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からだは病気、こころは軽やか☆

Ⅰ型糖尿病、右目失明、心臓病からの心臓バイパス手術……様々な重たい合併症と闘いながらも、人生を前向きに生きようとする日々を綴ります!

引越しに向けて、着々と進みつつある。

まずは家を売ることから。資金がない事には進まない。

1週間ほど前に査定サイトで5社に査定を依頼した。まずは机上査定を各社からメール・電話をもらう。

5社中4社は査定に差がない。1社は家の査定を入れてくれた。他の1軒も家も見て、査定してくれるという。1社は家を壊し、更地にした値段で出してくれた。その方が売りやすいと言う。会社によって考え方も違ぃそうだ。家と土地両方で見てくれる所にしようか。売るとなれば、少しでも高い方がいい。まだ今の家のローンが残っている。今の家は2世帯でかなり大きい。ローンは父が亡くなり、保険でだいぶ返したが、それでもまだ残っていて、、プラス夫が払う分が後7年ある。それを相殺し、なおかつローンなしでいきたい。1社はそれができそうだが、家の見積もり次第かな。同時に住宅メーカーに話と聞きに展示場へ。とりあえず日曜まで保留。

オゾンガス、連日やってみる。まだ効果は出そうになく、相変わらず痛みが酷い。これが夜になると、痛みは倍増。毎晩オゾンを入れたお湯にアロマオイルをたらし、足湯をする。

。オゾンの前はASケアという、高濃度炭酸ガスの足湯をしていた。これもなかなかの優れもので、抗菌と血管を広げる。足が温まる。

 

突然だが、今引越しを考えている。

以前、家とお墓の浄化をお願いしたのだが、家は霊道になっていて、環境的にも問題がある。

家は大きな国道バイパスの側道沿い。

正月や夏の夜はパラパラとウーウーの追いかけっこ。窓なんて開けられない。

昼間も窓を開けているとテレビの音は聞こえない。

どうしてそんなところに住んでいるのか?

それは…。

父が私が2歳の頃、友人と2人で買った土地を半分ずつにした。

そして家を建てた。そして月日が流れ、私は結婚。夫は婿となり、娘が生まれた。妹は結婚して東京に住んでいる。

一緒に買った友人は別の所に会社と自宅を持っていて、隣には貸家を3軒建てた。貸家はそのうち1軒となり、その1軒も昨年借主が引越し、家は老朽化のため、壊して、今は駐車場になっている。

その友人も既に亡くなり、引き継いだ娘さん(高校の後輩)は別の土地にその友人が建てたアパートに夫婦で住んでいる。でもご主人は東京の実家の隣に家を建て、仕事の関係で行ったり来たり。その友人は土地持ちと言うことだ。

そしていつしかうちだけとなり、家も老朽化したので、私達家族は戻って、2世帯住宅を建てた。その家も20年近くなった。父はこの家を建てて1年後に肺癌で亡くなった。まだ65歳。会社も社長として現役バリバリ、亡くなる前年は地元のライオンズクラブの会長もやっていた。

そして母は家を壊す間の仮住まいのアパートで脳梗塞を起こした。母も63歳。

まだ家を壊す前だったので、設計を変更しバリアフリーにした。今思うとこの家と土地は私の原因不明の病、母の病、父の死をもたらしたのではないかとさえ思ってしまうゲッソリ

建てた頃はバブルの名残りで、父は贅の限りを尽くした。

大きなリビングに暖炉、でもガスのダミー、見せかけの煙突。父の弟は笠間で陶芸家をしている。暖炉の周りは叔父の作品。もう一人の叔父は造園業を営んでいる。庭はその叔父が造った。その叔父たちは父に散々世話になったから、よくやってくれた。見た目は豪邸。注文建築だから、それなりにかかっている。屋根にはそのの頃あまりないソーラーが乗り、しかも床暖房。でも発電しないという効率の悪いものだった。のちに私達は発電用のソーラーを足したが、オール電化に近い豪邸はまったく電気代がかかり、間に合わない。自動のシャッターが窓と入り口につき、車庫もシャッターが付けられた。今そのシャッターはどこも使われていない。

そして18年経ち、2011年にはあの大震災。家の壁紙は破れ、屋根は震災の1年後、台風で半分落ちた。震災の影響でないため実費で修理。2階のベランダにも亀裂が入り、1階の玄関の天窓から雨漏り。その上あちこちの電気が老朽化でつかない。極めつけは手抜き工事が発覚。建築した工務店はとっくに倒産した。

友人に話すとまるでホーンテッドマンションだなと言われた。それよりもひどいかもしれない。バイパスで車の通りも激しく、家の裏は細い道で、バイパスの抜け道となり、大きなトらックが通ると地震かと思うほど揺れる。

昔は閑静な住宅街。バイパスのおかげで、土地は半分国にとられ、このあり様。ここに老後住みたくない。

まして今の私は要介護老人に近い。

静かな環境で暮らしたい。老後は省エネ、シンプルに。家庭菜園でもしながら、友人とBBQでもしてのんびり過ごしたい。出来る事ならサロン風のリビングで、まったり音楽会をしたいのだ。

そんなわけで善は急げ笑い泣き

友人から家の前が売り出されてると聞き、早速土地を覗きに行ってみた。

 

小学校の裏手で、ちょっと奥まっている。少し行くと友人宅があり、近くには同級生や、同級生の実家がある。

私にとってはとても安心できる街だ。しかもモデルハウスが建っている。格安で購入できないか?来週すぐ近くの展示場に行くことにした。

痛みをこらえながら、真夜中に夢は膨らむ…。

うーん痛い!!

