2001年夫婦世界旅行のつづきです。タイのチェン・マイ名物「ドイ・ステープ」に登りました。これで、「チェン・マイに行ってきたぞ!」と言えるんだそうです。



part87.チェン・マイのちんまい一日(5)――妻火山小爆発!



 今日は、「ここに登らなければ、チェン・マイに来たことにはならない。」と言われるチェン・マイの名所、ドイ・ステープに登ることに決めていた。(「ドイ」とは「山」の意味らしいが、未確認。) いつもは朝寝坊の夫が、「朝8時に起きる!」と豪語していたので、私の日課の “朝の一人散歩” は諦めた。



 7時から散歩に出たって1時間歩いてこられるが、散歩に出ると何が起こるかわからない。道に迷ってしまったら帰るのに2時間かかることは先日の散歩で経験済みだ。(私は方位磁石をお守り代わりに肌身離さず持っているのだが、底抜けの方向音痴なのである。本当は “朝の散歩” というより、“朝の彷徨”、“朝の迷い” といった感じなのだ。) 帰る時間を気にしての散歩も嫌なので、取りやめることにした。その代わり、夫と二人でいつもより早めに行動できるものだと楽しみにしていたのだった。



 さて、6時半頃目覚めてしまった私は、ゆるゆると身支度を整えて、本など読んで時間になるのを待った。しかし、8時になっても夫は起きない。よく眠っている。少しくらいの寝坊は見逃してあげよう。とりあえず、宿のカフェで、1人ゆっくりコーヒーを飲んでくる。部屋に戻ると、既に8時半だが、夫はまだ高鼾で眠り続けている。しかたなく声をかける。「ねぇ、起きてっ。」「ぅう~ん。今何時?」「もう○時△分。」「ふぇぇ、もぅそんな時間~? ほきるほきる(注:「起きる、起きる。」の意)」と言って、「うんんーっ」とひとしきり伸びをし、「……」。あれ? と覗き込むと、「ぐーっ」と寝息をたてている。……これが延々繰り返された。



 夫が起き出したのは、結局10時を回っていた。寝ぼけ眼で、目をこすりこすり、「今朝はどこを散歩してきたのぉ?」などと聞いてくる。(お前さんが8時に起きると言ったから、散歩は取りやめたんだっ。お前さんが起きるのを、ずーっと待っていたんだろうがっ!) カチンと来た頭を押さえつつ、「今日は散歩は行かなかったよ。」と言うと、「なんでぇ?」と来た。ブッツンと何かが切れた。どうせ早く起きないのなら、どうせいつもの通りなら、なんで今日は「8時に起きる!」などと言ったんじゃっ? おまけに10時に起きておいて、自分が寝坊したとも思っていないたぁ、どぉぉゆーこっちゃ!



 「あれ? 眼鏡どこかなぁ?」「……(知るかっ)。」「あれぇ? 靴下片っぽう、知らなぁい?」「……(勝手に探せっ)。」「あ、あった。あった。」「……(とっとと着替えやがれっ)。」 寝起きの夫のほやほやした一挙一動を、凍るような視線で見守る。一言もまともに返事が返せない。ほやほやした一言一言に湧き上がる毒舌を飲み込むのが精一杯だ。もう私の顔は強張ってビシビシのゴワゴワだ。暗い陽炎が全身からぬぉぉぉっと立ち昇っているのが自分でもわかる。せっかくの朝のmy時間を無駄に待たされ怒っている私に、お気楽夫は、「なんでそんなに僕が怒られなくちゃいけないのぉ?」と返してくる。ほほぉ。(ピキピキピキッ……) 



 夫がいつ起きてもいいように傍に侍(はべ)っているのが妻の喜びだとでも思っておるのか。「自由にすればいい」と言いつつ、自由にさせない。リズムの合わない二人三脚のようだ。ダラダラリズムに調子を合わせて歩くのにも、疲れて来たぞ、夫よ。妻は、頭にカチン、堪忍袋の尾がプッツンで、はらわたグラグラの神経ピキピキッだぞ。夫よ。



 とにかく臍を曲げていてもしかたないので、二人で遅い朝食を済ませて、とるものもとりあえず、ドイ・ステープを目指した。ガイドブックには旧市街の北の門からソウテウに乗るように書いてあったが、なぜそこでソンテウにならなければならないのか、わからない。街中からツクツクに乗ってはいけないのか?



