偶数、奇数のこだわりは偶然?それとも | 加藤修滋のブログ

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日仏シャンソン協会活動記録及びシャンソン界のニュース等

普段見る事のないBS番組で、谷村新司の歌を聞いた。

ペリー・コモやポール・アンカの名前も懐かしかったが、彼の歌う全く肩の力の抜けた歌声と目を閉じて歌うそのまぶたの裏に浮かんでいるものを感じさせる名唱にも酔えた。

 

 

そこで思った事。

西欧では奇数を選択する物事が多い事は知っているが、その理由は知らない。

 

 

最も知られているのは、音楽的には「ワルツ」が多い事。

ジャズメン達はワルツが不得意だし、そもそもアメリカには西欧と比べて圧倒的に「ワルツ曲」が少ない。

 

 

特にワルツと複合した8分の6拍子は騎馬民族の独壇場で、ある時は3拍子(パカ・パカ・パカ)。早駆けの時は2拍子(タッタカ)と、2種を体中で感じるDNAの存在が備わっている。

 

 

日常生活でも例えばエスキモーは奇数の7頭にソリを引かせると言う。

話を音楽に戻すと、アストル・ピアソラは五重奏団、そして名曲「チキリン・デ・バチン」はワルツ。

 

 

少々違うケースだが、シャルル・アズナヴールは本来のオリジナルはワルツなのに、シャーリー・バッシーのカヴァーや、アメリカで8ビートとしてヒットした後は、彼自身も同じリズムで歌う様に。

 

 

農耕民族は「イッチ・ニー・サン・シー」の2拍子(でも3・3・7拍子は奇数ですよね)が多い様です。歴史学者はどう答えてくれるのでしょうか?)。

 

 

他愛もない話題ですが、少なくとも政治献金の話題にうんざりするより、心が落ち着きますよネ。