今日は眼科病院へ行ってきた。私は今までに眼科・耳鼻咽喉科に数回行った事があるが、嫌な思い出ばかりだ。
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 まず、中学生の頃(つまり1970年代初頭)。その頃まだ世に広く知られていなかったアレルギー性鼻炎になった。今なら「アレルギー性鼻炎だね」とすぐわかるが、当時は一体何が起こったのか?! と恐怖の症状だった。周りの人も「アレルギー性鼻炎」なんてものはご存じないから、「何だ、あいつは。汚ない奴だな~。」と白い目で私を遠巻きになさったものだ。説明が付かないものだから、「神経が過敏なんですよ。」と片付けられる。今まで大らかさが唯一の取り得だったような私は俄かに「神経質」というレッテルを貼られ、自分自身も「そ、ソウだったのか……!」と密かにショックを受けていた。今にして思えば、この時点で私は自分の運命を大きく軌道変更したように思う。

 発症当時から私の症状はひどいものだった。最近遅ればせにアレルギー性鼻炎になっている人を見ていると、その症状の軽さたるや、ちゃんちゃら可笑しい。くしゃみ、鼻水が止まらない? そんなの序の口である。ティッシュを一日一箱使ってしまう? そんなの序の口である。涙が止まらない? そんなの……マシな方なんですっ! と叫びたくなる。

 私の場合、クシャミ、鼻水はもちろんだが、それが一瞬にしてどーっとやってきて、クシャンッとひとつ始まったら、5分しないうちに、眼が腫れ、鼻が付け根から腫れ、つまり顔面の中央が腫れて、まっ平らになるのだ。一瞬にして化け物だ。

 眼鏡が顔に掛けられなくなるのだ。試しに掛けてみたが、眼鏡のつるが耳に届かない。こめかみの下辺りまでしか届かないのだ。顔面、肉古墳状態だ。目蓋は腫れに腫れて、すでに「目蓋」なんて代物ではなくなっているのである。目蓋だ、鼻だという領分は既にない。ボーダレスの顔になるのだ。顔が肉の塊状態だ。だから眼は晴れ上がった「目蓋」もどきの肉の塊に押さえつけられて開かない。

 唯一口から下の部分は普通だから余計不気味である。口呼吸しか許されないので、口を開けたまま、口から上は涙と鼻水が垂れ流され続ける肉古墳となった顔を、人に見られたくなくて下を向く。下を向くと涙鼻水がだらだら。ううっ。たまらず上を向く。上を向くと鼻が喉にもだらだら。慌ててまた下を向く。もうパニックである。

 「エレファントマン」が人間に追われていくシーンのように、人目を避けつつ、目蓋を少し押し上げて、その目蓋の隙間から地面を確認しつつ、病院に向かった。泣きながら、鼻水垂らしながら。

 病院は某市立大学付属病院様であった。花も恥らう乙女が顔面まっ平らに腫らして、涙と鼻汁を垂れ流しつつ、待合室に座り続ける辛さたるや。その当時、私はかなりな恥かしがりやでもあり、人前で歩くとこすら恥かしい。まして、人前で鼻をかむなんてことができない人間であった。(最近では、歩きながらおならもできるようになってしまったが。……我ながら、成長したもんだ……。)

 何時間も待たされて、漸く先生様にお目通り願えた。涙と鼻水にまみれた、まっ平らに腫れ上がった私の顔をちょいと診ると、医者先生様はのたまった。「ううん。ふぅん。え~、あ~、これはね。これは、眼から空気が入ったんだよ。うん。こういう人、時々いるんですよ。大丈夫。押せば、空気が抜けて、治るから。」とおっしゃって、やおら、腫れ上がっている私の目蓋と思われる辺りを、ぎゅぅぅぅむと押してくれやがった。いてぇっ。ちくしょう。いてぇだろうがっ。(当時はイタイケナ中学生だったから、もっとかわいい声で「
痛いです、痛いです。」だった。)

 で、当然、鼻炎で腫れた目蓋もどきがヘっこむワケもない。「あれぇ?おかしいなぁ。空気じゃ、ない、みたいだねぇ。へぇぇ? 」(この先生はまだ自分の非を認めただけ、ましなお方だった。) で、このまま結局、「何かのアレルギー症状でしょうな。」という結論で締めくくられた。これで高い診察料を取られたことは言うまでもない。

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 もう一つ、大学生の時も、嫌な目医者に出くわした。

 あの日、私は自分の部屋で、大学生の本分たるお勉強をしていた。窓から爽やかな5月の風がそよいでくる。風薫季節だわね~と、ふと顔を上げた瞬間、いきなり右眼にピシッと何かが飛び込んできた。痛っ! ただ事でない痛さだ。慌てて手鏡を覗くと、右目の白目の中になにやらガラスの破片のようなものが張り付いて、キラリッと輝いているではないか! なぜガラスの破片など目にいきなり飛び込んできたのか? そんなものが風に飛んでくるか? 