 ソンテウは8人乗りくらいの相乗り用小型バンである。人数がそろえばよいが、たった二人で雇うとなると、高くつくし、人数がそろうまで出発しないこともある。ツクツクなら2人乗りで、すぐに出発できる。ホテルを出て北の門に向かう途中道端にいるツクツクに声を掛けてみた。しかし、皆、ドイ・ステープまでと聞くと、「ああ、だめだ。行けないよ。」と断ってくる。



 先日菩提樹の寺に行ったときも、それほど高い山だとは思われなかったが、ツクツクは喘ぎに喘いでいた。チェン・マイ名物の山ともなると、もうツクツクでは登り切れないのかもしれない。それとも、ソンテウとツクツクとの縄張り協定でもあるのだろうか? 



 旧市街の北の門、チャンプワック門まで辿り着くと、ソンテウが一台止まっていた。ドイ・ステープ行きのソンテウだった。1人40バーツ(約110円)。そんなもんかな、はいはい。いいでしょ。さぁ、出発! と乗り込んだはいいが、ソンテウは一向発車しようとしない。聞くと、客が8人揃ったら発車するのだ、と言う。乗客は我々2人だけだった。あと6人客がやってくるまで待てと言う。時刻は既に山登りにはいささか遅い12時。頭の真上に上った太陽が容赦なく照り付けてくる。



 ソンテウの止まっている辺りは、肉や魚の朝市の場所ででもあったのか、生ゴミ臭く、血や臓物の蒸れ腐れた臭いが染み付いていて、ソンテウの中にいても臭い。ソンテウにはガラス窓などない。屋根と椅子のついた小型トラックのような車なので、直射日光が避けられるだけでも恩の字なのだが、生ゴミ腐敗臭は避けようもない。臭いに過敏な私はたまらず、ソンテウを降りて、しばらく通りを右往左往してみるが、それはそれで、太陽の攻撃を喰らうはめになるのだった。



 ソンテウの日陰から一歩外に踏み出すや、目潰しを喰らう。四方八方から私の目目掛けて、一遍に懐中電灯の灯りが当てられたように眩しい。ふらふらと、とにかくソンテウから離れてみる。しかし、どこをどう歩いても、脳天を太陽に叩かれ続ける。私の頭の天辺(てっぺん)で、太陽がマッチを擦って火を熾そうとしているのではないか? 太陽が放火魔のように思えてくる。



 くらくら眩暈しながら、結局太陽に白旗を揚げて、ソンテウに逃げ帰ったのであった。夫はノックアウトされたボクサーを迎えるセコンドのような顔をして、ソンテウの席をぽんぽんと叩いた。始めっから静かに座っていればいいのに……って言いたいんだね? 



 30分ほどして、もぉ、耐えられない! と叫びそうになった頃、オーストラリア人のカップルがやってきた。あと4人だ。気を取り直して、もう少し待ってみることにした。再び30分ほど経った。誰も来ない。大体、山に登ろうなんて人は、もっと朝早く出発しているはずだ。今頃登ろうなんてのんびり屋は、朝寝坊の夫か、オージービーフを食べて育った大らかな歯ごたえのあるオーストラリア人くらいなもんだ。(彼らに「ひどい臭いだよね。」と声を掛けても、「え? ああ、そう? そうだね。臭うね。まぁね。」って感じで、臭いにこだわる様子は微塵もなかった。彼らは臭さも蒸し暑さもなーにも気にならないようで、ご機嫌でイチャイチャしておった。)



