今日で東日本大震災の発生から10年ですね。

 

今朝、ニュースで福島県の双葉町にある小学校から中継をしていて

目が離せなくなりました。

 

2011年3月11日の地震発生当時、

その小学校の子供達は大きな揺れがおさまるのを待ち、

ランドセルやその他の荷物を全て教室の机の上に置いたまま、

校庭に出て、保護者と帰宅しました。

 

でもその後すぐ原発事故が起き、もう町には住めないことに。

ランドセルも結局取りに行けないまま、

クラスのみんなは方々に散り、やがて10年が経ちました。

 

今日のニュースの中継は、

ランドセルが10年前から置かれたままのその教室が現場だったのです。

 

黒板もやはり当時のままで「津波は来ない」とか「落ち着いて行動しよう」などと書かれていましたが

原発のことは、ひとことも書かれていませんでした。

 

あれだけ大きな地震がきただけでも怖い思いをしたはずだったのに、

予期せぬ事故よって生活の全てが奪われることになるなんて。

 

今朝のその中継の間にはリポートも挟まっていました。

10年前、ランドセルを学校に置いたまま

自宅から70キロ離れた郡山市まで逃げた男の子を取材したリポートです。

彼は今、22才に。

 

新しい土地では双葉町出身であることで嫌がらせやいじめを受けた経験から、

高校生以降はもう「郡山市出身」として通したそうです。

でも、中学生のころの弁論大会のビデオが出てきて見てみると、

そこにはかつての自分が語った故郷への想いが詰まっていました。

 

いつのまにか故郷への想いに蓋をしていたけれど、

海が美しい双葉町が大好きだったことを思い出して

大人になった彼は涙を流していました。

 

まだ10代だった子が自分の愛着ある故郷をなかったことにした、

というその悲しかった気持ちが伝わってきて、

私も見ていてとても悲しい気持ちになりました。

 

でも、今22才の彼が過去の辛かった思いに触れて、

10代のころの自分を抱きしめてあげるような作業をしていたのを見て、

過去と向き合って生きる大切さを感じました。

 

彼は町の再建に尽くしたい気持ちが出てきたことを話し、

リポートは締め括られていました。

 

あの日を忘れずに生きていくというのはどういうことなのか、

と考えていましたが、

災害によって身近な人を亡くしたり家がなくなったり、

という経験をしたことのない私にとって

時にその現実味が薄れてしまうことがあります。

 

でも、やはりこうしたリポートをみることによって

辛い思いをした人の気持ちに触れ、

共感したり陰ながら応援したり、

またそれを糧にして自分も頑張ろう、とか

子供に伝えていこう、という風に思うことも大切だ、と思いました。

 

そして防災意識。

これはよく息子と話しています。

もしもの時の具体的行動や準備。

 

続けていこうと思います。




追記:先日、息子の小学校入学を控えて

家族で記念写真を撮りました。


思い出が数珠つなぎのようになって、

人生の終わりに色んなことを思い出すのかな、とおもうと

我が子のランドセル姿もそのひとつだと思うのです。

だから今回の中継は非常に心に響きました。