 ワケが分からないが、とにかく尋常な痛さではない。その時私はハードコンタクトをしていたが、痛くて、痛くて、コンタクトを取り外すこともできない。で、できるだけ早急に診てもらえる近所の目医者を探して、行ってみた。

 受付で事情を話しても、「はぁぁ?」ってな反応される。ガラスの破片ならいつ角膜を傷つけるかわからない。瞬き一回一回ひやひやする。一刻も早く取り除いてほしいが、「とりあえずぅ、座ってお待ちくださぁい。」と待たされる。

 ようやく診察の番が回ってきた。先生に、「いきなり眼に何かゴミが入って、痛くなったんです。見たら、ガラスの破片のようなものが白めの部分に張り付いて光っているんです。痛くてたまらないんです。」となるべく簡潔明瞭にご説明申し上げる。先生、だるそうに椅子の背を軋らせ、開口一番、「あんたのコンタクトが汚れてるんじゃないのぉ?」 びっくりである。

 私の眼を診て、汚れたコンタクトを確認したのならまだしも。診もしないうちにそう言ったのだ。初めてかかった患者に、しかも、常にコンタクトを清潔に保ってきた私に、言うにことかいて、なんたる言い草! 「てめぇ! 藪医者っ! 診もしねぇうちから、何、ぬかしくさっとんじゃっ?!」 というような叫びのボキャビュラリーを、その時、まだまだ初々しかった私は、持ち合わせていなかったのであった。

 とにかく泣きそうになって、必死に「本当なんです。とにかく、診てくださいっ。」と拝み倒したのであった。(私はごく一般的な女子大生。その時も、一見して薄汚い格好などはしていなかった。念のため。)

 その先生は思いっきり「仕方ないなぁ。」って顔で、「本当にちょっとだけよ。」とばかりに私の問題の右目をちらりと覗き込んだ。と、「ん?」と言う。目を皿のように大きくして、さらに顔を近づけてきて、「んんん?」と言う。そして、今度は「……。」 黙り込んだ。

 何なんだ? 悪い病気なのか? 急に真剣なまなざしで診られ始めた私はどきどきする。と、先生様は奥に控えし看護婦さんに向かって叫んだ。「おいっ。プレパタート! プレパラート、もってこい。早くっ!」

 プレパラート? 何? 何? 実験でも始めるつもりか? 私はますますおたおたした気持ちになる。と、先生の手にはいつの間にか銀色に輝くピンセットが握られている。ひ~、一体何をなさるおつもり? イタイケナ私は全身硬直状態。先生様は、息を詰めて、そのピンセットを私の右目の方へ、そぉぉっと近づけてくる。

 ひ~、眼を突っつくおつもり? ひぇ~、ひぇ~! などと言う悲鳴は声にならず、全身硬直を続ける私の眼から、先生様は、うまく何やら摘み出したようだ。

 「よぅし。」先生はひとりで意気揚揚としていらっしゃる。慌てて診察室に入ってきた看護婦さんからプレパラートを受け取ると、先生様は神経を集中させて、その中央にピンセットの先をそぉっとつけた。で、「ふぅーっ。」 ……何ですか? そのため息は? なんて、先生に質問することもできないまま、私は緊張し続けて、俄かに肩の力を抜いた先生様の後姿を、ただただ見守っていた。

 すると先生様はいきなりくるりと振り返り、「待合室でお待ちください。」とおっしゃった。さっきと随分態度が違うじゃないの。何が何やら、狐に抓まれたようである。はっと気づくと目の痛みはなくなっていた。とにかく控え室で待ち、10分ほどしたら、再び診察室に呼び入れられた。

 いかなる診断が下されるのやら? 患者にとって、こんな怖い状況があるだろうか? さっき先生は私の眼の中から何を発見してしまったのだろう? 何を採集したのかしらん? 悪性のウィルス? 諺にも使われる恐怖のツツガムシ? 新種の化学物質? 

