加藤修滋のブログ

加藤修滋のブログ

フランス芸術文化勲章受賞の加藤修滋による過去の活動ニュースや思った事あれこれ

シャンソンの妖精メンバーだった黒川泰子。

名古屋から東京へ活動拠点を変えた今もエルムに出演してくれている。

 

 

以前、彼女から届いた公演チラシが出てきた。

 

 

各国で活躍するギタリスト大竹史朗のコンサートに彼女がゲスト出演する時のもの。

大竹氏は、ブエノスアイレスの「クラリン紙」が“日本のユパンキ“と評す実力者。

 

 

コンサートのタイトル「Quejas De Un Doble′A’(邦題:AA印の哀しみ)」は、アストル・ピアソラがバンドネオンに捧げたオマージュ。

 

 

クラリン紙と言えば、私達のタンゴ楽団「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」アルゼンチン公演時に、ラプラタ紙やディアブロ・ポプテール紙が報道合戦した事を思い出す。

 

 

まさに国を挙げての歓迎ぶりだった。

 

 

こうした実力者のゲストに選ばれる黒川さんが、エルム出身と言う事を大変嬉しく思う。これからも頑張ってください。

 

 

食いしん坊の私は冬になると、よく煮込んだ「おでん」が恋しくなる。

 

 

いつ頃からかコンビニのレジ横にも「おでん」が置かれるようになった。発祥はセブンイレブンだと言う。私も良く購入していた・・・が何となく”いちおうおでんデス”感がしていた。

 

 

昨今は、人手不足や食品ロスなどからコンビニのレジ横おでんは縮小されていると聞く。

残念ではあるが、おでんを身近な存在にした功績は大きい。

 

 

一方、大須近くにあった昔ながらの「おでん屋」は定番の”大根””ちくわ””コンニャク”で勝負していて、安価で美味。

今では、専門店も増えて活気があると言う。

 

 

私が通っていた頃の「おでん屋」は何故か女性客が多かった気がするが、会話も楽しめた記憶がある。

 

 

あの頃の「おでん屋」が懐かしいなぁ。

女将の笑顔とともに・・・。

アルゼンチンのタンゴ・ピアニストとして有名なオマール・バレンテがエルムに出演した際、マホガニー色のshigeru KAWAIに感激。

 

 

「こんな良いピアノを弾いた事がない。スタンウェイ以上だ!」と絶賛しました。

 

 

また「このピアノを引く為に、また来日したい」言ってくれましたが実現していません。

 

 

同行した前田はるみさん達との写真を見ながら感慨に浸っています。

 

私の趣味は、小学生の時から切手集め。

 

 

貧乏な母子家庭だったので、普通のコレクターのように何万円もする切手を持って自慢すると言うより、切手で世界を学ぶと言うものでした。

 

 

日本郵趣協会の方には、切手集めの仲間として大人同様の扱いをしてもらいました。

 

 

全日本切手展に入賞し、デパートからは私の作品の出展依頼もあり、作品の説明に「加藤修滋氏ご出品」と書いてあるのが嬉しかった事を覚えています。

 

 

青春と言うには若すぎる時代のノスタルジーです。

 

また、お宝写真が出てきた。既に、何回もブログで書いている内容だが記しておきたい。

 

 

ひとつは、mss小劇場で開催された「アストル・ピアソラ歓迎会」の写真。

 

 

ピアソラとマルタ松下先生ご夫妻。

昭和63年6月13日と記されている。

この日の事は過去のブログを見ていただきたい。

 

 

そして、もう一つは、パリのライブハウス「ル・コネッターブル」と「カフェ・コンセール・エルム」姉妹提携記念の祝賀会の時のもの。

加藤ハツ館長、モーリス・ファノン夫妻。奥には通訳の佐川清治さんも映っている。

 

 

こうしたお宝写真は、mss会館、エルムの歴史的遺産。大切に保管し、次の世代に繋げていきたい。

 

またまた秀逸なドキュメンタリー番組を見た。

 

 

