神はアダムの肋骨からイブを創った --
聖書の創世記にはそのようにある。エデンの園に一人でいるアダムが寂しいだろうと気遣ってイブを創られた。
鶏が先か卵が先か、答えようのない問答になるかもしれない。
勿論、旧約聖書は元々シュメール語だったものが翻訳された時点で色々違う意味になってしまっただとか、その時代に都合のいいように解釈されて書いてあるだけで、宗教的な一部の人たちを除きほとんどの現代の人にはとってどうでもいいことかもしれない。
むしろ日本では、古来から女性がアマテラス、太陽であるという信仰があり、女性が生命の源であるという考え方に抵抗がない人が多いのでは。
生物学の見地から思うところがあったので、今日はこのトピックを書こうと思う。
(性器名などが出てくるので興味ない方はスルーしてくださいw)
染色体 -- 女性はXX です。 男性はXYです。
卵子はXの卵子しかありません。よって新しい命の性別を決定するのは精子になります。精子はXとYの両方を持っているので、精子になる時点で半分こになる感じでしょうか。
そのですが、アルファベットのXとYいうよりは、Xの
この部分を取ることによって
このようになった染色体をYと呼んでいるけれど、染色体はアルファベットではないので、Xの4分の1が短くなっているとも言えるのです。
そう考えると、イブを創るために自分の染色体を4分の1差し出した -- だからアダムの染色体は欠けている -- という事は聖書のいう事は正しい?
と、一瞬考えたりもしましたが、やはりがオリジナルで
が変化形であると思うのです。生命を育むことが可能な女性形は人類だけでなくすべての生命のひな型であることは基本でしょう。生命の意図は存続することだからです。
産まれたときの男女の違いは性器だけですが、男児も胎児の最初の頃は女性と同じ性器を持っていた。それがテストステロンだかホルモンの指令を受けて、クリトリスが伸びて陰茎になり、お腹の中にあった卵巣が下りて外に出て睾丸になったわけです。その睾丸を包む陰嚢は女性の小陰茎と同じものです。
そう考えていくと、男性は女性の変化形と言えるかもしれません。男性の半分はX、女性なのです。
ここからは私の推測になりますが、
Xが変化して一辺が短くなりYになることで不安定を産み出し、それが過剰な成長ホルモンを促す。だから男児は思春期になると声変わりに代表されるように大掛かりな変化を遂げます。勿論女性もですが、子供の時の写真と成長後の写真を比較すると、女性はそれほど変わらない。男性のように顔の骨格などが縦に伸びたりする変化はしません。
生命を自分では産むことができない男性は、その不安定感とテストステロンなどの男性ホルモンと相まって更に不安定を産み出している。不安定なのが悪いことではありません、安定を求めて挑戦する -- 動く、変化する性なのかもしれません。競争社会、上下関係(群れの習性)、果ては戦争、全て男性社会が生み出したものといって過言ではありません。
女性はというと、心の底では自分は「オリジナル、生命のひな型」であることを感じ取り、自分の性に自信を持っているのです。それが、女性が何世紀に渡って男性社会の差別下に置かれていてもストレスに強く、男性よりも健康で長く生きる人も多い理由なのではないでしょうか。