 不安顔の私に、先生は大きな声で、「ほらっ。見てごらんっ。」とプレパラートを差し出した。プレパラートの中央がきらりと光った。よく見ると、星の形をしたガラスの破片のようだ。それがプレパラートの上で透明なセロハンテープで止められていた。これが私の眼の中に入っていたのか。こりゃ、痛いでしょう。どう考えたって、痛いはずだ。

 「ほらっ。見えるでしょ。星の形のようだね。きれいだねぇ。これは、多分何か植物の種じゃないかな。うん。珍しいねぇ。初めてですよ。いや、珍しい。ほっほっほっほっ。」
 
 ほぇぇぇ。と驚いている私の反応などどうでもよさそうに、先生は1人熱く語るのであった。

 やっぱり、結局、異物が入っていたんじゃん。失礼しちゃうぞ。(まぁ、取り除いて頂いたから、ありがたくもあったのではあったが。)

 以上のような、嫌な嫌な思い出があるので、もうかれこれ20年以上、私は目医者に行っていなかった。

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 しかし、一週間前くらいから、いきなり右目の視力がガクッと下がり、いつも掛けていた眼鏡ではもう「よく見えない」というどころか、近くのものも遠くのものもぐにゃぐにゃに歪んで、眼鏡を掛けない方がよほどマシ! という状態になったのだ。
 
 しかし私の目は、極度の近視に極度の乱視のおまけつき。しかも左右びっこちゃっこだ。老眼だってそろそろ入っているはずなのだ。眼鏡を掛けないと、掛けているときのような吐き気は催さないが、あらゆるものがぼやぼやにぼやけて、見えない。満足に生活できない。

 両眼とも眼鏡の度が合わなくなったというのなら、まだわかる。しかし、左目は今まで通りに見えるのに、なぜ右目だけみえなくなったのか? ちょっと、いや、かなり不安になった。

 そのうち治るだろうと思っていたある朝。朝一番にいつも通りお茶を入れて夫に差し出すと、「眼、どうしたの?」と言われた。そこで初めて左目だけしか開けていなかったことに気づいた。なんと私は右目を開けるのを忘れていたのだ。寝起きだったとは言え、このオオボケには背筋が凍った。まずい。右目がまずいぞ。右目があまり見えにくいので、右目で見ることを体全体が拒否し始めているのだ。

 とにかく右目の眼鏡のレンズを作り変えに眼鏡屋へ行ってみた。すると、丁寧に検査してくれた眼鏡屋の若いお姉さん店員も、お姉さん店員とひそひそと密談した後に、今一度測り直してくれたベテランおじさん店員も、「どんなに度を強くしようとしても、お客様の視力が上がりません!」とおっしゃる。

 「これは、お客様の眼そのものに問題があるかもしれません。角膜が傷ついて、そこからばい菌が入って、視力が落ちることもありえますから、まず眼科に行った方がよろしいでしょう。」とおっしゃる。ここまで言われて、目医者に行かない人がいるだろうか。いや、いまい。

 20年間封印していた厄所だが、眼鏡屋さんの親切な進言にすっかりびびって、私は慌てて眼科の門を敲くことを決めたのだった。

 しかしどこの病院に行ったらよいのか、とんとわからない。藪医者なら知っているが、まともで腕のいい良心的な眼医者などというものは、お眼にかかったことがない。とりあえず、インターネットで検索して、感じのよいHPの病院を見つけ、行ってみた。「患者第一主義」を掲げている病院に、私の目を掛けてみることにしたのだ。

 それは、都心の駅前にあるなかなか大きな病院であった。駅の改札を出ると、なんだか人々が皆その病院を目指して歩いていく。ぞろぞろ歩行者がみんなその病院に入っていくではないか。びっくりして、スピードを上げ、しゃかしゃか歩き、3、4人追い越して、その病院に着いた。10時を少し過ぎたころなのに、受付のエントランスは立錐の余地もないような混みよう。なかなか大きな待合室の席は満席。建物の外まで人が溢れている。行きのJR京浜東北線の車内より混んでいるではないか。

 これだけ流行っているというのは、「いい病院ということ」か、いやいや、「患者が多過ぎて診察をいい加減にされるのではないか」? 不安と期待が入り混じる。

 身を寄せる壁もない。柱の周りももうおじいさん、おばあさんにしめられている。落ち着いて立っている場所もないまま、人でごった返すエントランスで、人につつかれ、人をよけ、うろうろ立ったまま30分ほど待って、漸く名前を呼ばれたと思ったら、まず、口頭チェック。初診者用のアンケート用紙の内容を確認される。

