2001年夫婦世界旅行のつづきです。ブリュッセルに着いて、やっとトイレを探し当てたはいいものの、二人ともギスギスしてしまって、カフェで一息ついたりなどしても夫婦仲は修復されません。まだ「北駅」をうろうろしています。早く宿を決めなければ、日が暮れてしまう。空は明るくとも、もう5時を回っています。





part123 ブリュッセルの長い一日


      ギスギス夫婦その2―名物ムールでアムール復旧





テーブルに二人向かい合って、お互いそっぽを向きながら、ひとしきり仏頂面で沈黙の時間を過ごし、カフェを出た。とにかく一息着いたら、次は両替と宿探しである。





土曜日の夕方なので、郵便局も銀行も閉まっている。北駅にある郵便局のATMで、今回初めて夫のシティバンクのカードで現金を引き出しをしてみることにした。 (今回の旅行のために、日本であらかじめ作っておいたカードだ。) 現地通貨がそのまま出てくるのである。夫が現金を引き出す間、私は見張り役としてガードに回る。背後に怪しい奴が覗き込んでこないか、仏頂面をそのまま生かして周囲に睨みを利かせる。





夫は “初めてのカード” の “初めての引き出し手続き” で、ちょっと緊張しているようだ。「あれぇ?」 「なにぃ?」 「どーなってるんだ?」 と、ぶつぶつ苦戦している。心配して私が 「どうしたの?」 と覗き込むと、 「いいからっ。あなたは見張っていなさい。いーーからっ。だいじょーぶだからっっ!」 とケンモホロロである。じゃぁ、素っ頓狂な声出すなよ・・・・・・。


 


どうやらシティバンクのATMは、こちらが望む通りの額の現金を引き出すことができないらしい。引き出し額が選択肢で決められているのだ。例えば、こちらが12,000BFだけ引き出したいと思っても、引き出しの選択肢が5,000BF・10,000BF・15,000BFしかないのだ。(正確な数字は忘れたが。) そうと知らなければ、一瞬、なぜ引き出したい額が引き出せないの? と、うろたえてしまう。素っ頓狂な声も出るというものだ。





とにもかくにも、無事現金引き出し終了。よかった、よかった。ベルギーフランが手に入った。しかし、夫の不満はまだ終わらなかった。ATMの画面に 「レート」 や 「残高」 が一切表示されなかったと言う。確かにATMがどのくらいのレートで両替をしているのかが分からなければ、街なかの両替商とどちらがお得か比べにくい。残高が分からなければ不安だ。





確かに不安だが、しかし、それって一日中ぼやくことか? この後1日中、夫はぶつぶつぶつぶつ、ブツブツブツブツ。butubutu。仏仏仏仏……。ATMの “引き出し控え証” を見つめながら、私に同意を求めるでもなく、ひとりごちるのであった。 





(*Re) 「なんで、残高が出ないんだ? 信じられない。」 「この数字は何なんだ? (注: 残高額が表記されそうな位置に数字がずらりと並んでいるのだが、どう見ても残高にしては少なすぎる数字であったりする。) 誰かにカードを使われたか、これは? 」 「レートもわからないじゃないか。信じられないな。」 「頭来るな。信じられないな・・・・・・」 (*Re記号に戻る。)      





これを延々と繰り返すのだ。そんなこと、ATMでは出てこなかったのだから、も~仕方がないではないか。明日にでも、またシティバンクのATMを探して、例え 「手数料」 が高くつこうとも、 「残高照会」 するしかないではないか?  “今言っても仕方ないこと” をいつまでもうだうだ罵っている夫は、私の知らない人のようで、恐ろしくなってくる。





彼がこんなにぶつぶつと不満を繰り返すのも、初めてのヨーロッパで、初めてシティバンクを利用するという緊張と不安のせいなのだろう。 (お金の両替やら引き出しやらは、一切夫の役目。ご苦労さん。英語表示のATMの画面は、頭では分かっていても、緊張するだろう。一方、私は見張り役と記録係専門。暢気なものだ。) 





だからなんとか、大役を背負っている夫の気を楽にしてあげたいものだ~と、私なりに色々提案したり、慰めを言ってみる。が、これがどうやら火に油を注ぐらしい。私の “フォロー” はけんもほろろに跳ね返される。むぅっ! (妻の心、夫知らず! 夫の心、妻、知りたくもなしっ。) 





