2001年夫婦世界旅行のつづきです。ブリュッセル5日目。とうとうブリュッセルをゆっくり堪能できる最後の日です。7月18日 (水曜日) 、最近のヨーロッパは異常気象で酷暑が続いているようですが、我々が訪れていたときは薄ら寒かった! 晴れ・曇り・雨と、一日中不安定なお天気でした。





part131 ブリュッセル5日目①


         サン・ミッシェル大聖堂のイエス 






 





メインストリートに面したホテルの8階の部屋からは、メインストリートが右に左に遠くまで見渡せる。メインストリートに沿って並んだ建物群は高さがきれいに揃っており、通りを挟んだ向かい側は、窓の模様がついた一面の城壁のようにも見えるのだった。





朝、部屋の窓のカーテンを開け、外を覗き見る。と、雨に濡れたブリュッセルの街並みが、雲の合間から指し込む朝陽を反射させて、きらきら光っていた。夕べ雨が降ったらしい。道はまだしっとりと濡れて、きらきらきらきら美しい。整然と並んだ窓ガラスが光の万華鏡を作り出すのかもしれない。





空は重たげな灰色の雲に覆われているのに、ところどころに光の穴が開いている。 “雲のバケツ” の底にできた穴から、光の水がさぁぁぁっとまっすぐに街に降り注いでいる感じだ。空気がしっとりひんやりとしている。そして街は曇り空の下で眩しい。





昨日と変わらず、オレンジジュース、固いパン、 “出がらしコーヒー” だけの 「コンティネンタル ブレックファースト」 を済ませ (part130参照) 、明日ベルギーを出発するまでに必要なベルギーフランを両替に行く。





シティバング目指して中央駅まで行く途中、 「モネ劇場」 を左に折れ、今まで通ったことのない路地に入ってみたら、丘の中腹に大きな教会が現われた。丁度中央駅の北側に位置していて、今まで見逃していたようだ。 (中央駅には何度か行っているのに、中央駅前に立つと、つい西側の壮麗なグラン・プラスの市庁舎の白い巨塔に目を奪われてしまうのだ。)





それは、サン・ミッシェル大聖堂 (Cathédrale St.-Michel) という由緒正しそうなカテドラルであった。折角出会った教会だ。入場料もかからなさそうなので、とりあえず入ってみることにした。





大聖堂の入り口に男が一人立っていて、 「ボンジュール」 と声を掛けてきた。見るとひどく汚れた身なりをしている。手にはコーラの紙コップ (Mサイズ) が握られている。なぜこんな所で朝っぱらからコーラなど飲んでいるのか? という疑問はすぐにジャラジャラッと鳴る小銭の音で解けた。





男はその紙コップを軽く振って、中に入っている小銭をジャラジャラ鳴らし、紙コップを我々の方に突き出してきた。物乞いだ。





紙コップの中には4分の1ほど汚い小銭が入っていた。結構集まっているじゃないか。 「ボンジュール。」 挨拶だけ返して、さっさとカテドラルの中に入る。





荘厳な堂内は、鮮やかなステンドグラスに照り映えて、明るかった。キリストに関する物語が、堂内に所狭しと飾られた絵画や彫刻を通して語られている。見ていると、特にベルギー人が好きらしい物語の部分が分かってきた。





イエスが十字架を背負って処刑場までの道を歩いているところ。特に、十字架を背負いながら地に倒れてしまったシーン。それに、イエスが他の2人の男と一緒に張りつけにされて、右胸下を槍で刺されるところ。悲しみの余り、その十字架の足元で失神してしまう聖母マリア。処刑されたイエスを皆で十字架から降ろすシーン。死んで横たわるイエス。イエスの顔に布を覆おうとして人々がイエスを取り囲んでいるシーン。





そうした聖書の物語が繰り返し表現されている。彫刻に至っては、みごとにイエスを彫り出している。大理石の中に眠っていたイエスをそのまま掘り出したようだ。





等身大のイエスの白い滑らかな肌合いは、今まさに本物のイエスを目の前にしているかのような錯覚さえ感じさせるのだ。我々でさえそうである。まして信心深い昔の人々には、横たわるイエスは、血の気を失い白々としているが、今にも息を吹き返しそうに感じたであろう。





さて、素朴な疑問。十字架にかけられる時、イエスだけが釘づけされるのはなぜか。一緒に十字架にかけられる他の2人の男は、手足を縄で括りつけられているだけなのだ。イエスの方が他の2人より罪が重いということを表しているのだろうか? それにしても、この 「その他2名」 は何者?





イエスはなぜ右の胸下を一突きされたのか。私の記憶では左右から槍を刺されたと思うのだが…。 (絵によっては左右両方に傷跡があるものもあるし。)





人々は処刑されたイエスを十字架から下ろして、嘆き悲しんでいるが、イエスは極悪非道者として処刑されたのに、なぜ十字架から下ろされたのだろう。普通は腐るまで晒されるものではないか。死体を十字架から引きおろすことさえ禁止されたのではないかしら?





イエスの死体はどこに埋められたのかしら? これだけ有名なイエスがどこに埋められたのか、私は知らない。多くの人も知らないだろう。 (少なくとも、私の夫も知らない。) キリスト教徒の墓には十字架が立てられるけれど、肝心なイエスの墓はないのか? 「復活」 を強調するためには、イエスの墓だとか、埋めた場所だとかを明確にしてしまうとまずいのかな? 





などなど、キリスト教に疎い分、いくらでも素朴な不信心な疑問が湧き起こってくる。あれやこれや想像しているだけで楽しい。いくらでも時間を過ごせる。が、まず両替もしなくてはならないので、ほどほどにしてカテドラルを後にしたのであった。


             つづく


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