 で、そのまま視力検査。眼圧検査。検査のお姉さんは若くてきれいだった。しかし、「はい。座ってくださ~い。」と言って、人が座るや「眼圧検査しますねぇ」とぽそっと言って、いきなりプシッ!はやめてくれ! 眼圧検査をする時は、最初に一言、「じゃ、空気を当てますよぉ~。行きますよぉ。」と言ってくれ! 心の準備もできていないうちに、いきなり眼にプシッと空気が撃ち込まれたら、こっちはびっくりする。私がおん婆なら、ひっくり返っている所だ。さぁ、くるぞ!と思っていても、ちょっと椅子から飛び上がってしまうのだから。

 そして、見にくいCの字の隙間を散々答えさせられ、もう視神経がパンパンに腫れ疲労も極度に達した頃、ようやく視力検査は終わり、奥の診察室の前の廊下でさらに待つように指示される。

 今度はベンチに座れた。しかし座れているとは言え、「瞳孔を開く目薬をさしますね。」と、待っている間に2回に分けて目薬を点眼される。だんだん視力がぼやけてくる。不安になってくる。「このパンフレットをお持ちください。」と待っている間にその病院特製の「飛蚊症」パンフレットを渡される。(注:「飛蚊症」とは眼球のガラス体の中にできた濁りが影となって網膜に映り、物を見るとき、眼の中を蚊が飛んでいるように見えてしまう症状だ。) 私が飛蚊症であることは、昔目医者に宣告され、そのことは初心者アンケートのチェックの際にも告げておいた。飛蚊症だとわかっている私に、何を今更読ませようというのだろうか? しかし読んどけと渡された以上、突き返すのも大人気ない。とりあえず受け取った。

 すると私の丁度前に座っていらしたおばあちゃまが、そのパンフレットを目ざとく見つけて、「飛蚊症はね、私もなんですよ。」と通路越しに話しかけてきた。私を慰めようとしてくれているのか? と思いきや、いつの間にかおばあちゃまの白内障の手術の話になっていた。「はぁ、はぁ。……白内障。へぇ。はいはい。……大変そうですねぇ。」以外に私に何が言えるだろう? 

 「ううん。大変じゃないのよ。白内障は手術で完全に治ってしまったの。それがね……」と話は第2部に突入してしまった。……しまった! 下手に合いの手など入れるのではなかった。おばあちゃまは病気自慢を一下りお上品にまくし立てると、すっきりしたのか、やがて、「じゃ、これで」と去っていった。診察が終わったら、とっととお薬もらってお帰りくださいぃ!

 で、ほぅ……と息をつき、やれやれ、このパンフレットで大変な目にあったわい、とパンフに目を落としたのが、いけなかった。ぼそっと私の耳右に、「飛蚊症は、治らないんだよね。」と、半ば諦めたような、すっきりした低い声が飛び込んできた。私の右隣に座っていたおじさまは、さっきからおばあちゃまと私の会話に仲間入りしたくてしょうがなかったらしい。「飛蚊症はね……」と始まってしまった。もぉぉぉぉ。私は飛蚊症のことで病院に来たわけじゃ、ないんですぅ。飛蚊症のことは20年以上も前から散々調べて、診察もしてもらって、よーくよーく知っているんです!」と叫び出したいが、もう叫ぶ気力は私には残ってはいないのであった。は、は、は~。

 眼が見えないと、耳もよく聞こえなくなってくる。私の苗字はよくある苗字なので、何度も何度も、はっとさせられる。(病院の方々、苗字だけを呼ぶのはやめて下さい! こっちは、下の名前が改めて呼ばれるまで、耳をそばだてていちいち緊張するんですから。) それだけで、また疲れる。待たされること、1時間。もうこの時点でへとへとである。

 やっと診察室に呼ばれて、先生に診ていただく。眼科特有の妙な顔乗せ機が置いてある。で、そこにおまぬけな自分の顔を乗せる。その時点で、もうなんだか、帰りたくなる。

 眼の中に光を当てられて、「正面を見てくださぁい。」と言われるが、まぶしくってとても見ていられない。そんな光を直視したら、眼がつぶれるのじゃないか! と不安になる。

 「まぶしいんですけど……。」と言ってみると、先生は「まぶしいですかぁ?」と不思議そう。で、だったらどうしろと言うこともない。こちらの「失明するんじゃないか」という不安など、微塵もおわかりではない。

