2001年夫婦世界旅行、part81その1の続きです。タイのチェン・ライでトライブ・ツアーに参加して、まず「首の長~くない方のカレン族の村」を訪れ、村を一周りした後、川原で待っているガイドのリットさんの元に戻ったら、今度は象に乗って、次なる村に移動するというのです。





part81.トライブ・ツアー! 少数山岳民族の村へ!

    その2 象のトンベ




 欧米人の観光客も数人来ていて、彼らが先に乗り込む間、象待合所のベンチに休みながら、象に乗り込む様子を観察。どうも観光客が象に乗り込むと、地元のバナナ売りがうろうろし出す。観光客はそのバナナを買って、自分の乗る象に食べさせるのが義務だ、といわんばかりだ。で、大抵の客はバナナの房を一つ二つ、そのバナナ売りから買うと、象使いに渡して象に食べさせていた。バナナを食べるのは象なのだが、象使いの方が、バナナをもらうとなんだか嬉しそうだった。むむ、こういうところでお金を稼ぐわけだな……とチェック。



 我々の乗り込む象は、象の中では中肉中背? の「中堅どころ」といった感じだった。名前をトンベと言った。「トンベ」、フランス語では「落ちる」という意味だ。ちょっと心配になったが、「タイ語なのだろうから、もっといい意味の名前なのかもしれない。」と思い直す。(……リットさんに「トンベ」の意味を聞いてみればよかった。「この象はトンベと言います。」と弱々しげに笑って教えてくれるリットさんの顔を見ると、それ以上突っ込んで何か聞こうという気がそがれていたのかもしれない。「へぇ、トンベですかぁ。」と、こちらもただにっこりと笑顔を返して頷くばかりだった。) 



 川岸に設けられた火の見櫓のようなものが、象乗り場だった。ほぼ垂直に立てかけられた梯子を登っていくと、1m四方の板の上に出る。柵も何もない“火の見櫓”は高さ2mほどなのだが、その板の上に立つと、俄然地面が遠く感じられ、くらぁっとくる。そこにトンベがバックで近づいてきて、我々はその板の上から、トンベの背に設えられた竹製の2人掛けの席に乗り込むのである。体を支える手すりもない。ちょっと生唾をごくりと飲んで、思い切って足を伸ばし、トンベの背中に移る。まずは身の軽い夫から。そして私が乗り降りる。トンベの背中は丸っこいので、まっすぐ立ってなどいられない。尻餅をつくように席に滑り落ちた。どすんと座り込んだので、トンベがびっくりしやしないかと、はらはらしたが、トンベは慣れたもので、「乗ったぁ?」って感じで、ちょっと鼻面を後ろに向けただけだ。



 座席はどう括り付けてあるのか、背骨を頂点として曲線を描いているトンベの背中から、ずり落ちもしないが、さすがにちょっと身を動かすだけでぐらぐら傾(かし)ぐ。おおぅっ。ひやひやする。私の方が夫より体重が10kgほど重いので、ああ、きっと座席は私の方に傾いでいるのだろうな。トンベは私の方が重いぞぉと思っているんだろうな……と、ちょっとかっこ悪い気分になる。夫にはなるべく席の端の方に座ってもらい、私はなるべく中央に座る。ふむ。なかなかバランスが取れてきた……などとあたふたやっていると、トンベの鼻を踏み台代わりにして、ひらりと象使いがトンベの首にまたがった。出発だ。



 バナナ売りがうろついたが、我々はバナナを買わなかった。ツアーの内容を話し合っている時、リットさんはそんな話をしなかったから、今更バナナなど買う必要はないと思い、無視したのだ。最初から「いいですか? 象にはバナナを買い与えるものなんです。買ってやってくださいね。」と説明されていれば買っただろう。だが、聞いていない話が後から出てきた時は、極力無視することにしている。我々がバナナ売りを無視していると、リットさんは悲しげだった。なんだか、悪いような気がしてきた。バナナの一房くらい、買ってやればよかった。バナナの一房くらい、トンベにご馳走してやればよかった……と後で思ったが、その時はつい、頑なであったことよ。



 旅をしていると、つい、たかられまい、騙されるまい、ぼったくられるまい! と構えてしまい、“お金のかかる”話で、“前もって聞いていない”話にはすぐに順応できなくなるという、ちょっと悪い癖がつくのであった。哀れ、トンベはバナナのご褒美なしで、出発することとなった。



 象使いは両足でトンベの首を締め付けて操っているようだった。象使いの鋭い掛け声に、トンベがのそりと歩き出した。ゆっくりと、さきほど我々が歩いた村の舗装道路を歩いていく。所々でトンベは道を反れようとする。その度に象使いは、叱りつけるような鋭い声と共にトンベの首をぎゅぅぅぅぅっと両足で締めつけ、トンベを進行方向に向き直させる。



