公的には「重度身体障害者厚生援護施設」「福祉事務所」「児童相談所」。
退職理由は、東京での「レオ・フェレ来日公演」の為の休暇願いを認められなかった事。
翌朝、所長の机の上に(叩きつけたけれど残念ながら、まだ誰も出勤していませんでした)退職届を置いて上京。
その後、「軽音楽の集いmss」や「エルム」の活動をする様になってからは「オーバーステイ」で入管に見つかるのにおびえるフィリピン人ホステスの精神的ケアとしてのカウンセリングをほとんど毎日のように行いました。
公的な時もそれなりにやり甲斐はありましたが、人生後半のボランティアとしてのケースワーカー人生が私の誇りとして残っています。
愛知万博の催事でも協力してくれたJAY、シドニー・キャロンのCMポスターのモデルを務めてくれたロータ等、みんな充分すぎるお返しをしてくれたフィリピーナは、人間的にも優しい人たちでした。
感謝!!