2001年夫婦世界旅行の続きです。ラオスに入るなり、サヴァナケットに幻滅し、とっとと次なる街、ヴィエン・チャンを目指すことにしました。移動は、ラオスならではのバスの旅でした。



part56. 串刺し銀座、ヴィエン・チャン(ビエンチャン)への道!



 失望の街サヴァナケットを二日で切り上げ、ラオスの首都ヴィエン・チャンを目指す。10時間のバスの旅である。



 朝8時発のバスに間に合うように、早々に朝食をとろうとホテルのロビーに下りていった。ロビー前でエレベーターのドアが開くや、目の前にホテルマンが一人立っていて、「朝食はどうすっぺ?」とにじり寄ってくる。昨日シングルルームに泊まったので、「朝食も1人分しか出ね。」と言う。「もう一人分は別料金だども?」と言う。「んだば、一人分を追加注文して2人で食事をするっぺ。」と答えると、にっこり肯き、我々を席に案内する。



 しかし、昨日は持ってきたメニューを今日は持ってこない。有無を言わさず、昨日我々が頼んだ最高値の2ドルの朝食セットをいきなり運んできた。一人分は別料金なのだから、自由にもっと安いものも注文できるはずなのに、そんな選択の猶予を与えるものかとばかりに、一番高い朝食セットを2人分出してくるとは……気を利かしたつもりか? 欲をかいたつもりか? 私は昨日の“雑巾パン”と“ショッキングピンク苺ジャム”にうんざりしていたので、今日はフォーでも頼もうかと内心思っていたのでカチンときたが、出てきたセットを断って注文をし直していたら、時間もかかりそうだ。不承不承“雑巾パン”を受け入れた。



 「ブレッド」が、今回はそれほど雑巾臭くも湿ってもいなかったのが、せめてもの救いだ。ホテルマンはよっぽど暇なのか、あるいは我々が食い逃げをするとでも思っているのか。我々が食べ終わるや否や、口元も拭(ぬぐ)い切らないうちに、請求書を持ってチェックに現われた。人が食べている最中は、給仕の女の子やらが、正面のカウンターに3、4人雁首並べてジーーーーーッと人のことを眺めているだけで、コーヒーのお代わりさえ持ってこないのに、お金のこととなると異様に素早く、人を急かすようにする。感じ悪いぞ。(こちらの要求していないことばかりしていないで、とっととエアコンの水漏れ直しなさい!)



 こんな街もホテルも、長居は無用。さっさとチェエクアウトを済ませ、バスターミナルへ急ぐ。(チェックアウトの際、ホテルマンは清算額を誤魔化そうとはしない。スムーズに会計が済んだ。おおお。もはやヴェトナムではないのだ。ここはラオスなのだなぁ。)



 バスターミナルへ行くと、我々の乗るヴィエンチャン行きのバスはすぐに見つかった。バスのチケット売り場は……と見ると、表示の出ている窓口には誰もいない。そのすぐ脇の、テント食堂のように並んだテーブルに、今さっきフォーを食べ終わったばかりといった感じのおじさんが、座っておしゃべりをしており、彼の手にバスチケットという名の紙切れの束が握られていた。バスはまだそれほど混んではいなかったが、満員になると時間にならなくても出発してしまうということを聞いていたので、おじさんからチケットを買って早速乗り込む。すると、バスチケットを買う時に、チケット係りの人と同じテーブルの隅に腰かけて憮然としていた女の子が、同じバスに乗りこんできて、我々のすぐ後ろの席にぴったり着いた。こちらをちらちらと伺っている。怪しい……。昨日の“サヴァナケットストーカー娘”といい、どうも女の子も油断ならん。彼女も何か狙っているのかもしれんと、バスの背もたれからはみ出た後頭部を俄に緊張させる。 と、「日本の方ですか?」と美しい日本語が聞こえてきたではないか。絹の薄布をふうわりと掛けられたような心地よさ。一瞬にして意味がわかる言葉を耳にした時の快感も大きいかったのだろうが、彼女の日本語はとても綺麗だった。



 現地の女の子に見えたのに、その流暢な日本語は完璧ネイティヴスピーカーのものだ。(日本にいたって、美しい日本語なんて、最近はあまり耳に出来ないが。) 驚いて振り向き、よくよく拝見すると、確かに日本人。一人旅をしている日本人OLさんだった。思わぬ道連れが出来た。ヴィエンチャンで友達と待ち合わせをしているが、今日一気にヴィエンチャンまでは行かず、途中のタケックで降りるという。ラオスは2度目らしく、全身に余裕が漂っている。以前に来て、ラオスが大好きになったという。「ラオス、大好き!」とおっしゃる。んんん? どこかで聞いた言い回しだ。(part55参照) にわかに警戒警報が鳴りかけたが、おおっ、その手には『ロンリープラネット』を持っているではないか。おまけにその『ロンリープラネット』を苦もなく読み込んでいるようだ。ううむ。心強い。おまけに美人である。