 暑い、臭い! 干上がったアスファルトの向こうからは今さら誰も来そうにない。暑い、臭い! もう待ちきれない! 日を改めて出直すことにして、ソンテウを去ろうとしたら、運転手も諦めたのか、4人で200バーツ(約560円)、つまり1人50バーツ(約140円)ずつ払えばいいと言い出した。本来なら一人40バーツ(約110円)と言っていたので、ひとっ走りして320バーツ(約890円)稼ごうとしていた運転手にとっては、かなりな譲歩である。オーストラリア人カップルは了承顔。こうなると、「じゃ、それで手を打とうか。」ということになる。本来の予定なら8時に起きて、9時か10時には出発できていたはずだが、もうすぐ1時にならんとする頃、遅ればせにやっとドイ・ステープに向けて出発したのであった。



 ドイ・ステープ。「ドイ」とは山の意味らしい。ステープの意味はわからなかった。「チェン・マイの市街から北西に16km」行った所にある、かなり高い山であるということだ。一体その山がどんな山なのか、その山に何があるのか、何もわからないまま、とにかく「チェン・マイの名物」なのだから、登らにゃ~! とソンテウに乗り込んでみたのだった。ソンテウが具体的にどこまで行くのかわからないが、一人50バーツと言うからには、どこか下ろす場所が決まっているのだろう。



 北の門からしばらく走ると山に入った。ソンテウは、かなり急勾配の坂道をガッガッガッガッ、エンジン全開で登っていった。なるほど、これほどの長い急坂は、しっかりアスファルト舗装されているとはいえ、ツクツクでは上りきれまい。実際ツクツクなど一台も走っていない。街中のツクツクが乗せてくれなかったのも、納得。



 山をしばらく登ると、中腹あたりで、ソンテウのターミナルになっているような広場があった。我々のソンテウもそこで止まった。ソンテウを降りると、目の前に龍を乗せた階段があった。手すりの部分全体が龍を模している長い階段である。ソンテウの運転手は、ここが「ドイ・ステープだ」と言う。「ここから徒歩で上っていくのだ。」と言う。階段を上り詰めれば、お寺があるらしい。「ドイ・ステープに登る」ことは、その寺にお参りすることを意味していたのであった。寺はワット・プラタート・ドイ・ステープという古刹であった。



 人々がぞろぞろとその階段を登っていく。階段の麓から見上げても、頂上が見えない。その長い階段は、実に300段あった。少々しんどい。手すりの波打っている龍の背中を撫で撫で、階段を登り切って、漸く寺の境内に着いた。寺はワット・プラタート・ドイ・ステープという古刹であった。



 境内の入り口は人でごった返していた。靴を靴箱に預けて、裸足で本堂に入っていくと、金メッキをしたような金ピカの仏塔、金ピカの仏像、金ピカの仏具。とにかく至る所、金ピカだ! 壁に描かれた絵は稚拙なもので、仏像の表情も漫画チックだ。果たしてこれが格式高い、有名な古刹(こさつ)なりや? と首を傾げてしまう。



 本堂手前には香華を売る店はもちろん、土産物屋や食べ物屋さえズラリと並び、押し売りガイドのような輩も徘徊している。蓮の花と線香を手にお参りする敬虔な信者もいる。アイスキャンディを食べながら、肌も露(あらわ)な服装でブラついている欧米人もいる。



 恭しい法衣を纏った僧侶が、タバコをふかして境内をけらけら笑いながら歩いている。サングラスを掛けて、くわえタバコの坊主頭は、法衣を着ていなければ僧侶にはとても見えない。とてもダルだ。観光に来たらしい僧侶も多く、カメラ片手にあっちウロウロ、パシャリ。こっちウロウロ、パチリ。(背後から噛みついたろか! と一瞬でも思ってしまったのは、狂犬病の発症の前兆か?) 仏像の前で坊主同士、イエ~イと、記念撮影まで撮り合っていた。ひどく俗っぽいが、なんだか、ほほえましくもあるのであった。



