巡り巡る季節の中で | まったりはんなり

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老いて身動きが思うように取れなくなった両親を
目の当りで見ていて思うことがある。
身体が動く若いうちはやりたい放題言いたい放題、
わが道をひたすら進み、周りとバンバン衝突しても
反省することもなく、自分が正しいのだと突き進んでいた父。
そんな父にべったりと依存し、傍若無人な父に疑問を
持つことがあっても逆らうこともなくそばにいた母。

何が正しくて、何が間違っているのかという価値観は
人それぞれだし、多くの人が感じる価値観が必ずしも
正しいわけではない。
ただ、人は一人では生きていけないもので、
最低限の思いやりとマナーと相手への尊敬の心を持って
接するということを心がけるべきだと私は思うのだ。
これは、私の美学でもあるのだけど。

自分がされて嫌なことはしない。
自分が言われて嫌なことは言わない。
「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉を出し惜しまない。
価値観が違う人を批判したり、排除したりしない。

ショートステイから戻る母を実家で待ちながら、
父のパソコンを再び開いてみた。
ツイッターアイコンを押し、もしも仲良くしている人が
いたのなら、今の状態を父の代わりに報告しようと思った。
だが、フォロワーは誰もいなかった。
フォローしているのは、某政治家と謎の外国人数名。
つぶやくものの、誰とも絡んでいなかった。
メールを開くと、メールもダイレクトメールだけ。
携帯電話へのメールも着信もない。
自分は間違っていないと周りの助言をすべてはねのけて
周りと諍いを起こしながら自己を守ってきた結果が今なのだ。

父の人生は父のものだから否定はしない。
ただ、あまりにも寂しい結末だなとは思う。
巡り巡る季節の中をどう生きていくかは人それぞれなのだ。
私はどうせなら、価値観のあう人とは和やかに歓談し、
価値観のあわない人とも違う価値観を面白がれる人でありたい。