そして、 “宿探し” も一筋縄ではいかなかった。





アジアでは、駅を出て街に降り立つや、ツクツク運転手やらが、 「どこ行くんだ? どこ行くんだ?」 と声を掛けてきて、 「いいホテルまで連れて行くぞ?」 と、うるさかったものだ。大抵 “安宿街” という安宿がひしめきあっている通りがあって、その通りに行きさえすれば、宿はいろいろ選べた。





しかし、ヨーロッパはどうやら事情が違うらしい。安宿街が見当たらないのだ。ガイドブックの地図で探しても、宿はあちらこちらに “散在” しており、一箇所尋ねていったら、その一箇所だけしか宿がない。だめだったら隣の宿を見てみる、なんてことにはならないのだ。





結局 「北駅」 周辺ではいいホテルが見つからなかった。ヨーロッパというところは、もしかして、飛び込みで宿を探すことはできないんじゃないのか? アムステルダムでもそうだったように、観光情報局なるところで予約なりなんなりしてからではないと、そこそこまともな宿には泊めてもらえないのかもしれない。





時間は刻々と過ぎていく。このままあてどなく宿探しをするよりは、まず観光情報局に行こう! 観光情報局はどこだ? ・・・・・・ない? どうやら 「北駅」 周辺には観光情報局は、ない? 





ガイドブックには、隣の 「中央駅」 周辺の 「市庁舎」 か 「グランプラス」 なる広場の 「王の家」 の裏側にあると出ている。なんじゃ、そりゃ? と首を捻るが、捻っていても答えは出ない。ともかく観光情報局へレッツゴーだ!





「中央駅」 まで、鉄道でたったひと駅の距離だ。道々宿を探しながら、歩いていこう。地図を頼りに 「北駅」 から大通りに出て、通りの名前を確認しながら南下していく。 30分ほどかかっただろうか。特に迷うこともなく、 「ⓘ (ブリュッセル市観光案内所) 」 まで辿り着いた。やれやれ。





で、シティマップも手に入れ、なんとか宿を紹介してもらったのだが、この観光情報センターも、アムステルダムのそれに劣らず、つっけんどんだった。 





「1週間なんて連泊できる宿はないわ。」 「できるだけ長く滞在したいのです。何泊なら可能ですか?」 「2泊なら泊まれるホテルがある。これは3つ星のいいホテルよ。」 「3つ星でなくてもいいのだけど?」 「他はもっと高いわよ。」 「・・・・・・そこでいいです。」 





紹介された宿がこれまたえらく中心地から離れていた。ガイドブックの地図にも載っていない、聞いた事もない住所だ。 「トラムに乗って、ここへ行くがいいわ。さぁ~、お行き。今から1時間以内にお行きっ。」 と、女王様さながらに命令するだけ。





それだけじゃ、わからないよ。メトロは何駅で降りるの? 食い下がって聞くと、メトロの下車駅名だけ教えてくれる。それだけじゃ、わからないよ。そのホテルは駅のすぐそばにあるの? と聞くと、 「メトロの駅からはちょーっと歩くわね。」 と言う。ちょっとちょっと。それなら地図で示してよ。こちらの要請に面倒臭そうに思いっきり粗雑な略地図をプリントアウトしてくれた。 





「ほら。メトロ降りて、まっすぐ行って、左の道へ入って、ここら辺よ。」 と、赤ペンでぐるぐるぐるっとホテルの位置に円を書き込む。これ以上聞きくなよっと言わんばかりにぐるぐる力が入っている。彼女の力んだ指先を見たら、もう礼を行って引き下がるしかなかった。





オフィスが閉まる時間を過ぎていたこともあり、係りの人もさっさと帰りたかったのだろうが、不親切なところだ。ベルギーに着いたばかりの我々はトラムがどこから乗れるのかもわからない。





とにかく教えられた住所を頼りに、人に尋ね尋ねトラムに乗り込み、トラムを降り、宿を探す。人々は皆親切に教えてくれた。アムステルダムでもブリュッセルでも、 「観光情報局」 以外の人々は誰も彼も旅人に親切だ。みんな、優しいじゃないか♡♥