 寺を一通り見て周った後、再び龍の階段を下りて戻っていくと、帰りの客を狙ってソンテウたちが屯していた。時刻は3時。日はまだ十分高い。私にはもう一箇所行ってみたい所があった。「プー・ピン王宮」である。ガイドブックによると、寺から6kmほどさらに山を登ったところにあるらしい。歩くのに丁度いい距離だ。私は山道が好きである。で、「プー・ピン王宮」を目指して、是非もう少し登ってみようと夫を誘う。しかし夫は「遠いんじゃないの?」と気が進まないご様子。「6kmなんて、あっという間だよ。無理なら途中で引き返してくればいいじゃない?」と私はなおも食い下がった。



 そんな我々の様子を見ていたソンテウの運転手が、声を掛けてきた。ソンテウに乗っていけば、すぐに着くぞ。しかし、王宮は3時に閉まってしまうから、今から行ったって間に合わない。街まで帰るなら俺が乗せていってやるよ。」ってなことを言い寄ってくる。ま~た適当なことを言ってきたなぁ、と警戒。ふと見ると道端の標識に「プー・ピン王宮まで4km」と記してある。なんだ、4kmか。これなら日が暮れ始める前にぎりぎり行って帰ってこられるかもしれない。4kmと聞いて気が変わった夫は、「じゃ、徒歩で登って行こう!」と俄かに張り切り出した。



 ソンテウのおやじの「獲物を取り逃がした」悔しそうな顔に、バイバイと手を振り、山道をとぽとぽ歩き始める。山道といっても大半、完全アスファルト舗装された道路で、車やバイクが後から後から、真っ黒い廃棄ガスを撒き散らしては、通り過ぎて行った。車が途絶えると、山ははたと静けさを取り戻す。透き通るような鳥達の鳴き声や、蛙らしき鳴き声などが、そこここから聞こえてくる。



 道端の叢がガサゴソする。何やらん? 見ていると、リスが数匹一気に飛び出してきた。一家で大移動か? 一目散に道路を横断していく。健気なダッシュである。ふと見ると、向うのアスファルトの道路の上に、何やらペタンと置いてある。何だ? 近づくにつれ、それは尻尾の短いリス(多分、ムササビ)のかわいらしい姿だと分かった。じーっとつぶらな瞳を見開いて、こちらの様子を窺っている。そっと近づくと、ぱっと身を翻して、近くの叢に逃げ込んでしまった。



 矢印に従ってアスファルト道路から横道に入ると、いきなり覆い被さるような高い樹々。絡み合い茂っている蔦類、羊歯類。椰子の葉、バナナの葉。枝を360度に広げた奇妙な枝ぶりの木。黒いレースでできたような蝶も群れ飛んできた。丁度ラマ僧(あるいは仏教徒?)の袈裟の色のように、少し渋みのあるオレンジ色の、小手鞠のような花も沢山咲いていた。また、その花の色にそっくりな小さな蝶が飛んできて、その枝に止まると、蝶だか、花だか、全く区別が付かないのであった。ホーホーとフクロウのような声。キキキキーと鳥だかサルだかの甲高い声。目を閉じて耳を澄ませば、まるでジャングルの中にいるような錯覚を覚える。所々かなり急な坂道もあり、4km登るのに、1時間半ほど掛かってしまった。



 ようやく王宮に辿りついた時は、すでに4時を回っており、「3時で閉まるよ。」というソンテウのおやじのご忠告通り、王宮は既に閉まっていた。黒い鉄の柵に囲まれており、忍び込む隙間もなさそうだ。王宮はなにやら小奇麗なプチホテルといった感じの白亜の建物であった。本当のところ、王宮などには大して興味もない。それよりも、王宮から更に細い山道を登っていけばあるという、「モン族」なる部族の村まで行ってみたかった。 招くように細い山道の入り口に矢印型の立て札が立っている。さぁ、モン族の村はあっちだよ、と言っているようだ。 が、そろそろ日も西に傾いてくる頃だ。モン族の村まではどのくらい離れているのかまではわからなかったので、ぐっと堪(こら)え、そのまま来た道を引き返しすことにした。