 舗装道路を少し歩いたと思ったら、象使いがまた足でトンベを締め付け、いきなり脇の竹やぶの中の細い小道に入って行った。そこからは未舗装の山道であった。生い茂った樹々が丁度我々の目の高さに枝を張り出している。するどい葉先がナイフのように陽に輝き、今にも我々の眼にすぱーっと切りつけてくるようだ。怪我をしないよう枝を除(の)けようと腕を伸ばしたり、ちょいと体を引いたりすると、たちまち座席から滑り落ちそうになる。おおぅっ。



 象使いは慣れたもので、時々アップテンポに手を叩いて調子をとる。するとトンベは心持早足で歩き出すのだ。トンベの背中の上にいる我々は、たまったものではない。座席がグラングラン、トンベのリズムに揺れる。おおぅっ。振り落とされないように、必死に座席の竹枠を握りしめた。



 いよいよ山深く入ってくると、山道は人間一人通るのもやっとというほど狭く、岩がゴロゴロしていたが、そんな道もトンベはのろりのろりと何気なさそうに進んで行く。かなり急勾配の上り道でも下り道でも、転ぶこともなく、のそのそ、ゆさゆさ、時にはほいほい、とトンベは行く。



 小川に差し掛かるたびに、トンベは水浴びをしたがった。「いやぁっ。水だぞぉ。」と言わんばかりに、鼻先で水を恋しがる。トンベが小川が大好きなのが、背中に乗っている我々にも伝わってくる。トンベは立ち止まって水浴びをしたがる。象使いは鋭い声を上げて、トンベの首をまたもや締め上げ、トンベを立ち止まらせない。象使いに叱り飛ばされ、トンベは仕方なさそうにのろのろと小川を渡る。



 3度目に小川に差し掛かったとき、またもトンベは小川で水浴びをしたそうにぐずった。またも象使いは叱りつけるような鋭い声を上げ、トンベの首をぎゅぅぅぅっとしめつけ、トンベのお尻をぴしぴしっ! トンベはしぶしぶ小川を渡り始めた。しかし小川を半分ほど渡った辺りで、トンベは「も~っ、我慢できないぞぉっ!」って感じで、素早く鼻で小川の水をすすり上げたかと思うと、その鼻をぐわっと振り上げた。鼻の穴の先がこっちを向いている! おい、トンベ。何をするつもりだ? まさか? ……その「まさか」、だった。トンベは鼻を振り振り、右に左にと自分の身体に今吸い上げたばかりの小川の水を噴きかけたのだ。うひゃぁ。トンベの背中にいる我々も当然“トンベシャワー”を浴びせられたのであった。ま、まぁ、いいさ。トンベ。水浴びくらい、したいよね。



 だが、綺麗な小川の水はまだよかった。……陽もじりじりと照りつけて、象といえどもやはり暑かったのだろうか。肌の乾燥を防ぎたかったのだろうか。それともプッツンきたのだろうか。さらに山深く入り、もう辺りに一筋の小川もない辺りまで来たとき、やたらに鼻をふりふりさせ始めたかと思うと、トンベは、再びその鼻を高く掲げて、鼻先をこちらに向けた。え? トンベ。何をするつもりだ? もう水はどこにもないぞ? と、トンベの鼻がぶるぶるぷるぷるとわなないて、ぶしゅーっ、ぶしゅっ。緩い鈍い音と共に白濁した水が!



 トンベはなんと自分の鼻水を、右に左にと噴きかけたのだった。うひゃぁぁぁぁっ。鼻水は粘性で泡立っていた。引っ掛けられた鼻水は、なかなか拭き取れなかった。……嬉しくないぞ、トンベ。



 トンベは山道を歩きながら、いきなり小便をした。トンベにしてみれば、ゆっくり休んで用を足したいところなのかもしれないが、立ち止まることが許されていないのだろうか。ふと、ドドジャジョジョジョジョーッと激しい下水音がしたかと思うと、トンベの小便が山道を小川のように流れて落ちていく。小便をしながら歩くトンベ。小便の小川を作りながら歩くトンベ。……トンベよ……。(その小川をトンベが吸い上げないように我々が祈ったのは、言うまでもない。)



