2001年夫婦世界旅行のつづきです。8月初旬。リスボア2日目。次なる目的地までのバスチケットもスムーズに手に入りました。夜のファドの時間までたっぷり時間があります。





part199 リスボンの熱波のなせる業?


        喧嘩ホテル、険悪夫婦





要約: 今のホテルはゆっくり休めないので、もう少しましな宿に移るべく、午後の時間は宿探しに当てた。それにしても、リスボンの街中の安ホテルはかなりレベルが低い。虚しくホテル探しを続けるうちに夫婦も険悪な雰囲気になったのであった。












さて夜まで時間ができた。明後日のバスは朝が早いので、なるべくバス停に近い宿に移動しようということになった。今の宿はダブルの部屋で一泊8,000エスクード(4,480円)もするくせに、排水が悪過ぎるからね。泊まっているだけで疲れてしまうよ。





で、今日も今日とて宿探し。明日たった一泊だけでもまともな宿で休みたい。昨日は値段を見て即却下した宿も、今日は念のためチェックしてみよう。多少高くてもこの際仕方ない。納得できれば譲歩しようじゃないの。





しかし、街中の宿はやはりどこもべらぼうに高く、その上感じの悪い所が多かった。中でも呆れたのは「喧嘩ホテル」だ。





人が「ボア・タルデ~ Boa tarde(こんにちは)」と挨拶して入っていくと、フロントのカウンターに並んで立っている男が二人。 ……睨み合っている。





ものすごく険悪な雰囲気だ。で、こちらをちらりと見やっただけ。えっ、それだけ……? あっ、また睨み合った。おいおい……。





一応、「すいません。」と声をかけているのに、「部屋はありますか?」と尋ねているのに、フロントの二人は人の話など聞いちゃいなかった。ものすごい剣幕で言い合いを始めちゃった。ど、ど、ど、どう見ても喧嘩だ。しかも、かなり真剣? おいおい~。





ひとしきり怒鳴り合うと (3分ほどに感じたが、実際はほんの1分ほどかも?)、一旦“言い合い”が終わった。ワンラウンド終了って感じで、ふーっ、ふーっと肩で息をしているような興奮振り。だ、だ、だ、大丈夫か? 今一度声をかけてみた。「あの~、もしもし? すいませんが……。」





一人がこちらに体を向けてくれた。まだ顔が青ざめている。が、とにかく我々に対応しようとしてくれたのだろう。





我々の方へ一歩寄りながら、ちょっと呼吸を整えるように首をつっと上げ、姿勢を正し……たかと思うと、横でもう一人のフロントマンがぼそぼそっと、さも憎憎しげに何か吐き捨てるように言った。





と、我々に対応しようとしていたフロントマン、ぐわっと血相を変え、もう一人を恐ろしい形相で睨み付けた。うわっ。ツーラウンド開始か?





しかし、堪えた。フロントマンはぐっと堪えた。ぐぐぐぐっって感じでぐっと怒りを堪えて、再び我々の方を向き直っ……たかと思うと、横でもう一人のフロントマンがまたもやぼそぼそっと、さも憎憎しげに何か言った。





と、我々に対応しようとしていたフロントマン、またもやぐわっと血相を変え、も~我慢ならん! とばかり、ガバともう一人に詰め寄って、またもや派手な言い合いが始まっちゃった。もう、やめれ~っ!





