何日か前、臨死体験のドキュメンタリーが再放送されていてたまたま見た。
生物が死に瀕するとき、脳の辺縁系からとてつもないホルモンが大量に放たれ、それが幻覚作用を生むDMTを含むため、人は臨死体験をするのではないかという結論だった。
それは夢と現実のあいだのような夢-明晰夢-のようなものだといっても良いだろうと、番組製作者の立花隆は自分の明晰夢の体験に基いて言っている。
しかし科学は、どうやって臨死体験は起こるかということは証明出来ても、なぜ起こるかということは証明できないし、人にはわからない事があるから人生は面白い、と長い間にわたる研究の結論とも言えることをそうさらっと言っていたのが印象的だった。
脳の辺縁系というのは、爬虫類の脳と言われる、原始脳の部分で爬虫類やその他脳器官のある全ての生物が共通して持っている部分である。
ということは、臨死体験は人間にのみ起こるものではなく、全ての動物に起こっている現象だということになる。
勿論人間にとっては他の脳器官も連動して使うため臨死体験は個人の記憶や信念を織り交ぜた体験になるだろう。例えば神に会う、死んだ親戚に会うなど。愛に溢れた光として捉える人もいて様々なパーソナルな体験となる。
ただ、幸福感、高揚感、平和な気持ちというのは死に瀕する全ての生き物が感じる共通の臨死体験であり、それはジメチルトリプタミンという脳で自然に生産される覚せい剤のような物質が放出される事によって起こる。
最後の最後に死の恐怖を取り去ってくれる、自然界からの最大の贈り物だといえるかもしれない。
自分の母親が個人的に体験した夢の話をしたいと思う。先月のこと。
朝の4時頃、いつものように外から帰ってくる飼い猫を家に入れた後、もう一度うとうとと眠りについて、その時非常にはっきりとした印象的な夢を見たという。
それは道路に横たわっている牛の夢で、牛はホルスタインのような大きな牛で、目が柔和でとても平和的なかわいらしい牛で、彼女は思わず近づいていってなでた。
周りにいた人たちは「それは暴れ牛だから近づかないほうがいいよ」などと心配したが、彼女はかまわずに近づいた。
牛は彼女が撫でたり、自分の頭を牛のおでこにくっつけてよしよし、と可愛がったことを目を細めて非常に喜んだ。
牛は死に瀕しているようだった。足は内側に折り曲げているのか見当たらない。角などもない、のっぺりとした牛で、ただ地面に横たわっている。においを嗅いでみたが何のにおいもなかった。しかし撫でるととても暖かくてそれが印象的だった。
死にそうになっているのに、まるで心配しなくていいからね、というように撫でられることを非常に喜んでいた。そして長い間彼女はこの平和的な可愛い牛とのコミュニケーションを楽しんだ。その後何人かの人が牛を運んでいってしまい、見送ったという夢だった。
ところで、母はここ何年か茨城県鹿嶋市に住んでいる。その日は4月10日で、150頭以上のカズハゴンドウという鯨が鉾田市、鹿嶋市の海岸に打ち上げられた日だった。住んでいるところから4キロほどしか離れていない海岸で起こった事だった。
彼女はそのニュースを正午に知ったが、その時瞬時にあの夢に出てきたのはあの鯨だったと解ったそうだ。鯨たちが浜に打ち上げられた時刻も朝の4時から5時くらいだったそうで、丁度夢を見ていたときだ。
牛という形をしてはいたが、匂いを嗅いでみたら何もしなかっただとか、脚が見当たらない牛だった、などと言う事を考えてもやはりそれはカズハゴンドウが瀕死の状態だったとき、臨死体験をしていてそれを彼女が明晰夢の中で察知し、コミュニケーションをしたとしか言いようが無い。
カズハゴンドウにとっても、撫でられるのを非常に喜んだというから、臨死体験を人間とシェア出来た事がとても嬉しかったのではないか。
後でカズハゴンドウについて少し調べると鯨科かイルカ科が分類出来ないのでカズハゴンドウ科として独立した分類になっている。気性の荒い鯨で、飼育に成功したことは今までにない種だということだ。「暴れ牛だから気をつけて」などと夢の中で言われたという部分と一致している・・・。