私にとってそれは「鳥葬」だった。中国語では「天葬」(ティエンザン)と言う。去年東チベットの理塔(リタン)というところに行ったとき、その願いは叶った。
ラルンガルゴンパでも天葬は見られるという情報があったので、最初そうしようと思っていた。しかしリタンで鳥葬を見てきたという旅人に出会い、これも縁だと思って急きょ行き先にリタンも含めた。
標高2500mの中国の避暑地と化してしまったカンディンという町から、8時間ほどバスに乗って標高4200mもあるリタンの町へ向かった。
話はそれるが、中国のバスターミナルで、行き先のバスを探すのは非常に難しい。バスがどこに停車するか決まってないのである。チケットには何番から出るなどと書かれてあるが全く意味が無い。
最初なんか皆うろうろしているな、と思ったら皆自分の乗るバスを探していたのである。バスの前に小さな文字で書かれた行き先を見て確認するしかなく、皆一つ一つバスを見てまわっている。バス停で働く人さえわからないのでどうしようもない。
リタンへ行く途中は景色が綺麗だった。シャクナゲの低木が一面に生えていたので、花の咲く時期はさらに美しいだろう。
丘を越えると、ヒマヤラのふもとにある小さなリタンの町が出現。
泊まったのはバス停から近いポタラ・イン。そこにあったリタンの地図。左上に天葬をする場所がある。
宿を経営する漢人の女性(このチベットの田舎町でさえ、レストランや全てのビジネスオーナーは漢人だ。)に、天葬は毎日あるのか聞いてみた。
すると朝6時には行きなさいと言われた。何時に始まるかわからないし、10時ごろいくともう終わっていたという人が多いと。それに、勿論誰も亡くならなかった日には、天葬は無い。
天葬を見る機会は翌日しかない。しかし見れるといいなあなどと考えるのも不謹慎なので何ともいえないが、翌朝私たちは霜の降りる寒い中出かけた。
現場にはすでにチベット人男性達が集まり、火を炊いて暖をとっていたので、天葬は行われそうな雰囲気だった。今考えると、あの焚き火はのろしのようなもので、鷲たちを呼んでいたのだ。
続く