 途中で、先発の西洋人を乗せた象が止まっていて、後発の我々が追いついてしまった。先発の象が立ち止まったまま道脇の草をもしゃもしゃ食べていたので、象が象使いの言うことを聞かず、道草をしてしまって、ちょっと立ち往生しているのか? しかし、我々が傍に行くとその先発の象もすぐに歩き出したので、どうやら、後発の我々をわざわざ待っていたと思われる。小便さえ立ち止まらせない象使い達が、象をコントロールできないわけがない。と言うことは、もしかして、象使い達はこれからさらに分け入っていく山道で出てくるかもしれない山賊を警戒して、ワザワザ一緒に行くために待ち合わせていたのかもしれない? その後村らしいあたりにくるまでは、二頭そろって山道を行ったのであった。



 「道」とかろうじて呼べるのは狭い岩場であった。大小さまざま岩がごろごろしており、トンベは大きな岩に乗り上げたり、小さな岩に降りたりして進まねばならない。そのたびに背中に括られた椅子は後ろにほぼ90度くらいに傾いたり、前に45度ほど傾いたりする。おおぅっ。そのたびに我々は椅子から振り落とされそうになるのであった。“岩道”以外は竹やら何やら、とにかく辺り一面樹木に覆われており、道と呼べるような所はない。その“岩道”だって、幅にしてせいぜい1mあるかないか、という狭いものだ。こんな狭いところをどう進んでいくのかと心配になるのだが、トンベは実にうまい具合にしゃなりしゃなりと一歩一歩踏み進んでいく。一本分の足の裏が付くスペースさえあれば歩けるぞぉって感じで、余裕であった。



 我々は象に乗るのは初めてではなかったが、あれほどの山道を象に乗って行ったのは初めてであった。象の脚力、耐久力、器用さ、バランスのよさに改めて感心したことであった。バンコクの街中で象に乗るツアーがあるが、アレでは象に乗ることの醍醐味がわからないだろう。象に乗ったら、山道を行くべし。山道でこそ象の本領発揮だ。あの岩をも侵食しそうな、群生する植物達。人間が一跨ぎするのは容易ではない岩また岩。タイの山は象がいなければ、人間の生活は成り立たないのではないだろうか。象様様である。



 しかし、象は、鎖で繋がれ、鞭で叩かれ、叱り飛ばされ、首にうるさい人間を乗せ、首を締め上げられて、背中には背骨をごりごり擦るような硬い椅子と不慣れな人間を乗せ、大好きな小川も後目に、歩きにくい山道を炎天下歩かなければならない。象だってむかついてしまうのではないだろうか。おまけに我々のようなしけた客を乗せると、バナナ一房にありつくこともできない。トンベよ。トンベ……。



 とにかく、時たま反抗的な仕草をちらつかせながらも、トンベは山道を上り下り、上り上り……。やがて山奥に大きな一軒の高床式住居が現れた。そしてそこには、いつの間に辿り着いたのか、カレン族の村の川原で別れたリットさんが待っていた。リットさんは、ちょっとしんどそうな笑顔で、「ここはラフ族の家です。」と教えてくれた。トンベはカレン族の村から二時間かけて、我々を、無事ラフ族の村まで運んでくれたのであった。結局、道中山賊も出なかったのであった。



 驚いたことに、我々が象に乗ってさえしんどかった山道を、山賊が出るかも?と緊張した獣道を、リットさんは歩いて我々より先にラフ族の村に着いたと言う。「あの山道を歩いてきたのですか?!」と我々はビックリ仰天したが、リットさんは、「ツアーガイドは皆歩くのです。だから、とても、しんどい。」と、疲れた様子で答えた。笑顔が一段と弱々しくなったんじゃないか? 大丈夫か?



  もしかして、観光客には、山道を楽しませるために、わざわざ凄まじい山道を行かせているに過ぎないんじゃないか? 実は、他にもっと楽な道があるんじゃないの? などとも一瞬勘ぐってみたが、リットさんの疲れっぷりは演技とも思えず、途中、確かに男が一人二人、獣道同然の道なき山道を跳んだり、よじ登ったり、這い上がっていく姿が、岩や木々の隙間から見え隠れした。彼らはツアーガイドだったのか。あの山を徒歩で越えてきたとなれば、疲れるのはごもっともである。



 トンベはその家の、二階の高さにある「一階」(?)のベランダに横付けになった。ラフ族の高床式住居の軒先はオープンバルコニーのように作られていて、象乗降場になっていたのだ。我々はトンベの背中から直接その家のバルコニーに降り立つことができた。我々を降ろすと、「降りたぁ?」ってな感じで、ちょっと鼻をふるふるさせて、何事もなかったように、象使いを首に乗せたまま、トンベは急勾配の山の茂みの中に瞬く間にのっそのっそと消えていった。トンベよ、トンベよ。ありがとう。象使いさん、お疲れ様。



              つづく

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