観光情報局のお姉さんは、 「メトロ降りて、まっすぐ行って、左の道へ入って」 と説明してくれたが、どの左の道だかわからない。左に入る道はたくさんあった。略式マップには一本しか出ていない左の道も、実際には大小たくさんある。 “最初の左道” かと行ってみても、違う。 “大きい左道” かと入ってみても、やっぱり違う。いよいよ空が夕暮れてきて、人気(ひとけ)のない通りは薄気味悪く暗くなり始めた。時折通りかかる人を捕まえては住所と地図を見せて宿を尋ねる。





何度目かでようやく 「左の道」 がわかった。初めての人間にはかなり分かり難い、人気のない細い工事中の石畳みを上り詰めた丘のてっぺんに、ようやく目指す宿を見つけた。





ホテルに着いたのは、もう9時を回っていた。ホテルは確かに3つ星の上等なホテルであった。街の中心からやや離れている分、3つ星にしては安いようだ。 (予約が一杯で2泊しか出来ないのが残念だ。いくらなんでもブリュッセルに2泊は短すぎる。また明日宿探しをしなくてはならない。ヨーロッパに入ってからというもの、連日、宿探し・移動のチケット探し・移動・宿探しの繰り返しだ。)





ホテルのフロントの若いお兄さんもにこやかな対応で、感じがよかった。部屋も、十分に清潔で、なかなか広い。こざっぱりとしていながらセンスがよい。はぁぁぁ。よかった。宿がよければ、疲れも吹っ飛ぶ。





注: 朝食込み、二人で一泊2,000BF (約5,500円) 。ホテルの質からも、今考えたら、とーってもお安いホテルであった。しかしアジアから来たばかりの我々にはとてつもなく高い宿代に感じられていた。





ホテルの部屋で一休みしてから、遅い夕食を取りに出かけてみることにした。 (今日はアムステルダムでホテルの朝食を食べたきり、まだ何も食べていないのだ。いいホテルに入れたためか、急にお腹がすいてきたのであった。)  ホテルの人にレストラン通りを教えてもらい、すっかり真っ暗になった丘を降りる。しばらく歩くと、教えてもらったとおり、 「レストラン通り」 があった。暗い街の中で、その通りは賑やかな明かりが連なって灯っていた。しかし、 「賑やか」 といっても騒がしいわけではない。人出も多いわけではない。どの店もぽつりぽつりと客が入っているだけだ。だがどの店も悠々と趣向を凝らしておしゃれに明かりを灯し、闇を演出しているといった感じで、見ているだけで心躍るものがあるのだった。





どの店もおしゃれだが、高い。店の前に張り出されてあるメニューを覗いては財布と相談しつつ、安くておいしそうな店はないかと探す。もう空腹も限界となり、安くはないが美味しそうなイタリアンレストランに入った。 (どうも我々は、困るとイタリアンレストランに入る傾向があるようだ。)





ムール貝がどうやらブリュッセルの名物らしかった。どうせいいお値段なのだから、思い切って名物を食べましょう。 夫は 「ガーリックと白ワインのムール貝」 を、私は 「グリーンペパーのクリームソースのムール貝」  を頼んでみた。





やがてテーブルに運ばれてきたのは、直径20cm、深さ30cmはあろうかという大きなバケツ、もとい、深鍋。その中に、嘘っ!! というくらいグリーンペパーが放り込まれており、ムール貝が山のように詰まっている。ムール貝だけでも30個は入っていたのではないだろうか。





おまけにイタリアのパン (パニーニ) が付け合せに出てきた。胃袋が小さくなってしまっていた我々にはそのパンだけで十分腹膨れるものであった。まさかそんなバケツでムール貝が出てくるとは思わず、うっかりそれぞれムール貝を頼んでしまったものだから、我々のテーブルには大きなバケツが2つ並んで、パンも山盛りだ。





こちらの人は一人でこのバケツを一杯食べてしまうのだろうか? 他のテーブルは? と見ると、ピザやパスタを頼んでいる人ばかりなので、白人の胃袋事情はあいにく、よくわからなかった。 (しかし巨大なピザを一人で平らげているようであった。)