 バスは時間通りに出発した。順調である。バスは快調に走っていく。しかし、“一人旅美人”の目的地タケックには2、3時間で着くはずなのに、なかなか着かない。こちらの心配などどこ吹く風、ご本人はいたって悠然としておられる。どうやってタケックに着いたとわかるのかと聞くと、車掌さんに着いたら教えてくれるように頼んであると、実に悠長なもの。びっくりである。そのラオス人に対する無防備なまでの信頼は、どこから来ているのか?! そしてどこに去っていくのか……。案の定、車掌さんは頼まれたことなどす――っかり忘れていたのであった。彼女がさすがに不安に思った時には、タケックははるか昔に通り過ぎていた。しかし彼女は車掌さんを怒るでもない。雨が降ってきちゃった……ぐらいの不運にしか感じていないようであった。さすが“ラオス好き”である。「ラオスが好き!」なんていう人は、こんなことじゃ、ラオス人の信用性、誠実さ――そんなものが存在すると仮定しての話だが――を疑ったりしないのかもしれない。 しかたなく、彼女は我々とヴィエンチャンまで行くことになった。



 車掌さんはその若さにも似ず相当忘れっぽい人らしく、現地の人も「おい、おい、止まってくれよ。ここで降りるんだってばよぉ。言っておいただろう?」てな調子の慌ただしいやり取りが、その後も数回演じられていた。大体バス停らしいバス停もないので、我々には、バスが走っていても止まっても、そこがどこだかとんと分からないのであった。しかし、ヴィエンチャンへの行程はとてもスムーズであった。何と言っても、道がよく舗装されている。さすが一国の首都への道である。バスは100キロを越すスピードで疾走。しかし、我々の尻は座席で飛び跳ねることもなく、かなり快適な乗り心地であった。しかも、シートも鉄板ではない! 板切れでもない! なんとソファ!……如きものが付いていたのであった。さすが首都へのバスである。



 途中、休憩所のようなところにバスが着くと、わっと物売りがバスを取り囲む。最初の休憩所では、茹で卵の串刺しと鳥の姿焼きの串ざしを売りに来た。串刺しを何本も扇のように広げて見せる。茹で卵は小ぶりの卵を縦に4、5個一遍に、赤味がかった殻付きのままブスリと串に突き刺してある。ううむ、なかなかダイナミックだ。



 次の休憩所では、なんと、虫。親指の第一関節ほどの大きさの黄金虫らしきものが7、8匹串刺しになっている。それから、コオロギ(?)の串刺し。これも何匹か串に突き刺して売っている。皆、黄金虫かコオロギの串刺しを扇状に広げ見せて売りつけてくる。他のものは売らない。なぜここではもっと他の物も売らないのだろうか。鶏を飼っていない村なのかもしれない。つまり、鶏さえ飼えず、虫が唯一の特産物である貧しい村だということか。



 虫を扱うから「貧しい」と考えるのは早計かもしれないが、そして国によっては「虫」がなかなかの好物として珍重されているとも聞くが、やはり鶏が飼えれば鶏を串刺しにして売るのではなかろうか。しかし、虫の医学療養的効能が云々されてきた今日この頃、虫の姿焼きを食する彼らは、賞賛に値する存在なのかもしれない。近代文明の腐敗臭漂う贅肉などだぶつかせているものは誰もいない。日に焼けてほっそりしたその体からは、虫の丸焼き(佃煮?)の香ばしい臭いが立ち上がってくるようだ。彼らは、ある意味、とっても健康なのかもしれない。 



 鶏と茹で卵、虫と来て、今度は何が売られるのかと、興味津々で次の休憩所へ行くと、そこで売られたのは、柔らかそうな白い肉まんらしき饅頭と粽だった。この村では豚肉と小麦粉が手に入るらしい。案外ノーマルなので肩透かしをくう。我々は見て楽しむばかり。下痢が怖くて、とても手は出せなかったが、現地の人は虫の串刺し以外は茹で卵の串刺しや鳥の姿焼きの串刺し、粽などを実に美味そうに食べていた。小さなビニール袋に入った怪しげなドリンクなども、ストローを刺しこんで上手い具合にこぼさず飲むのである。(現地人の客がなぜ虫の串刺しを買わないのかは、謎。ありふれているからか、実は嫌いな人が多いのか。ラオスでは虫を食べるのは一般的ではないのか? 今度ラオス人に逢ったら聞いてみたいもんだ。)



