2001年夫婦世界旅行のつづきです。7月18日、ブリュッセル最終日。何を見ようとしたわけでもないのに、 「お? 」 というものが道にさりげなくあるのがブリュッセル。通りがかった路地に “ぴかぴか男” を発見しました。





part134 ブリュッセル5日目④


横たわるぴかぴか男!








街なかをぷらぷら歩いていると、グラン・プラス (part125参照)を南に出てすぐの辺りに、2mほどの横たわる像があった。それは路地沿いの建物の壁に嵌め込まれたように設置されていた。イエス・キリストの像であろうが、胸下に槍傷もない。一枚の布に頭から包まれるようにして、右側面を下にし、ぐったりと横になっている男の像である。……イエス……なんだろうね?





像も台も後ろの装飾も煤けて全体真っ黒になっているのだが、長い裾からのぞいている右足の甲、だらりと伸ばされた右手、男の胸元、腿の辺りの布の襞など、ところどころが金ぴかに光っている。眩しいほどだ。





なぜ? と見ていると、通りがかった人が皆そこをすりすり触っていく。みんなが触るから磨かれて金ぴかなのだ! 人の摩(さす)る力って恐ろしいものだ! 「継続は力なり」 だ! 





像の背後の、装飾をこらした鋼鉄の板に説明が彫り込んであるようだが、黒くてよくわからない。居合わせたおじさんに聞いてみると、 「この像に触ると幸せになれるのだよ! 」 と自慢げに言う。 「触るだけで? 」 と聞き返す私に、おじさんは 「そうそう 」 と嬉しそうに頷いた。





そして自分の番がくると、自分の手を唇に軽く当ててから、その手で像のおでこや腕の辺りを摩り摩りして、満足げに去っていった。





「刺抜き地蔵」 のようなものか。こうした現地の縁起物は面白い。私は宗教は信じない、神は信じないが、人々の 「祈る」 気持ちだけは信じる。人々の 「祈り」 の気持ちがぴかぴかと輝いていることに敬意を表し、私もひと摩りするとするか。とにかくおじさんの真似をして、 「御利益がありますように」 と、足の甲を摩っておいた。 (足の甲が一番ぴかぴかだったから。) 





信心深い真摯な手によって、あるいは私のような好奇心と野次馬根性にまみれた脂ぎった手によって、黒ずんだ像は今日もぴかぴかに磨かれたのであった。 





ガイドブックによると、これは 「 『星の家』 の下の壁にあるセルクラースの像」 というものらしい。え? 「イエス」 じゃなかったの? あのすすぼけた一角は 「星の家」 なんていうすてきな名前のなにかしらの名所だったの? (数日後、ガイドブックを読んでいて分かった真実! 横たわるピカピカ男の正体判明! )





なになに? セルクラースは1388年に暗殺された 「町の英雄」 だそうだ。英雄が、なんであんなところで横たわって寝ているのだ? 





その像は大きな一枚の布をまとっていた。頭から被せられたその布は彼の顔を半分ほど隠し、胸元と肩をさらけ出しながら、腹から下を覆っていた。布の襞も美しく彫られていたが、どこかゴワゴワした布のように見えた。半分隠れた顔は、半開きにされた口もと、くぼんだ眼、あまり英雄とは思えない風貌であった。足元に犬が頬を摺り寄せていた。





今思えば、なんだか死んだばかりのシーンだったようにも思われる。ぴかぴか像は、疲れ果てて亡くなったばかりの男に見えた。





その死相を感じさせる英雄の像の中央、像の丁度腹の上あたりに、壁から天使の顔がぬっと突き出ていた。天使の顔もみんな撫でるのだろう。金ぴかだった。真っ黒の鋼鉄の板には武器を手に争う群衆の姿が描かれていたが、その浮き彫りの真下、セルクラースの腹の真上あたりにいきなり突き出ている金ぴかの天使の顔。なんとも不気味である。 





「星の家」 とはセルクラースが片手でよじ登った家らしい。 「星の家」には、当時ブリュッセルの町の統治の後継者を巡って、フランドル伯という人物が、我こそはと乗り込んできていた。