とにかく残してなるか! と、ムール貝に挑む。黒く細長い貝殻からうまく貝が離れるかしら? こちらの心配など全く無用だった。フォークでちょいと身を突付いて貝を口元へ誘導すると、つやつやしたオレンジ色の身が殻からするりと離れて、つるりと口に滑り込んでくる。途端にグリーンペパーの爽やかな香りが立ち上がる。と、次の瞬間、濃厚なクリームの風味が広がる。そのクリームが、甘ささえ感じるような芳醇なぷりぷりしたムール貝の身を優しく包みながら、さらに磯の香りを引き立てるようでもあった。むふー。うまい! 鼻から息を吐くとグリーンペパーの香気が漂う。体中に清涼感が漂い、今日一日の疲れも吹っ飛ぶ。あれ? 今日、何があったんだっけ? って感じだ。むっつり黙り込んで、ろくに言葉も交わさなかった我々は、いつの間にか仲良く乾杯して、お互いのバケツに手を伸ばしたり、伸びてくる手を叩(はた)いたりしていたのであった。





ビールがこれまた美味い。ブリュッセルはビールも名物らしい。今夜飲んだのはなんと言う銘柄だか気にも留めていなかったが、とにかくムール貝とよく合った。





むほっ。美味い。つるりっ。ごっくん。むはーっ。このグリーンペパーがっ! この香気がっ! 美味い! ごくごくごきゅっ (ビール) 。ぷはぁぁ。んまいっ! で、また、つるりっ・・・・・・つるり、ごっくん、飲むようにムール貝を食べた。時間はかかったが、我々はとうとうバケツ2杯のムール貝を平らげてしまったのであった。





料金は高い (1,130BF=約3,100円) が、その量と美味さを考えると、かなり安い。日本なら、おそらくバケツ一品だけでも3,000~5,000円はしそうである。結果的にはとてもリーズナブルなお値段であった。(しかし結果的にはかなりな出費ではある。)





美味しい夕食だった。美味しいものは人を幸せにする。幸せな心は人を優しくする。寛容にする。 「おーいしかったねぇーっ」 と声をそろえて笑い合えたのであった。ムール貝のお陰で、我々のアムールも復旧されたようだ。仲良きことは、よきかな、よきかな。疲れれば心を閉ざして怒り、喧嘩をし、美味しいものを食べればご機嫌になるという、なんとも単純な夫婦であることに、われながら呆れた一日であった。








余談だが、夜、夫がまたもや、パスポートのスタンプとシティバンクカードの引き出しについて心配し出した。 「やばいよ、やばいよなぁ。 (妻:あんたは出川かっ! ) どうなってるんだ。信じられないなぁ。どうすりゃいいんだ。」 果てしなく続くテープレコーダーのようだ。そんなこと今ぶつぶつ言っていたって埒もない。我々が出来る善後策を考えるしかないのに、不平しか彼の口からは洩れてこない。国境でパスポートチェックがなかった以上、ヨーロッパを周るのにパスポートチェックは関係ないと言うことだろう。





しかし、我々はアムステルダムから出国しなくてはならず、一国の滞在許可期間は90日と決まっている。丁度90日後の10月10日にアムスを出る予定だが、もし予定がずれこんでしまったら、出国の際に、アムステルダムに90日以上いなかったことを証明するスタンプがないと、面倒なことになりそうだ。 (注:このときはヨーロッパ全土でトータル90日しかいられないことをまだ知らずにいた。)





しかしパスポートのスタンプのことなど、どんなに思い巡らせてみても、我々が頼れるのは日本大使館ぐらいだろう。あいにく明日は日曜日。大使館も休みである。パスポートの件は月曜に大使館に行って問い合わせることにして、シティバンクの件は、日曜でもATMはやっているはずだから、シティバンクを探して、残高を参照すること。これしかできないし、それが最良の善後策であろう。どうして何が出来るか、何が最良か、考える前にぶちぶち不平に時間を費やすのか、私には理解できない。愚痴ってみたいのだろうか?でも愚痴ってばかりで、かえって自分で自分の不安を煽っているようで、はたで聞いていてうんざりするのである。でも、もうムール貝でお腹も一杯なので、夫のぶちぶちは放っておくことにした寛大な妻なであった。


            


           つづく


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