 それからバスは、はたと休憩所に止まらなくなった。所々で乗客の乗り降りがあるだけで、物売りも来なくなった。バスが止まる。また誰か乗ってくるのかな、と思っていると、男性乗客達がそそくさとバスをおり、そこら辺の木陰で立ちションを始めた。完璧な草むらはなく、ほとんど平らな草原だったりすると、せめて立ち木の陰や潅木の茂みを選ぶ。男達は背中を向けて、ほいほい気軽に立ちションをする。夫もこの際とばかり、彼らに加わった。男の人はいいねと思って眺めていると、まもなく女の人達もバスを降り始めた。どうするつもりかと見ていると、草影に向かいながら、腰布スカートをグイグイたくし上げ、草影に座りこんだ。すぐそばに男の人がいようが、おかまいなしである。こちらの女達はきれいな長い布を腰に巻つけたファッションなのだが、その長い腰布スカートをうまく使ってお尻を隠しながら器用に用を足す。手馴れたものだ。腰布の下にはズロースのようなズボンのようなものを履いているようだ。用を足し終えると、紙で拭くわけでもなく、ズロースのようなものをずり上げ、腰布の裾をするすると下ろしながら立ち上がり、少し蟹股で股間を腰布でちょっとふきふき擦るようにしながら、エヘヘという緩んだ顔で帰ってくるのであった。腰布(あるいはズロース)がトイレットペーパー代わりにもなっているという、超エコ生活ではある。トイレットペーパーも使えず、すぐそばに他の人々が丸見えの場所でトイレをする度胸はまだ私にはない。オーバーブラウスを使ってお尻を隠しながらジーパンを下ろしてトイレする、というイメージトレーニングもこっそりしてはあったが、実際“公園デビュー”、もとい“草原デビュー”はやはりできなかったのであった。余談だが、男の人は大抵バスに背を向けて立ちションをしたのに対し、女の人はバスの方向を向いて座りションをする。警戒しながらの座りションではあるのだろう。



 バスは外国人観光客の脆弱なトイレ心を心得ているのか、とうとう私でも入れるようなトイレのある界隈で休憩を取った。食堂にあるトイレを使わせてもらう。トイレの鍵をもらい、食堂の奥を抜けると、獣道のような急勾配の下りの山道があり、そこを下った所にトイレらしい小屋があった。3畳ほどの広さの小屋である。風呂場でもあるのだろう。1・5立方メートルほどのかなり大きなコンクリートの水槽の中に、例によって水が溜まっている。金隠しのない便器が水槽の横の床に一基(便座の単位がわからないので、とりあえず「一基」としておく) 張り付いている。電気はない。ドアを閉めると、板壁と板壁の隙間から多少光りが漏れて、中の様子が何とか伺える。「落ち着いて、落ち着いて。」と自分に言い聞かせ、深呼吸してから用を足す。



 休憩はわずか20分だったので、トイレに行くだけでかなり時間をとられ、落ち着いて食事する時間もなく、ポテトチップスを買ってかじる。ポテトチップス一個買うにも、店の人となんだかうまく話が通じない。英語はほとんど通じないにしても、身振り手振りで通じそうなものだが、どうもうまくいかない。後でわかったことだが、同行の「ラオスが好き!」美女の話によると、ラオス人は数の数え方を持たない民族らしい。指折り数えるということを理解しないのだそうだ。それで納得!我々が今までいくら指で数字を示しても、とんと通じなかったのは、そのせいだったのだ。……それにしても、なぜ? 不可解だ、ラオス人。

 

 この先またいつトイレに行けるか分からないので、極力水分を控える。現地の人は我々が休むような休憩所には入ってこない。早くしろと言わんばかりにバスに待機して出発を待っている。彼らは道中で既にトイレも済ませているし、色々な“串刺し”で腹も満ちている。そしていつでもまた用が足せるのである。全く、トイレを制するものは旅も制す、である。



 再びバスが走り始めてから、ヴィエンチャンに着くまで、やはり休憩は一度もなかった。故障して止まることもなく、バスは9時間ほどでヴィエンチャンに着いた。予定よりも1時間も早い。さすが舗装道路。威力は絶大である。さすが首都への道、である。そう。ヴィエンチャンは紛れもなくラオスの首都なのであった。しかし、そうと知らなければ、どこかの田舎町だと思っただろう。都会と呼ぶにはあまりに閑散とした、日暮れ間近のぼんやりとした街に我々は降り立ったのであった。

             つづく

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