Bonjourフランス 福山知沙です。


【Le film : 《AUDREY》】

オードリー・ヘプバーンが亡くなったときのことをよく覚えています。
小学6年、12歳の誕生日を迎えた3日後の朝に「オードリー・ヘプバーンが亡くなりました、63歳でした」とニュースで見ました。

まだオードリー・ヘプバーンという女優のことを知らなかったけど、
すごく偉大な方が亡くなった、と感じて登校中ずっとオードリーのことを考えていました。

それから中学生になって「ローマの休日」を観てから一気に彼女のファンになりました。
他の映画もどんどんビデオを借りるか当時加入していたスターチャンネルで観たし、
図書館でオードリーに関するあらゆる文献を探して読み、
彼女の生年月日、代表作の公開年、2人の夫と最後のパートナーの名前、息子たちの名前も覚えました。

彼女の主演作品の映画音楽を集めたサントラCDもずっと聴いていました。
ヘンリー・マンシーニの「シャレード」は今もすぐ頭の中でイントロを鳴らせる。


夏休みの自由研究ではオードリーの絵を描き、
中学の文化祭のポスターコンクールではローマの休日のポスターをパロディにした作品を出品しました。

高校時代の彼氏は誕生日にオードリーの大判の写真集をくれて、
穴が開くほど毎日眺めたり。


こんなふうに、
人生の半分以上心を奪われてきたオードリー・ヘプバーンの初のドキュメンタリー映画!
このたび観てきました。

文献を読んだ限りでしか知らなかった別れた父親のこと、
戦争中の飢えや苦しみのことを語るオードリーの肉声を初めて聴き、震える思い。

世界中から愛された人なのに、
本当に大事な人から愛されなかった孤独と絶望が生涯にわたって彼女の心にこんなにも大きく居座っていたのか、とひしひし感じました。

晩年のユニセフ親善大使としての活動も現地に赴く姿やインタビュー、PR会見などの映像を通して、戦争や飢えに苦しむ子どもに寄り添いたいという気持ちがすごく伝わってきて、
傷つき飢えた子どもたちに無償の愛を注ぐ姿にも胸が熱くなりました。

最後に、オードリーの肉声で、
「味わってきた苦しみがのちに自分の助けになった」ということを言っていて、
私自身も救われた気に。


また、若い頃の彼女の一生懸命な姿はわたしにとっては妹か娘を見るような思いでした。

大好きなオードリー・ヘプバーン。
いつの年代の彼女も美しい。

特に美しいと思うのは細い首と華奢な背中です。
そして、私生活で常に抱えていた悲しみや不安を思ってイラストに描きました。