時間も経ったので、追加の痛み止めを飲む。そしてドイツ鎮痛ミュージックを聞きながら、眠りについた。

 

 

昨夜は痛みで一睡もできなかった。珍しい事ではないけど。いつもなら痛み止めと音楽を聞いたりすると、2時間は眠れる。

昨夜は薬を飲んでも、音楽を聞いても痛みは治まらない。仕方なくロキソニンに手を出した。

もらった薬が効かないので市販のを買っといた。先生にロキソニンに変えて欲しいと言うと、腎機能に影響出ると困るから、そのままでと言われた。でも我慢できなかった。痛くて本気で泣き叫んだ。恨みごとも言ってしまった。それでもすぐには効かず、結局眠る事も出来ず。

ネットを見たり、音楽を聞いたりして夜を明かした。

すると、翌日の午前中、中学の級生からメールがきた。傷の事を言うとオゾン発生機を貸してくれると言ってきた。

オゾンは…オゾン点滴療法は知っている。オゾンて脱臭の?どうやら仕事の美容室で使うらしい。シャンプーやヘアカラーにオゾンを混ぜて、使うらしい。最近美容にも使われる。オゾンの効果は知っている。傷の感染予防に使うってことね。膿んでるから治りが早くなるかもしれない。ちょっと試してみることにした。

すると早速夜届いた。足の傷を洗って、足湯のバケツにオゾンガスを入れた。いつものように10分くらい足湯をしてみた。特に何でもない。それからエアーを傷に当ててみる。足湯を終えて薬を塗る。またキタ~ゲッソリ痛いのよ、我慢できずに泣き叫ぶえーん

傷は小さくなってるのに、痛みは全然変わらない。もうダメだ。薬を変えよう。ネットで調べてみた。火傷の水膨れに付ける、亜鉛華軟膏。ワセリンみたいなのか。モイストヒーリングというのもいいらしい。傷パワーパッドみたいな。でも感染が無い事が条件だ。オゾンで感染予防してモイストヒーリングが出来ればいい。もう耐えられないショック皮膚科の先生は臨機応変だ。イソイソジンがしみるので、市販のプロポリス軟膏を使っていると言うとそれでいいと言う。背形成外科の先生はイソジンのみ。プロポリスは糖尿病サポート外来の専門看護師さんに教えてもらった。この看護士さんはスーパー看護師。そのことはまたの機会に…。

 

で、オゾン発生機を持ってきた彼は美容師。私がいつも行く美容室の本部で働き、地元でも美容室で仕事ををしている。なかなかのやり手だ。

彼と再会したのは2011年。高3以来だ。翌年同窓会をしたのだが。中学卒業30周年の記念同窓会をやろうと、その彼から年賀状が届いた。それも私だけではない。

彼は中2の時のクラスメイトで高校卒業の時に4人で担任の先生の家に結婚のお祝いに一緒に行った仲間の一人だ。

中2のクラスはみんな仲が良かった。中3、高1とクラス会をするほどだった。担任も初めてのクラス担任で、体育の女の先生。クラスも先生とも仲が良かった。そんなわけで年賀状が届くとすぐに親友に連絡をした。そして彼を委員長に同窓会プロジェクトが始まった。

私は補佐として親友は頭がキレるので、会計になり、音楽畑の友人とバレエの先生をしている友人と3人で進行と音楽を担当し

た。

バレエの先生と私は20年以上大きなホールで毎年発表会を切り盛りしていた。そのノウハウを生かし、同窓会を盛り上げようとプランを練り、楽器の出来るメンバーとコーラス隊を作り、ゆずの「栄光の架橋」をアトラクションとして披露することにした。そしてもう1人ののピアニストと私は当時各クラスで作詞作曲したクラス歌を掘り起こし、編曲を加えて当日ピアニストが演奏をした。

私はというと、校歌の楽譜を作り直し、当日は指揮をして全員合唱をした。自分でもよくやるなァと想いながらも楽しかった。同窓会の準備委員会を立ち上げ、10クラス、男女2名の代表に、会計、会場担当を決め、ホテルとの交渉をしてもらった。プログラムを作り、印刷。それぞれ得意分野を生かし、進行していった。流石に40後半ともなると仕事が出来る。同窓会の準備中なんだかんだと集まっては飲み会にカラオケ。アトラクションの練習も練習スタジオを取って、本格的にやった。

というわけでなんだか結束が固くなり、同窓会の後からたまにみんなと会うようになった。

趣味の合う数人でグループが出来、今もそれぞれ会ったり、ラインのグループができた。私は気の合う数人とランチに行ったり、楽しく過ごしている。

特に美容師の彼は私の行きつけの美容室と関連があり、度々、頭皮マッサージをしてもらった。その頭皮マッサージを開発したのは彼だった。彼は全国にそのテクニックを教えに行っている。

私の具合が悪くなるとメールをくれて、心配してくれる。今回も足に傷ができたと言うと、オゾンやってみるか?と連絡が来たのだった。ありがたい友人の一人だ。

しばらくオゾンガスを当ててみる事にしよう音譜