日本ではありえない光景である。あっけに取られる我々。フロントの周りには数人のスタッフが雑用をこなしながら遠巻きにうろうろしていたのだが、フロントマンたちの喧嘩を止めようともしない。もしかしたら、周りのスタッフは困りながらも二人の喧嘩をさりげなく「見物」していたのかもしれない。





私が 「これ、どーなってるの? 」 ってな顔で他のスタッフを見やっても、彼らは目が合うとさっと視線を反らすか、うんざりした表情を崩さずにそのまま自分の仕事を続けるばかり。 「何も聞かないで! 今、間が悪いんだ。出直しといでよ」 って感じだ。なんだかなぁ……。





もう何も言わずに回れ右。その宿を却下したことは言うまでもない。





この「喧嘩ホテル」以上に感じの悪い宿はもうなかったが、ちょっと内容のいい宿はやはりどこも満室だ。料金の高い「いい宿」の方が空きがない。





ペンサオン、レジデンシャルといった安宿 (「安宿」といっても、結構いい料金を取るのだが) の類も、皆部屋が狭く清潔感もなく、そのくせかなり割高だ。納得できない。おまけに満室。満室。どこも満室。バスターミナルに近い宿を探すが、こちらもどこも満室。





虚しく炎天下を歩き回る。虚しくリスボンの「時」が刻々と過ぎていく。





リスボンの日差しにやられたのか、私は朝から立ちくらみが始終起こり、だるさが抜けないでいた。午後からはますます拍車がかかった猛暑の中、騒音と工事埃を全身に浴びながら歩いているうちに、もう1歩も歩けない! というだるさに襲われた。





急激な睡魔。日差しが眩しいからか、眠たいからか、もう瞼を開けているのも辛くて仕方がない。





脳天からはじりじりと午後の陽射しが容赦なく叩きつけてくる。石畳みの熱が靴の底から這い上がってくる。カンカン鼓膜を打つ耳障りな音が、工事現場の音なのか、太陽の音なのか分からなくなってくる。





クラクラッと脳天が揺れて、視界の周りが黒くなり、世界が萎(しぼ)んできた。視野狭窄だ。街の音が遠のく。これはぶっ倒れるときの前兆だ。まずい。こんな石畳にどーんと倒れたら怪我をしてしまうぞ。





ぐらんぐらんする脳みそで、辛うじて最善策を考えた。その場でしゃがみ込むのだ。しゃがみ込んでから意識を失えば、倒れたときの衝撃は最小限で済むというものだ。はぅううう。今にも消え入りそうな意識を必死で繋ぎ止め、膝からくず折れるようにしゃがみ込む。めまいが去るのをじっと待つ。





すると、「何しゃがんでるんのさっ? 具合悪いのっ? えっ?」 と不愉快そうな夫の声がかすかに遠くに聞こえてきた。普通はここで音声が途切れるのだが、夫の言い方にカチンときたせいだろうか、今回はぎりぎりのところで聴覚は失われなかった。遠のきかけていた車の音やら、工事音やら、街の雑音が耳に戻ってきた。





夫は前ばかり見てしゃかしゃか歩いていたので、私がしゃがみ込んでしまったことに気がつかなかったのだ。で、ふと私がいないことに気づき、ようやく振り向き、ずっと後ろで道にしゃがみ込んでいる私を見つけ、今歩いた道をわざわざ戻ってきたというわけだ。





しゃがみ込んでいる私の横に立って、「何よ。どーしたのっ? 立ちくらみ? 」 ううっ。声にびしびし棘が生えてるぞ。耳にしたくない冷たい言い方だ。だが、もう音は平常の音量で聞こえる。





私は「う。大丈夫。暑いから、ちょっとね……立ち眩んだ。」と、のろのろと立ち上がってみた。……立ち上がれた。よし……。





「ちゃんと着いてきなさいよっ。しっかり歩きなさい。」と夫。 





……はぅぅ。言うことはそれだけか? 夫よ。この人と一緒に旅をするということは、倒れたら置いていかれるということなのだね。えー、えー。わかりましたよ。意識を失ったって歩いていきますともさ。はぅぅぅ。重い右足を前へ。重い左足を前へ。前へ、前へ……。





もうどこをどう歩いているのか分からなくなりながら、とにかく歩いた。右、左、右、左……。顔も上げず、ただ足元だけを見て。右、左、右、左。両足に号令をかけながら。自分の足が一歩一歩とりあえず動いていることを確認しながら。「歩いてる。私は歩いてる。」と呟きながら。