 「はい、ちょっと眼の中、見ますねぇ。」と、今度はブルガリの指輪のような、水道管の一部のような、小さな金属の筒のようなものを、まぶたを押し広げて白眼に直に押し当てる。痛い! 冷たい! で、そのまま上を見ろだの、右を見ろだの、左を見ろだの、左斜め下を見ろだの、注文をつけてくる。

 しかし、その金属を当てられた眼の前は真っ暗で、自分の目がどこを見ているのかわからない。自分のその目が開いているのかも感じられない。痛くて痛くて、思わず顔が診察台から離れる。と、背後に控えていた看護婦さんが人の頭をぐいっと後ろから押さえつける。なんだか拷問を受けているようだ。とにかく痛みを堪え、先生の言うとおり、できるだけ、右を見たり左を見たりしようとしてみる。

 涙が溢れ続ける。先生が右目から金属機器をはずすと、どっと溢れ流れてくる涙を、背後の看護婦さんがすかさずティッシュで一拭いしてくれる。が、一拭いなんかでは涙は拭いきれない。頬をつぅーつぅーっと涙が伝う。目薬に染まった黄色い涙なら服が汚れてしまうので、そっと手で頬を拭うと、医者は「大丈夫ですかぁ?」と声をかけてくれる。が、「はい」以外何が答えられる? 「痛ぇんだよっ。ボケッ!」などとは決して言えない。「
はい。大丈夫です」と小さく答える。そして今度は左目の番。やっぱり、いた~い。

 両目のチェックが終わり、その器具をはずしてもらった瞬間、両目から再び涙が溢れる。眼がじんじんひりひり痛い。両目を押さえて、思わず「
……痛い。」と呟くと、「痛いですかぁ? 麻酔さしてあるんだけどなぁ。」ってなこと呟かれる。え? 麻酔? いつの間に? 聞いてないよぉ。それはそれで、またびっくり。また不安。麻酔なんて、無断でさすわけ?

 ほんの数秒眼を押さえて痛みを堪(こら)えていると、先生が「大丈夫ですかぁ? 説明、聞けますかぁ?」と心配なさる。これで、「今は痛くて聞けません!」なんて言ったら、また何時間待たされるか? と思うと、「いえいえ。大丈夫です。お願いします。」ってことになる。

 先生のご高説を拝聴する。結局眼の中に傷はない。問題ない。視力も今日測ったらちゃんとある。で、お仕舞いだ。

 「じゃ、昨日まで「失明するのか」と不安になるほど右眼が見えなかったことは、どういうことなのでしょうか?」と聞くと、「日によって視力は多少変化しますからぁ。」とおっしゃる。「“多少”とか、そういうレベルではなかったのですが?」と言っても、「うーん。でも、今日は見えてますからぁ。」

 「で、また何かあったら、来てください。」で終わった。「ありがとうございました。」以外、何が言えるだろうか。

 結局、なんで、右目がひどく見えなくなったのか。なぜ一週間以上も見えないのか、納得できる説明はなかった。まるでめがね屋さんの視力検査などいいかげんなのだ!ということですべてを収めようとしているように思われる。もちろん病院から見たらそうなのかもしれないが、なんだかな~。

 さて、私のこの病院の診察の受け方、どこが悪いのでしょうか? 私はとんとわかりません。病院の先生には、質問すると逆切れされてばかりいるので、私は病院の先生に質問を極力しないようになってしまいました。それでも、今回は粘った方です。ああ。眼がかすむ。ものが歪む。頭が痛い……。

 やっぱり病院って、きらい!

追記:
 目というのは、白めの中央に瞳がある。その瞳というのは、普通茶色いまん丸で、しいたけの裏側のひだひだのようなものが放射線状をなして見える。そしてその中央に黒い小さな瞳孔があるわけだ。

 「瞳孔を開く」目薬をつけた目は、その黒い瞳孔が、茶色い瞳とほぼ同じくらいの大きさに大きく広がる。「瞳孔を開く」目薬は4~6時間くらい効いているらしい。
 
 診察が終わって家に帰ってきても、瞳孔が広がってしまっていて、ものがよく見えない。ちょっとした光が眩しく乱反射する。「瞳孔が開く」って、よく死人の症状のことを言う。私の死に顔って、こうなのか? とまじまじと見てしまう。でも顔全体はぼやけてしまうので、よく見えないのだが。