そこで、セルクラースが 「星の家」 の壁をよじ登り、窓辺に据えられた 「フランドル伯の旗」 を正統な後継者たる 「ブラバン公の旗」 に取り替えたらしい。





で、彼のその行為が市民の士気を高め、みごとブリュッセルは正統にブラバン公の統治に落ち着いたらしい。





で、12世紀から14世紀にかけてブリュッセルの町を統治していたブラバン公が王位についたという。 そう言えば、グラン・プラスにも 「ブラバン公爵の館」 があったね。 (part125参照) 





今のブリュッセルにつながる繁栄の基礎を守った英雄、セルクラースというわけだ。しかし彼は暗殺されたわけだ。





あのぴかぴかの像も暗殺直後の姿なのかもしれない。そう考えると死相が現れたような表情も頷ける。ゴワゴワの布の感じも頷ける。うん。そうだ。そうに違いない。





……しかし、英雄を像に残すのに、暗殺直後の死の姿を選ぶか? 私が彼だったら、 “ブラバン公の旗を手に壁をよじ登っていく勇姿” 、もしくは、 “旗を挿(す)げ替えたその勇姿” を残して欲しいと思うだろうが。





もしかしたら、当時は 「死」 こそがヒロイックな美として、その勇気を讃えるべきものとして、人々に受け取られていたのだろうか? もしそうならば、ちょっと日本の侍精神に似ているのかもしれないね? 





それにしても……私はセルクラースを最初、イエスだと思った。ヨーロッパにおいて、ぐったりした “面長・ソバージュパーマのロン毛・痩せ” の男はイエスだと相場が決まっていると思ったからだ。





しかし、そう思い込みながらも、ある違和感を感じていた。それは、思うにその像が醸し出していない “威厳” とでもいうようなものだったろう。





そう。セルクラースの像には威厳を感じなかったのだ。セルクラースに感じた違和感とは 「死相」 であった。





そう。イエスの像はたとえ十字架に張りつけにされているシーンであっても、処刑の直後の姿であっても、セルクラースに感じたような 「死相」 を私は今まで感じたことがなかった! ということに気がついた。





セルクラースの場合、あ、死んじゃった……苦しみながら亡くなりましたね? って感じ。魂が抜けてしまった亡骸のような像であるのに対し、イエスの場合は、どこの像を見ても、本当に死んでしまったの? ……魂がまだ抜けていないんじゃない? って感じなのだ。





これって、イエスの像がすごいのか? それともセルクラースの像を作った人が 「死相」 を描き出している点がすごいのか? あるいは、駄作なのか? その価値基準はわからないが、私的には死相を感じさせるセルクラースよりはイエスの方がいいなぁと思うのであった。





そして、死してなお厳然と祈るような面持ち。つまり、静かな威厳を感じさせる表情を、私は無意識のうちにイエスに感じていたのだ! ということに驚いた。 (キリスト教信者では微塵もない私がこうなのだから、いわんやキリスト教信者をや、であろう。)





イエスは苦しみを湛えた表情でさえ、それに打ちのめされていないのだ。……ということが、セルクラースと比較することでよくわかる。威厳を湛えた表情。これこそがイエスの像を作るときに製作者に求められたものではなかったろうか?      





英雄セルクラース! 結果的に私にイエスの像を味わわせてくれた像であった。これって、ひと摩りした御利益……なのだろうか? 





追記:街なかにイエスはいない! でしょ。


 


私は街なかにある “男の像” をイエスだと思ったが、よくよく考えると、 「街なか」 に設置されているイエスの像など見たことがない。 「広場」 だろうが、「公園」 だろうが、ない。聖母マリアは、ある。 (……気がする。少なくとも日本では、広場や公園や学校の校庭などの露天に聖母マリアは存在する。) が、イエスの像は教会の堂内にしか、なくはないか? 少なくとも私は、露天に置かれたイエスの像にお目にかかったことはない。 (クリスマスのオーナメントや置物は別として。) このことも、今回、イエスの像の特殊性として再認識したことであった。


 


           つづく


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