眩しい石畳の照り返しが、俯いている私の顔に襲いかかってくる。目を細め、極力日差しの網膜への侵入を抑える。私は歩く。右、左、右、左……。





するといきなり背後から、「どこに行くのよっ? いい加減にしなさいよっ。」と、また夫の不機嫌な声。





へ? と薄ぼんやりした脳天を振り向かせると、いつの間にか前を歩いていたはずの夫が後ろの方に立っている。





夫よ、あなたが立ち止まろうが歩き続けようが、今の私に人の歩調を見ている余裕はないのだ。夫よ、あなたが歩けというから、私は必死で歩いていたのだぞ。





「ここで道を渡るんだからっ」と叫んでいる。 ……そういうことは、はよ、言えや。





おっかない顔した夫の方へ、呆然とした頭をだらりと下げて、私は右左右左と足を一歩ずつ出して戻っていった。





乾燥したヨーロッパの暑さに、“湿度の高い東南アジア大好き人間”の夫もしんどかったのだろうけれど (おまけに、夫はここのところずっと風邪を引き込んでいて、絶不調であった)、私は本当にもう倒れてしまうかと思うほど、辛かったんだ。倒れずに歩くのが精一杯だったんだ。





夫はその地点で道を渡るべきか、まっすぐ行くべきか、立ち止まってガイドブックの地図を読んでいたのだった。その間、当然、妻である私も歩を止めて夫のそばで待っているかと思いきや、瀕死のアザラシのようにず~りず~り、地を這うように勝手に先へ歩いていってしまっていたというわけだ。





「なによっ。なんでちゃんと待っていてくれないのさっ? 具合悪いのっ?」 ……って、夫よ、私を見ていてわからなかったのかい? 立ち眩んだって、さっき言ったじゃないか。





哀しすぎて、何も言う気がしない。「歩くのに必死だった。」とようやくぼそりと喉から言葉が出てきた。「まったく、もぅ~っ。子供じゃないんだからねっ。勝手にどこにも歩いていかないでよっ。しっかり歩きなさいっ。」と夫。こっちだって、「まったく、もぅ~」だぜ、夫よ。はぅぅぅぅ。





これまでも私の具合が悪くなると、夫は常に不機嫌になって、私を置いてスタスタ歩いて行ってしまうか、イライラしながら憂鬱そうに私を横から見おろしてきた。あるいは、犯人を連行する刑事のように私の腕を掴んで歩く。な~んて優しさのない人なんだろうか! と、いつも愕然としてきたものだ。





「もう私を放り出して、どこへなりとも、あなたはあなたで、好きな所へ行けばいいじゃないかぁ! 」と叫びたくなる。私はひとりバタリと倒れて、通りがかりの親切な人に助けてもらった方が、なんぼかましだと思う。





しかし、現実にはこういう時に限ってバッタリ倒れないものだ。重い足を引きずって、焦点の定まらない目をして、ふらふら夫の後を追って歩き続けるしかないのであった。





しかし、そんな風にひーひーふーふーぜーぜー言いながら探し回った甲斐あって、バス停に近いところに、ちょっと高めだがいい宿が見つかった。明日の予約を入れ、一安心。





こういう宿探しの手間と時間を考えれば、パックツアーで宿が決まっている旅行はなんと楽で有意義なことかと改めて思う。現地での宿探しは楽しいことばかりではないのだもの。





宿探しする分、ロカ岬にでもどこにでもちょっと足を伸ばして、充実した時間を過ごすことができたかもしれないもの。リスボンの宿事情を足を棒にして探っても、ホテル業にも不動産業にも興味のない私には全然意味がないのだ。





日はまだ高い。ファドの時間まではまだまだある。一旦宿に帰ってきて一休みすることにした。





体中が熱くだるい。熱が39度はあるぞ……と思って計ったら、37.5度。なーんだ。微熱だ。暑気負けであろう。とにかく休憩。夜まで一休みだ。





つづく


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