ベトナム戦争50年をテーマにした東野真氏制作統括による作品。

新聞では午後11時~30分間と書かれていたが、90分に及ぶ大作であった。

 

 

ベトナムで米軍が使用した枯葉剤のダイオキシンで親子3代に渡って障害児を生み、特に失明(又は単に超出眼)する者が続出と言う。

 

 

夫が枯葉剤で亡くなっている映像作家の城田雅子氏の憤りに満ちた語り口調が印象的だった。

 

 

このような事がこの先起こらない事を願うばかりだが、混沌とした世界情勢を見ると憂うばかり・・・。

 

 

せめて私はブログで平和を綴り、エルムの歌手達が平和希求の歌を歌い継いでくれると信じている。

 

大阪万博アルゼンチン館で学生だった私が歌唱した際の伴奏者、ロベルト・パンセーラの写真が出てきた。

 

 

過去のブログにも書いたが、彼は私達のアルゼンチン公演時にはSADIC会長になっていて、私達に「ブエノスアイレス・タンゴ市民証」を授与してくれた人。

 

 

その式典で司会者が私をピアニストと紹介するとロベルトが「いや違う。セニョール加藤は、我が楽団で歌った唯一の日本人」とジョークを言って笑わせた。

 

 

立派なヒゲの写真を見ると、当時を懐かしく思い出す。

 

 

日本のシャンソン歌手もレパートリーにしている「Chez larrette」作者ローラン・ヴァンサン。

 

 

彼が“シュウジの母の為に“と言って自筆の楽譜を送ってくれた。

アルゼンチンでもフランスでも母親への尊敬の念は強く、私の母は常に歓迎された。

 

 

この曲の訳詞は法定訳詞にはなっていないが、私の日本語訳詞の中で、“青春は限りなく輝いている““夢を見ながら人生を語れる“と言う箇所は、特に彼が気に入ってくれた事を覚えている。

 

 

余談だが、彼はジャクリーヌ・ダノの初期ピアニストだそう。

 

オオカミ男・・・これはパリのアクセサリー製造者の異端児、ジョン・シドニー・キャロンの愛称。

酒好きで赤ら顔であるところから仲間内で呼ばれている。

 

 

彼の持つ特許を買い受けたブランド品メーカーもある程で、センスの良さもピカイチ。

エルムでも販売し、人気のアクセサリーだった。

 

 

2002年、知日派の彼から素敵なプレゼントが贈られてきた。

 

 

リッツ・ホテルのコクテルブック「Les Cocktails du Ritz Paris」のイラストは彼の友人、植田洋子氏の手によるもの。

144ページからなる立派なもの。

 

 

メルシー、ジョン!

 

私の母である加藤ハツが大切にしていたものがある。

 

 

シャルル・アズナブールから送られた自筆のサイン入り写真。

母にとっては、まさにお宝。

 

 

母とシャルルは、平和への想いで通ずるものがあった。

彼はエルムにとっても、個人としても大恩人。私の訳詞「青春と言う宝」「美しき絆」などを法定訳詞として認めてくれた。

 

 

エルムの歌手達には、彼の作品、意思を歌い継いでくれる事を願っている。

 

 

▼YouTube「青春と言う宝」

https://youtu.be/yWDpNoGUdas?si=6dsix7UwQvkvvzKi

 

▼YouTube「美しき絆」

https://youtu.be/tY891RQeUdM?si=QcCfGYrEiqMgr8df

 

▼YouTube「忘れ得ぬ面影」

https://youtu.be/wFMGWuooeF0?si=tSwz82UcxBSmkuJc

 

▼YouTube「不滅のアーティスト」

https://youtu.be/6LJhWvLBcOI?si=6Vo3-OswLNM8u9rG

 

▼YouTube「恋は一日のように」

https://youtu.be/OdUnEP6pr_s?si=uvjadIRCvLvtUlZM

 

▼YouTube「ジュ・ボヤージュ〜旅立ちの時〜」

https://youtu.be/OmxXK3i42nQ?si=dRlDOk-P2LCtMxjz