過ぎて、いつの間にかセーヌ通りRue de Seineに入り込んでしまっていた。
この通り、今までの通りとどうも様子が違う。
美術商の多い細い通りは薄暗く、薄汚い格好をした人がうろついていて、風が悪い。
美術商店はどこも閉まっている。活気がない。一見して「薄汚い」路地なのだ。
並んでいる店が美術関係なので、心のどこかで、「汚くても悪い通りであるはずはない!」と信じ(私は芸術至上主義=芸術過信症)、逃げ出さずに歩けた。
が、別の種類の店だったらそそくさと抜け出していただろう。
そんな通りに、ヴォルテールの立像を発見。
パンテオンの地下墓地にあったヴォルテール像に比べて、かなり見劣りがする。風雨に晒されてすっかり汚れている。
パンテオンのヴォルテール像は老人だったが、こちらのヴォルテールは20代か、せいぜい30代。とても若々しい。髪もふさふさ。体も顔つきもむちむちで精悍であった。
同一人物なのに年齢の違う像が作られている点が面白い。
ヴォルテールは、私の手持ちの本の中では、40代と思われた。
落ち着き払った脂の乗った精悍な顔つきの絵で紹介されていた。
ロン毛の縦ロール、くるっくるの巻き毛で、自信満々に微笑んでいる。
その記念される有名人物の姿が、その人が何歳のときのものか……って大きい問題だよね。
その人物を直に見たことのない人は、造られた像なり描かれた絵なりで、その人を知る。その姿がその人だと思う。それ以外のその人の姿ってイメージしにくくなる。
若くして亡くなった人はさて置き、長生きした有名人は、その人生のどの時期の姿を遺すか、大きな問題ではなかろうか。
一度それが流布し定着すると、その人の人生のほんの一時期の姿が、その人の代表的な姿、その人の全ての姿になってしまうのだもの。
(ちなみに、私の中では、二宮尊徳という人は永遠に薪を背負った子供である。聖徳太子は妙な口ひげを蓄えた、いつも柄杓を手にした年齢不詳の爺むさい感じの御仁である。=固定例)
その昔、日本の小説家、志賀直哉は染みだらけの爺様の姿でいつも紹介されていたので、その作品さえ「爺むさい………」といつの間にか思い込んでいた私は、ある本の中で志賀直哉の若き日の写真を見つけ、びっくりしたことがある。
超いい男! これが志賀ちゃん? かっこいいじゃん? こんな人だと分かっていたら、もっとちゃんと読んだのに……などと反省したことであった。
志賀直哉が棒高跳びなどしている姿などは、そりゃ、あなた、きゃ~っ、直哉~っ♡ って感じですよ。シャンパンとワインを割ったキールロワイヤルって感じですよ。
開高健だって、ぶくぶく太ったアラスカサーモンかグリズリーかってな姿がよく知られているけれど、若いときの写真を見ると、シャープでキリリと、これまたいい男! 辛口端麗!って感じ。
若いときの勝海舟なんて、もう、私の中の日本3大美男の1人ですよ。
あれ、何が言いたかったんだっけ?
……
……
……
ああ。
つまり、その人の代表的な姿をどの年齢の姿にするか!? ってことは、何を基準に決めているのだろうか? ってこと。o(〃^▽^〃)o
おそらく、その人の最も輝かしい時期の姿、もっとも功績を残した時期の姿、亡くなる直前の元気な姿が残されるのだろうね。
自分の姿を誰かが遺してくれることになったら、自分はどのときの姿を遺して欲しいと思うだろう……。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
ここパリの裏通りのうらぶれた公園の中で、思いがけず若きヴォルテールの像にであって、つらつら思ったことであった。
それにしても、若きヴォルテールと老いたヴォルテールが両方味わえたパリって、やっぱりいいね。
つづく
↓ 若きヴォルテール像