 帰りは下り坂なので、汗もかかない。行きとは違って、これといった小動物に逢うこともなかった。動物たちは日暮れ前に塒(ねぐら)に帰ってしまったのだろうか。寺の前まで戻ってくると、ソンテウが数台止まっていた。さきほどより随分台数が減っている。大抵の参拝客が帰っていってしまったのだろう。帰りのソンテウの言い値は、行きよりも10バーツ安い30バーツ(約85円)。だが、やはり人数が揃わないと出発しないらしい。帰りは急ぐ道でもなし。頭数(あたまかず)が揃うまで、我々も山の空気を吸いながら、のんびり待つことにした。



 と、急にザァァァと渓流の音が聞こえてきた。川の水音が急に大きくなるなんて……? 大体、この寺前の通り辺りに、川は流れていないぞ? と、いぶかしんで顔を上げると、我々の正面に見える向こうの山から、我々が座っている通りの道一本隔てた向こう側の広場にかけて、一帯白くかすんでいる。巨大な白い雲の円柱が地上から空に一本立てられているようだ。雨であった。



 幅員(ふくいん)数メートルの通り一本挟んだすぐ向こう側の小原で雨が降り始め、その雨の音が渓流のように響いてきたのだった。すぐ目の前で雨が降っているのに、自分の頭上には雨が降っていないという、日本にはありえない状況。目の前の数メートル先で雨の音がざぁざぁ聞こえるのだ。頭の上から聞こえてくるのではない。目の前から聞こえてくる。水平に耳に入ってくる雨の音は、なんともまっすぐ大きく響いてくるのだった。



 驚嘆の声を上げているうちに、いつの間に道路を渡ったのか、こちら側にも雨がやってきた。慌ててソンテウの中に逃げ込む。ソンテウに窓ガラスはないが、代わりにビニールの “幌カーテン” を下ろして、結構雨は凌(しの)げるのだった。巨大な雨の雲柱は、あっという間に辺りを真っ白に塗り込めた。坂道を雨水がすさまじい勢いで走り落ちていく。まるで渓流である。



 ふと見ると、寺の入り口の階段が、流れ落ちてくる雨水で、滝と化していた。石段など水の底に沈んでもう見えない。寺の階段があることを知らない人が見たら、大きな滝だと思って疑わないだろう。(滝壺がないのが不自然ではあるが。) 水は高きより低きに落ちるとはよく言ったものだ。



 激しい雨はしばらく我々の頭上で停滞した。当たりはすっかり暗くなってきた。時刻は6時を回っている。今時分、寺や山から降りてくる人などいるものか。さすがに待ちくたびれかけてきた時、ソンテウのお上(かみ)さんが (このソンテウは夫婦者で、夫が運転席に、妻が客席に乗り込んでいた)、ノート片手に日本語を書きとめては、復唱して、勉強を始めた。ノートには「ありがとう」とか「さよなら」などといった、“重要単語”がひらがなとタイ語で書き付けてあった。お上さん特製の「日本語ノート」であった。



 我々に読み上げさせては、日本語の発音を確認し、正しい発音を習得しようとする。「私はもの覚えが悪いから、ノートにこうして書かなくてはならないのだわー。」と恥ずかしそうにたどたどしい英語で話しかけてくる。お上さん特製の「英語ノート」もあった。



 こうしたソンテウの客待ち時間を利用して、客とそれぞれの言語を教えあい、次々と言葉を身に付けていくらしい。営業のためだろうが、偉いものだ。ソンテウの中で、俄か語学教室を楽しんでいるうちに、雨も去り、帰り客の頭数も揃い、ソンテウは真っ暗な山道を街へと降りていったのだった。



            つづく

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